【亀戸線秘話⑤】オレンジ&緑の8000系リバイバルカラーが走る
さてここからは亀戸線の今をリポートしよう。
亀戸線で注目すべきは、やはり電車だろう。車両はすべて8000系で、この8000系が2両編成で走る。8000系は私鉄の車両としては最多の712両が製造された。国鉄で最も多く造られた103系になぞらえ、“私鉄の103系”と呼ばれた。
1963(昭和38)年から導入された車両で、東武鉄道全線の主力車両として活躍した。現在は表舞台から遠ざかりつつあり、支線などの輸送に携わる。追われるように活躍の場が狭まっているが、亀戸線ではまだまだ現役だ。
ジャスミンホワイトに、ロイヤルブルー2本線という8000系標準色に加えて、リバイバルカラーと呼ばれる懐かしの車体カラーの車両も走っている。ちなみに8000系2両編成のリバイバルカラーは3パターンあり、亀戸線と、大師線で乗ることができる。
余談ながら、亀戸線を走る8000系は表示がすべてLED化されている。きれいに撮ろうとする場合に遅めのシャッター速度が必要になる。200分の1以上だと、まだら模様になりがちに。きれいに撮りたい時は160分の1以下への設定が必要だ。
【亀戸線秘話⑥】2両分の長さしかない曳舟駅の5番線ホーム
亀戸線の起点は曳舟駅となる。この曳舟駅で伊勢崎線と接続、また東京メトロ半蔵門線方面からの電車も同駅で亀戸線への乗換ができる。
ホームは1〜5番線まで。亀戸線は南側にある5番線を利用している。1〜4番線ホームは10両編成用と長いのに対して、亀戸線用の5番線のホームは2両編成に合わせているため非常に短く感じる。東京都内の路線にも関わらず、割り切った長さだ。しかも亀戸線は運転士1人のワンマン運転で運行されている。運転間隔は朝のみ6〜7分間隔、以降は10分間隔と便利だ。
曳舟駅のホームに上り電車が到着するや、ほどなく亀戸へ向けて折り返していく。発車すると伊勢崎線と単線の線路が並走、まもなく左へ大きくカーブする。カーブの途中から線路が増え複線に、この先、亀戸駅まで全線が複線となる。沿線はほぼ住宅地が連なり下町らしい風景が続く。
【亀戸線秘話⑦】3.4kmの区間にかつて途中駅が7駅もあった
亀戸線は現在、曳舟駅〜亀戸駅間にある途中駅は3駅のみだ。ところが最も駅が多かった時には、途中駅が7駅もあった。距離が3.4kmと短い路線なのに7駅とは、かなり多かったわけだ。
なぜ、ここまで多くの駅が生まれ、消えていったのか気になった。
1928(昭和3)年、亀戸線の電化に合わせて、途中駅を増やしている。最も多かった時代の途中駅は曳舟駅側から、虎橋通駅(とらばしどおりえき)、十間橋通駅(じゅっけんばしどおりえき)、天神駅、小村井駅(おむらいえき)、平井街道駅(現・東あずま駅)、北十間駅、亀戸水神駅、そして終点の亀戸駅の順だった。
この中で残るのは小村井駅と、駅名が変更された東あずま駅、それから亀戸水神駅のみだ。亀戸水神駅は、1946(昭和21)年に北隣にある北間駅と統合され、位置を移動して新しい駅となった。よって、中間駅で名も変わらず位置も変わらないのは、小村井駅のみとなる。このあたりの変遷もおもしろい。
途中駅が最大7つの時には各駅の駅間が0.1km〜0.6kmと短く、走ったらすぐに次の駅という状態だった。路面電車のように駅間の距離が短い。
廃駅となった駅が多いということの理由には、空襲で被災したという要因もあったのだろうが、さすがにここまで駅数が多いと、電車もスムーズに運行できなかっただろう。
とはいえ現在、曳舟駅〜小村井駅間のみは1.4kmとやや距離が離れている。小村井駅よりも、旧十間橋通駅付近の方が、賑やかな印象があり。この間にもう1駅、駅が合っても良いように感じた。