乗り物
鉄道
2020/2/16 19:00

明智光秀生誕の地?「明知鉄道」にまつわる10の不思議

【明知鉄道の不思議②】光秀は本当にこの地で生まれたのか?

歴史好きにとって気になるのは、明智光秀が果たしてこの地で生まれたかどうかではないだろうか。今年の大河ドラマ「麒麟がくる」では明智光秀の一生が描かれている。光秀の生涯は、前半生が明らかではない。そのため我が地こそ、生誕の地と名乗る所が岐阜県内に複数ある。

 

簡単に明智光秀の出自について触れておこう。光秀は清和源氏土岐氏の支流・明智氏の血が流れるとされる。「土岐氏流明智氏」を名乗る一族で、明智城を拠点としていた。岐阜を拠点とした斎藤道三に仕えていたが、道三と長男・義龍(よしたつ)との争いの中で、道三側に付いたことから一族が滅ぼされてしまう。その中でかろうじて生き延びたのが光秀だった。

↑明智光秀ラッピング車両。光秀の姿とともに「ゆかりの地」と大きく描かれる。2021年の3月まで運行の予定だ

 

明智城を居城としていた明智氏は滅び、光秀は姿を隠した。一族がちりぢりになったこともあり、光秀の生誕の地も曖昧になっている。資料も残されていない。

 

地元の恵那市では明知鉄道が通る恵那市明智町こそ、光秀の生誕の地だとアピールしている。明智町内には、それを裏付けるかのように「明智光秀公 産湯の井戸」や、母親の「於牧(おまき)の方の墓所」、「明智光秀公学問所」、「明智光秀公御霊廟」が残る。

 

ちなみに岐阜県内には、同じ明智駅の名が付く駅が名古屋鉄道広見線にある。岐阜県可児市(かにし)にある駅で、近くには土岐明智氏が築城したとされる明智城がある。光秀の生誕地は恵那市の明智なのか、可児市の明智なのか、果たしてそれ以外のところなのか。光秀にはこうしたミステリアスな一面があり、逆に現代人を引き付ける魅力になっているのかも知れない。

 

 

【明知鉄道の不思議③】静岡県から路線が敷かれる予定だった?

昭和初期に誕生した明知線。実は壮大な計画がその元になっている。静岡県の掛川駅から、現在の飯田線の三河大野駅、浦川駅を通り、そして現在の恵那駅までの路線を敷くという計画だった。

 

静岡県遠州地方(または遠江=とおとうみ)と岐阜の美濃地方を結ぶ路線ということで「遠美線(えんびせん)」と呼ばれた計画線である。この計画線は工事着工前に頓挫したが、その一部が静岡県側では、天竜浜名湖鉄道、そして岐阜側では明知鉄道に受け継がれ、今も利用されている。両鉄道とも第三セクター経営の鉄道路線で、不思議な縁を感じる。

 

【関連記事】
昭和の風景がそのまま残る「天浜線」11の秘密

 

↑明智駅構内に停められるアケチ1形気動車。明知鉄道が開業した時に導入された。2017年にさよなら運行が行われ形式も消滅している

 

ここで明知鉄道を走る車両の紹介をしておこう。

 

◇アケチ10形

↑アケチ10形気動車は全長15.5mと短めの車体が特徴だ。写真の12形は2018年に廃止され今は明智駅に留置されている

 

明知鉄道が誕生した当時に導入したアケチ1形に代わって1998年に新造されたアケチ10形。屋根の丸みを帯びた形が特徴となっている。後に全国の第三セクター鉄道に導入された、標準形車両の最初の車両でもある。よって全国には同形の車両が多い。ちなみに急勾配がある明知鉄道の車両は台車には砂撒き装置が付けられている。5両が製造されたが、すでに1両が廃車となっている。

 

◇アケチ100形

↑2017年に走り始めたアケチ100形。写真はそのうちのアケチ101で、クリーム色が主体の車体が目印となっている

 

2017年から導入された気動車で明知鉄道では初の18.5mと長めの車体となった。現在は2両が活躍中だ。2両は車体カラーが異なり、アケチ101が、以前のアケチ1形と同じ、クリーム色の車体にオレンジライン。アケチ102がオレンジ色の車体に、クリーム色のラインと真逆の車体カラーとなっている。

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5