乗り物
鉄道
2019/10/27 18:00

日本一美しい四万十川を眺めつつ走る「予土線」の気になる12の秘密

おもしろローカル線の旅55 〜〜JR予土線(高知県・愛媛県)〜〜

四国の南西部、高知県と愛媛県を結んで走る予土線(よどせん)。高知県側では、日本一の美しさと形容される四万十川に沿って線路が続く。車窓から見下ろすと、それこそ澄んだ流れにびっくりさせられる。さらに予土線は乗れば、取り巻く美しい風景と、のんびり感が味わえ、心も癒される。

 

そんな予土線。乗ってたどってみると、あれぇ? と思えることがふんだんに出てきた。今回は、おもしろく、そして気になる予土線の旅を楽しんでいきたい。

 

【関連記事】
世界初の線路を走るバス・DMV導入へ!「阿佐海岸鉄道」の新車両と取り巻く現状に迫った

 

↑予土線の人気列車「しまんトロッコ」。キハ54形がトロッコ車両をひいて走る。週末を中心に宇和島駅〜窪川駅間を1往復(普通列車として運行)。今年の運転は11月いっぱいまでとなっている

 

 

【予土線の秘密①】高知県側の列車の始発駅は窪川駅だが

初めに予土線の概要を見ておきたい。

路線と距離JR四国・予土線/若井駅〜北宇和島駅76.3km *全線単線・非電化
開業1914(大正3)年10月18日、宇和島鉄道により宇和島駅〜近永駅(ちかながえき)間が開業。1974(昭和49)年3月1日、江川崎駅(えかわさきえき)〜若井駅間が開通し、予土線が全通
駅数20駅(起終点駅を含む)

 

予土線の起源は古い。宇和島鉄道という会社により、愛媛県側の宇和島駅から路線が敷かれた。当初は軽便鉄道として誕生したため線路幅が狭かった。その後、1933(昭和8)年に国有化され宇和島線に。1941(昭和16)年に現在の線路幅、1067mmに改められている。

 

さて概略を見て、ちょっと奇妙に感じられた方があるかも知れない。予土線のすべての列車が高知県側では、窪川駅始発となる。ところが、予土線の起点は、隣の若井駅となっている。さらに窪川駅〜若井駅間はJRの路線ではない。これはどういうことなのだろう。

↑窪川駅に停車する土佐くろしお鉄道TKT-8000形。窪川駅はJR土讃線の終点駅であり、土佐くろしお鉄道中村線の起点駅でもある。同社と予土線の列車はともに窪川駅から発車する。なお、高知駅発の特急「あしずり」も窪川駅から中村線へ窪川駅から乗り入れる

 

予土線の列車が発車する窪川駅はJR四国・土讃線の終点駅であり、また土佐くろしお鉄道中村線の起点駅でもある。この先、若井駅方面は、土佐くろしお鉄道が管理する路線となる。中村線は、元国鉄の手により造られたが、1987(昭和62)年に国鉄が分割民営化するにあたり、第三セクター鉄道の土佐くろしお鉄道へ移管された。

 

以降、元国鉄中村線の窪川駅〜若井駅間は、土佐くろしお鉄道の路線となり、予土線は若井駅が起点駅となったのだった。

 

なお高知方面から訪れ、窪川駅で乗り換え、予土線に乗る場合に、窪川駅〜若井駅間は通過扱いとなる。土佐くろしお鉄道の1駅区間は加算されない。ところが、窪川駅で乗車券を購入して宇和島本面へ向かう時には、窪川駅〜若井駅間210円が加算される。また青春18きっぷを利用した場合にも、この区間は含まない。同区間を乗車する場合は、加算されるので注意したい。

 

【予土線の秘密②】気になるので起点・若井駅で下車してみた

さて、予土線の起点、若井駅。気になるので、下車してみた。起点の駅なのだから、何かあるのかなと思ったら……。

 

カーブする路線上にある小さな駅で、ホームは1つのみである。待合室(?)も小さい。ホームからは水田が見渡せる。駅前に小さな集落があるものの、ここが起点駅とは少し不思議に感じた。

 

しかも駅名標には「予土線接続駅」とあった。要するに若井駅は予土線の起点駅になっているものの、管理しているのはJR四国ではなく、土佐くろしお鉄道だった。

↑若井駅に停車する窪川駅行き列車。予土線の起点となる駅だが、同駅から発車する列車は1本もなく、途中駅となっている。駅名標もJR四国のものではなく、土佐くろしお鉄道のものだった

 

若井駅は実はJR四国の駅の数に含まれていない。予土線の起点駅だが、JR四国の駅ではなかった。では、予土線の“本当の”始まりとなる地点はどこにあるのだろう。

↑若井駅を通過する特急「あしずり」。高知駅と土佐くろしお鉄道の中村駅(一部は宿毛駅)間を走る。写真は最新のJR四国2700系で、車体を傾けカーブを走り抜ける。ちなみに列車名を現すLED表示器だが、160分の1のシャッター速度で撮ってもまだら模様となった

【予土線の秘密③】路線の本当の始まりは川奥信号場なのだ!

予土線は、若井駅から宇和島方面へ3.6kmほどの区間、土佐くろしお鉄道と共通の線路を使って走る。3.6km先に土佐くろしお鉄道と、予土線が分岐するポイントがある。ポイントの名前は川奥信号場と呼ばれる。名前のとおり、川の奥、山の奥にひっそりと設けられた信号場だ。

 

川奥信号場で、土佐くろしお鉄道中村線と分かれ、予土線という路線が始まるわけである。よって厳密に言えば、川奥信号場〜北宇和島駅間の72.7km間が真の予土線といった方が良いのかも知れない。

↑予土線と土佐くろしお鉄道中村線が分岐する川奥信号場を走るJR四国のキハ32形気動車。信号場は山奥にあり、まったくひとけがない。カーブが続く山道の途中に、こうした場所があることに驚かされる

 

さて川奥信号場はトンネルとトンネルの間にある、山の中の分岐点だ。予土線はここでは、ほぼまっすぐ進み、次の駅の家地川駅(いえぢがわえき)へ向けて進む。一方の土佐くろしお鉄道の中村線は、予土線から逸れてカーブし、坂を下っていく。この先、中村線の線路の造りがおもしろい。

 

 

【予土線の秘密④】分岐する中村線はループ線を周って下っていく

土佐くろしお鉄道の中村線は、予土線から分岐したあと、すぐに2031mの第一川奥トンネルに入る。川奥信号場を走る予土線の車窓からは、進行方向の左手、はるか下に線路が見えるが、これが中村線だ。信号場から、この下まで中村線は一気に下っていくのである。さてどうやって?

 

ほぼ同じ箇所で急激に下っていく。そのため第一川奥トンネルは、螺旋状にまわるループ線という形状をしている。

 

ぐるりと螺旋状の線形を描くループ線は、スイッチバックと同じように、鉄道車両が上り下りできない急な坂をクリアするために、導入された。国内でループ線が残る路線は少ない。在来線では中村線を含めて、4路線のみ(他は上越線、北陸本線、肥薩線にある)。高知県の山中に希少なそのループ線があったわけである。このループ線は全線がトンネル内にあるため、外から見えないことがちょっと残念なのだが。

↑土佐くろしお鉄道中村線は川奥信号場(左下)で、予土線と分かれる。そして大きくカーブし、坂を下る。川奥信号場はこの写真の右手の山中にある。特急「あしずり」は、信号場を通過してから、ループトンネルを通り約5分かけて写真の位置まで下りてきた

 

 

【予土線の秘密⑤】車両の正面下にある鉄の棒は何だろう?

ここで予土線を走る車両について触れてみたい。

 

基本となる車両はキハ32形。国鉄が分割民営化される間際、四国用に導入した中型の気動車だ。座席はロングシートでトイレが付いていない。

 

ほか、予土線では「予土線3兄弟」とネーミングされた観光列車が走っている。キハ32形をラッピングした「海洋堂ホビートレイン」。そして新幹線0系をイメージした姿を持つ「鉄道ホビートレイン」(詳細後述)。この2タイプの観光列車は、通常の普通列車として毎日運行されている(検査日などを除く)。

 

さらにキハ32形よりも、やや大きいキハ54形とトロッコ車両を組み合わせた「しまんトロッコ」が週末に走る。しまんトロッコは運賃のほかに座席指定券が必要となる。2019年春のダイヤ改正以降は通常列車として運行。宇和島発、窪川行は江川崎駅(えかわさきえき)〜土佐大正駅間、窪川発、宇和島行は十川駅(とおかわえき)〜江川崎駅間のそれぞれ座席指定券が必要となる。そして同区間のみトロッコ車両が開放される。

 

なお、予土線を走る列車にはトイレが付いていないものの、上り下り列車が行き違う駅では、適度な待ち時間が設けられている。この時間を利用してトイレ休憩を取っておきたい。

↑海洋堂ホビートレインのラッピングが施されたキハ32形。「予土線3兄弟」と呼ばれる車両の一員だ。予土線を走る車両のほとんどには、正面の下部に鉄の棒が備え付けられている

 

上のキハ32形の車両写真を見ていただきたい。正面の下部に鉄の棒が付けられている。これは何だろう? 通常の線路上にある邪魔なものをどける排障器(はいしょうき)とは形が異なるが。

 

調べるとこの鉄の棒は、排障器の一種で、シカが車両と衝突した時に、車両に巻き込まれることをふせぐための棒であることが分かった。同沿線にはシカの生息域と重なっていたのだ。予土線沿線は、それだけ自然が色濃いということが、この装置を見ても分かる。

↑予土線名物の「しまんトロッコ」。横から見ると、キハ54形とトロッコ車両の長さの違いが良く分かる。現在の列車は、水戸岡鋭治氏がデザインしたもので、お揃いの黄色い車体がおしゃれ。同列車への乗車は運賃プラス一部区間の座席指定券が必要となる

 

↑四万十川の渓流の眺めがより楽しめるのは江川崎駅〜土佐大正駅の区間。橋から下をのぞくと、列車はかなり上空を走っていることが分かる。トロッコから見る眺めはまさにスリリング!

 

【予土線の秘密⑥】人気の鉄道ホビートレインの後ろ側の顔は?

しまんトロッコと並び、予土線で人気なのが「鉄道ホビートレイン」だ。今や予土線の名物車両になっていると言って良い。母体はキハ32形。窪川側の正面を、東海道新幹線を最初に走った0系新幹線風に改造した。色は新幹線そのものずばりの白と青。“なんちゃって新幹線”、“最遅の新幹線”など外野の声が聞こえてくるが、筆者はJR四国がこの車両を仕立てた発想を好ましく思う。

 

そこには、日本の本土4島の中で、唯一、新幹線が走らない地域となった四国の意地がかいま見られるように思える。0系新幹線よりも小さい、それこそ「なんちゃって新幹線」なのであるが、かわいらしく親しみを覚える姿と形である。

↑2014年3月から運行を開始した「鉄道ホビートレイン」。窪川駅側の先頭のみ、新幹線0系の形を模したノーズが付く。走り始めて5年。予土線の人気者となっている。座席の構成はロングシートが主体で、一部がクロスシートとなっている

 

さて、先頭は新幹線風の姿であるが、宇和島側の先頭部分(要するに後ろ)はどなっているのだろう。

 

宇和島駅側の正面も新幹線風の顔立ちとなっている。0系新幹線の丸いノーズ部分がイラストで描かれている。前照灯部分は人の目のようで、良く見るとお茶目な顔立ちだ。こちらも見れば、味があり、またかわいらしい。両方、同じものにしなかったことも、この車両の魅力の一つだと思う。

 

なお、同車両への乗車の楽しみは、この姿や形だけでない。車内に設けられたガラスケース内に納められた多くの鉄道模型を見る楽しみがある。JR四国の車両を中心に展示、また車両の検査時には、展示内容が変更される。鉄道好きにとって同車両に乗車する一つの楽しみになっている。

↑橋梁上を走る鉄道ホビートレインの後ろ姿。後ろの形は平面的だが、こちらも0系新幹線を意識して造られている。窪川駅側の前面は特製のカバーで0系の形が作られている(左下写真)。この姿を造り出すために前照灯など風変わりな形となっている

 

 

【予土線の秘密⑦】奥へ走るほど下流になる四万十川の不思議

窪川駅から予土線の列車に乗車すると、若井駅に到着する前、進行方向右手に川が見えてくる。この川が四万十川だ。

 

前述した川奥信号所から最初の駅、家地川駅から先は、さらに予土線と四万十川がほぼ寄り添うように流れる。

 

2つめの打井川駅(うついがわえき)付近からは、列車のほぼ真下を四万十川流れている。見下ろす流れは澄み切っている。日本三大清流の名に恥じない美しさだ。大河なのに、川の流れがこんなに澄むものなのかと驚かされる。

↑四国南西部の山中をうねるようにカーブを描きつつ流れる四万十川。打井川駅〜江川崎駅間で、予土線にほぼ沿って流れる。流域に大きなダムがないことから、流れは非常に澄んでいる。車窓からも川底が見えるぐらいだ

 

しかし、よく見ると四万十川の流れは、窪川方面へではなく、予土線の進行方向と同じように、先へ流れていく。予土線が山中へ分け入って走っているにも関わらずだ。筆者は訪れるたびに、この流れの向きを不思議に感じていた。

 

地図を見ると窪川駅付近は四万十川の中流から上流域で、そこから四万十川は西へ流れ、予土線に沿って流れていく。さらに江川崎駅付近で、南へ向きを変えて流れていく。そして土佐くろしお鉄道の中村駅近くを通り、土佐湾へ流れ込む。

 

四万十川は蛇行して流れる箇所が多い。さらに山中をぐるりと巡って流れるため、全長196kmという四国最長の河川となっている。それこそ奥が深い魅力を秘めた川だと感じる。

 

 

【予土線の秘密⑧】予土線は四万十町と四万十市を走っている!

予土線は高知県内では主に2つの市と町を通っている。2つの市と町とは、四万十川町(しまんとちょう)と四万十市だ。若井駅は四万十町、愛媛県境に近い江川崎駅があるのが四万十市だ(川奥信号場付近でのみ、わずかに黒潮町を通過する)。

 

両方とも四万十の名が入る。市と町の違いだけなので、他所から来た人にとっては迷う自治体名だ。

 

四万十市は、土佐湾に面した中村市と内陸の西土佐村が2005年に合併して発足した。一方、四万十町は窪川町と大正村、十和村(とおわそん)が2006年に合併して生まれた。ちなみに四万十市内には、中村四万十町という町名がある。ここまで似た地名があると、郵便物の送付などで混乱が起きそうだ。

 

高知県の南西部では、これほどまでに四万十川を誇りに思う、その現れなのだろう。

↑予土線の起点駅・若井駅は四万十町内の駅。高知県内にある予土線の駅9つのうち6駅が四万十町内にある

【予土線の秘密⑨】江川崎駅までは高規格路線、さてその先は?

予土線の歴史を振り返ると愛媛県側の宇和島駅〜吉野生駅(よしのぶえき)間が大正期生まれ。中間区間の吉野生駅〜江川崎駅が1953(昭和28)年、高知県側の江川崎駅〜若井駅間が1974(昭和49)年と、区間により、造られた時代が異なる。そのため区間ごとに路線の模様が異なる。

 

区間ごとに列車の最高速度も異なっている。川奥信号場〜江川崎駅間は時速85km。江川崎駅〜北宇和島駅間が時速65kmと、高知県側、愛媛県側では同じ路線なのに時速が20kmも異なる。

 

1974年に開業した川奥信号場〜江川崎駅間のうち、土佐大正駅〜土佐昭和駅間のように四万十川の流れが右に左に大きく蛇行する区間では、複数の橋を架け、トンネルを掘り、線路を直線的に通すように工夫している。こうした造りが時速20km差を生み出しているわけだ。

 

さらに川奥信号場〜江川崎駅間で予土線は、四万十川の本流を計6本の橋で渡っている。そのすべて、線路が高所を抜けていることもあり、各橋梁から見る眺望が素晴らしい。

↑橋とトンネルが連なる土佐大正駅〜土佐昭和駅間。写真は最も土佐昭和駅側にかかる第4四万十川橋梁。トラス橋と呼ばれる美しい構造の鉄橋が架かる。平行して四万十川に多い沈下橋が架かる。沈下橋は今も地元の人たちが行き来する生活道路として利用される

 

一方の江川崎駅〜北宇和島駅間は、路線が敷設されたのが古いこともあり、カーブが多く、スピードを落とさざるをえない。特に北宇和島駅〜近永駅間は、軽便鉄道の路線として開業したこともあり、旧路線の路盤を使用している箇所が多く、カーブ区間が目立つ。とはいえ、それも予土線の一つの魅力となっていることには間違いない。

 

↑江川崎駅のすぐ近くに架かる橋梁を渡る「しまんトロッコ」。同橋は四万十川の支流、広見川に架かるもので、この橋の付近で広見川と合流した四万十川は南へ流れの向きを変え、この先、はるか下流で土佐湾へ流れ込む

 

 

【予土線の秘密⑩】これは読めない!「半家」書いて何と読む?

予土線の珍名駅・半家。ご存じの方もいるかと思うが、半分の家と書いて「はげ」と読む。元々、この地は、平家の落人たちが流れてきて、住み着いたとされる。平家(へいけ)の平の文字の上の横線を、下に持ってきて「半」として地名にしたのだそうだ。

 

駅がある四万十市生涯学習課に「はげ」と読む理由を聞くと、「あくまで推測ですが」と断りつつも、

 

「この地域は四万十川の両岸などに急斜面が多い地域なんです。急斜面はボケやハゲと呼ばれました。その名残ではないかと思われます」。

 

確かに他の地方でも崖地を「ハケ」と呼ぶことがある。ハケの「ケ」が濁音となったとしても不思議ない。それにしても源氏から身を隠し、愛着のある平家の名を隠し通すために、同地区に住み着いたご先祖は苦労を重ねていたわけである。

↑予土線の半家駅は国道381号からやや上に上がったところにある。階段は下からちょうど61段あった。ホーム1面の小さな駅で、裏は急斜面となっていた。駅とは無関係ながら入口に立つ民家に駐車されたレトロな3輪トラックが気になった

 

半家駅近辺には四万十川の沈下橋があるが、他には観光名所がない。しかし、同乗した列車から数人の男性たちが下車していった。窪川駅からこの駅まで、あまり下車した人が居なかったこともあり、逆に妙に気になった。

 

 

【予土線の秘密⑪】終点の北宇和島駅に近づくと険しさが増す!

半家駅の次の駅が、予土線のほぼ中間駅となる江川崎駅だ。この駅で、小休止する列車が日に何本かある。ちょうど乗車した窪川駅9時40分発の4819D列車は、江川崎駅10時34分に到着。11時6分に同駅を出発する。何と32分間も同駅で停車していたわけだ。

 

車両は鉄道ホビートレインだったが、予土線の列車が、みなトイレが付いていない。そのために、トイレ休憩のためという理由もある。何とものんびり走るローカル線らしい。ちょうど行き違う上り列車が海洋堂ホビートレインということもあって、写真撮影を試みる乗客も多かった。

↑江川崎駅で小休止。右の宇和島行列車は「鉄道ホビートレイン」で運行されていた。行き違う上り列車は海洋堂ホビートレインでの運行だった。窪川駅〜宇和島駅間は約2時間〜2時間30分の乗車時間だが、長時間の“トイレ休憩”があるのも予土線ならでは

 

江川崎駅から1つめの駅、西ケ方駅(にしがほうえき)が高知県最後の駅となる。次の真土駅(まつちえき)からは愛媛県になる。県境はとくに何かがあるわけでない。進行方向右手に四万十川の支流、広見川が見える、予土線らしい光景が続き、愛媛県へ入っていった。

 

広見川も流れは蛇行している。ここまでの予土線の路線とは異なり、川の流れを丁寧にトレースするかのように、線路は川の蛇行にあわせて曲がりくねっている。

 

吉野生駅(よしのぶえき)あたりからは、やや開けてきて里山風情が強まる。建ち並ぶ民家を左右に見ながら近永駅へ到着する。この駅は地元・鬼北町(きほくちょう)の玄関口で、乗車する人が急に増える。窪川駅〜近永駅間が2〜3時間に1本という、かなりの閑散区間だったのに対して、近永駅からは列車の本数も多くなっている。

↑愛媛県内に入り予土線は、カーブ区間が多くなる。写真は深田駅〜大内駅間。カーブ区間を撮影すると、こちらに向かって走る鉄道ホビートレインが、まるで鉄道模型のようにかわいらしく写り込んだ

 

近永駅から列車の本数が増える予土線だが、隣の深田駅(ふかたえき)から先、列車のスピードがさらに落ちた。四万十川沿いの直線区間とは、まさに雲泥の差となる。この区間は、まさしく軽便鉄道時代の面影を残している。

 

予土線に沿って流れてきた四万十川の支流、広見川とは途中でお別れとなるが、さらに支流の三間川は、北宇和島駅の一つ手前、務田駅(むでんえき)のすぐそばまで、予土線に沿って流れている。

 

予土線は四万十川の本流に沿い、さらに愛媛県に入っても四万十川の支流、広見川、三間川にずっと沿って走っているわけである。

↑北宇和島駅付近で、予讃線と予土線の線路が分岐する。この先、予土線は、次の務田駅まで、最大30パーミルという同路線の最大勾配区間を走る。北宇和島駅(右上)は予土線の終点駅であり、予讃線との接続駅だが、予土線の列車はそのまま隣の宇和島駅まで走る

 

北宇和島駅の一つ手前の務田駅。あとは一駅ということもあり、すぐに着くだろうと思った。

 

しかし、この区間が予土線の最大の難所となっていた。半径160mという急カーブや、最大30パーミル(1000m走る間に30m上り下りする)という勾配がこの区間にはあった。務田駅も北宇和島駅も、同じ宇和島市内の駅だが、駅間は6.3kmと長く、列車は10分以上の時間をかけて走る。

 

実はこの駅間に、四万十川水系と、宇和島市内を流れる須賀川水系の分水嶺があったのである。乗車して、はじめて分かったことだった。まさに予土線の奥深さを痛感したのだった。

【予土線の秘密⑫】宇和島駅前にある古い機関車は何だろう?

さて、予土線の列車は北宇和島駅からは予讃線に入り、お隣の宇和島駅まで走る。北宇和島駅からは宇和島市内の街中の風景が広がる。

 

宇和島市は愛媛県南西部・南予地方(なんよちほう)の中心都市。高松駅が起点の予讃線は宇和島駅が終点となる。この先に線路はない。駅前には小さな蒸気機関車が設置されていた。ドイツのコッペル社が製造した宇和島鉄道1号機関車のレプリカだという。

↑宇和島駅前にある宇和島鉄道1号機関車のレプリカ。宇和島市出身で鉄道唱歌を作詞した大和田建樹の誕生100周年事業として、さらに宇和島城築城400年祭記念として、最初に宇和島を走った1号機関車が復元され、飾られたのだった

 

宇和島に最初に敷かれた鉄道が、宇和島鉄道の路線であり、現在の予土線だった。それが1914(大正3)年のことだった。宇和島鉄道が敷かれた理由は、当時、陸路の交通が不便だったため、また山間の産品を宇和島港から全国に送るためだったとされる。その後に延長した区間の駅近くには四万十川の支流、広見川も流れていて、この流れを利用した舟運の利用も考慮したのだろう。宇和島と四万十川上流域を結ぶ重要な交通機関として予土線は誕生したのである。

 

宇和島鉄道が大正時代に開業したのに比べて、宇和島まで国鉄予讃線が全通したのはかなり後のことで、1945(昭和20)年6月20日と太平洋戦争の終戦間際だった。

 

宇和島駅前の蒸気機関車のレプリカは、予土線を開業させた宇和島鉄道の功績を後世に伝えている。

↑北宇和島駅〜宇和島駅間にある宇和島運転区。予土線を走り終えた鉄道ホビートレインはここでひと休み。同運転区にはJR四国で唯一の扇形機関庫が残り、イベント開催時に転車台ともに一般公開される。なお予土線の車両は全車、松山運転所の配置となる

 

最後に予土線の現状を見ておきたい。この予土線が苦境に喘いでいる。区間別平均通過人員(輸送密度)がJR四国の路線の中で、牟岐線(むぎせん)の牟岐駅〜海部駅間(2018年度212人)に次いでワースト2位(予土線は312人)となっている。JR四国の各路線の輸送密度と旅客運輸収入は年々、減少傾向が進んでいる。そうした中でも落ち込み具合が目立つ。

 

予土線はまさに“お宝”と言って良い風景が残っている。地元では「YODOSENサポーター」といった活動が地道に続けられている。残して欲しいという地元の声も強い。将来、何とかこの“お宝”が末長く残るように、四国を訪れたら、ぜひとも乗車し、楽しんでいただけたらと、切に筆者も思う。

 

【ギャラリー】