【越後駅の秘密⑧】東京都内ではなく新潟県にあった青山駅
さて次の駅は青山駅。あれっ? 青山といえば、首都圏に住む筆者としては、東京都港区にある青山という地名が思い浮かんだ。しかし、東京には青山駅がないことに気付いた。東京メトロの駅は青山一丁目駅なのである。
調べると青山駅は越後線以外に、いわて銀河鉄道の青山駅(岩手県盛岡市)、名鉄河田線の青山駅(愛知県半田市)にあることがわかった。青山という地名は決して珍しくはないということなのだろう。
さらに越後線に乗車して西へ。住宅が続くが、越後線が走る付近はやや高台になっていて、南側がやや低くなっている様子が車内からも見える。この南側に信濃川などの河川が流れていることがうかがえる。
内野駅までは多かった列車の本数。内野駅から先は日中となると3本に1本の割合になる。新潟駅〜内野駅間は20分〜30分間隔だったものが、内野駅〜吉田駅間はほぼ1時間間隔の運転になる。
内野駅の次の駅、内野西が丘駅を過ぎると、景色は大きく様変わり、左右に田園風景が広がるようになる。
その先の巻駅付近からは、また住宅が点在する風景となるが、新潟市内の新興住宅地が連なるの街風景とは変った印象となった。
【越後線の秘密⑨】吉田駅を境に大きく変る運転間隔
新潟駅から約1時間で吉田駅に到着した。乗車した列車は吉田駅止まり。この吉田駅でひと休みを取ることにする。
吉田駅は弥彦線との乗換駅。越後線の途中で唯一、規模が大きな駅でもある。とはいえ、越後線、弥彦線の列車の発車時間がほぼ1時間おきとあって、発車時間が近づくと、人が多くなるものの、通常は閑散とした様子が感じられた。
吉田駅から先、柏崎駅との間を走る列車は極端に本数が減る。朝夕を除き、日中は3〜4時間、走ることがない。ここまで閑散区とはと驚かされる。この先の吉田駅〜柏崎駅間は、時刻表とにらめっこしつつ行動計画を立てた方が良さそうだ。
筆者は吉田駅で1時間近くの列車待ちが生じたこともあり、吉田駅周辺のブラブラ。食や街で食や風景など新たな出会いが面白かった。
【越後線の秘密⑩】気になる寺泊駅周辺の廃線跡
吉田駅〜柏崎駅間は列車の本数が極端に減るので、列車の旅をする場合は、慎重にならざるをえない。筆者は、新線な魚介類の販売店があるだろう、寺泊駅で途中下車してみた。
ところが、駅周辺は閑散とした状況。地図を見ると港は駅から7kmも離れている。ちゃんと確認してから下りようよ、と反省したものの、次の列車までは数時間待ち。港までバスは出ているのだが115系も撮りたい。そこで駅周辺をブラブラ。すると廃線らしき跡が次々に見つかった。ラッキーかも。
寺泊駅周辺に残る廃線跡。この跡は越後交通長岡線という私鉄路線の跡だった。越後交通長岡線は、JR信越本線の来迎寺駅(らいこうじえき)から、西長岡駅を経て、現在の寺泊駅(当時は駅名は大河津駅/おおこうづえき)、さらに日本海に面した寺泊の町を結んでいた路線だ。
1975(昭和50)年に現在の寺泊駅付近の路線は廃止された。それから40年以上が経つが、廃線の痕跡がかなり残ることには驚かされた。ちなみに越後交通長岡線は一部区間が平成期まで残ったが、1995(平成7)年3月いっぱいで消滅している。
調べると、路線は長岡市内の西長岡駅と、JR長岡駅との間の路線が最後までできなかった。間を隔てる信濃川に橋梁を架ける費用がなかったからである。歴史にたらればはないものの、もし越後交通長岡線が長岡駅まで路線を敷くことができたならば。もう少し生き延びられたのかも知れない。
この路線でも信濃川の架橋が問題となっていた。信濃川を越えることは新潟県内を走る鉄道網の創設期には大変な課題だったのである。
越後線の吉田駅〜柏崎駅間で気付かされたのは、路線と日本海沿岸のそれぞれの街との距離が離れていることだった。この区間は寺泊や、出雲崎といった町々が日本海に面して発展してきた。
今も海沿いに街の中心があるところが多い。海にそった海岸部は険しく、鉄道路線が敷くのに不向きだったのだろうが、もし越後線が、これらの街を結んでいたら、もっと利用する人が増えただろうにと感じた。
内陸部を走り続けた越後線の上り列車。平行して走る国道116号、国道8号が見えてくる。越後線は海沿いではなく、内陸を走り、しかも整備された国道がほぼ平行して走っている。国道はほとんどの区間が片側2車線なので、この国道沿いに大型店舗も目立つ。
こうした状況を見るにつけ、越後線に乗る人は少ないのも当然だろうと感じてしまう。刈羽駅(かりわえき)付近からは駅前に住宅が立つが、列車に乗るのは学生と高齢の人たちの利用が目立つ。ほかの世代は、ほぼクルマでの移動となるのも致し方ない印象を持った。
そんな思いを持ちつつ、列車の終点の柏崎駅へ到着する。到着したのは越後線専用の0番線ホームだった。