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2020/10/4 18:30

なぜ?どうして?「近鉄田原本線」−−とっても気になる11の不思議

【田原本線の不思議⑥】深緑とマルーンのレトロ塗装がなぜ走る?

ここで田原本線を走る電車の紹介をしておこう。走る電車はみな8400系で西大寺検車区に配置され、3両編成で走る。8400系は奈良線用に製造された近鉄8000系20m車の改造タイプで、奈良線が600Vから1500Vに昇圧される時に合わせて開発された。製造されてほぼ50年となる8400系が田原本線の主力として走る。

 

近鉄の他線と同じように「近鉄マルーン」と呼ばれる濃い赤色とアイボリーの2色分け塗装車が走る。一方で、この田原本線にはダークグリーン一色と、マルーンレッドにシルバー帯という塗装車両が走る。2編成のみ2018年に塗装変更されたのだが、どのような理由からだったのだろう。

↑マルーンレッドにシルバーの帯が入る8400系の8414編成が黒田駅〜西田原本駅間を走る。レトロ塗装車が走らない日もあるので注意

 

↑こちらはダークグリーン塗装が施された8409編成。大和鉄道時代の600系のレトロ塗装が施された

 

この2編成は田原本線が開業100周年を迎えた記念事業の一環として運行を開始したもの。8400形8414編成が、1980年代半ばまで田原本線を走っていた820系の車体カラー、マルーンレッドにシルバー帯という塗装に変更されている。一方の8409編成は、大和鉄道時代の600系を模したダークグリーンとされた。

 

すでに走り始めて2年ほどになる復刻塗装列車だが、現在も走り、沿線にはこの車両を撮影しようと訪れるファンの姿も目立つ。ちなみに運用の具合から、走らない日もあるので注意したい。ちなみに運用は事前発表されておらず、遠方から訪れる場合は“出たとこ勝負”とならざるを得ないのが現状だ。

 

【田原本線の不思議⑦】池部駅のすぐ近くにある立派な門は?

さて新王寺駅を発車した西田原本行の電車。沿線住宅街を眺めつつ1つめの大輪田駅へ。この先からは田畑が多く見られるようになる。佐味田川駅(さみたがわえき)を過ぎると、軽い登り坂があり池部駅付近がそのピークとなる。

 

池部駅には、馬見丘陵公園(うまみきゅうりょうこうえん)という副駅名が付くように、駅付近は丘陵地帯であることが分かる。この池部駅で気になるのは、駅舎のすぐ隣に古風な屋敷門が建つこと。電車の車窓からも見えたこともあり、早速、駅を降りてみた。さて門の前に立つと、河合町役場という札がかかる。

↑池部駅の駅舎(右)のすぐ隣に立派な屋敷門がある。車窓からも見えるので気になって降りてみたら……

 

↑ライオンが守る(?)門には役場の表札が、中に池泉回遊式の庭園がある(右上)。邸宅を建てた森本千吉は大和鉄道に縁の深い人物だった

 

役場の門がこんなに古風で立派というのも不思議である。実は、この門は「豆山荘」という名前の邸宅の旧門で、町役場が門の裏手にある。豆山荘は実業家・森本千吉の旧邸宅だった。森本千吉こそ、田原本線を建設した張本人だったのである。1923(大正12)年にこの邸宅は造られている。自らが開業させた鉄道路線の駅前に邸宅を建てるとは、なかなかのやり手だったようである。

 

ちなみに森本千吉は大和鉄道を開業した同じ年の1918(大正7)年に生駒鋼索鉄道(現・近鉄生駒鋼索線)を創業させている。この生駒鋼索鉄道は日本初の営業用ケーブルカーだった。大和鉄道といい、生駒鋼索鉄道といい、森本千吉の絶頂期の“作品”だったわけである。

 

森本千吉は1937(昭和12)年に死去している。その後に邸宅は他者にわたり、さらに河合町の役場となった。今は門と、庭園に残るのみだが、日本の鉄道の発展に尽力した人の遺志がこのような形で駅前に残っているというのもおもしろい。

 

【田原本線の不思議⑧】沿線にはなぜ天井川が多いのだろう?

池部駅で丘陵を越えた電車は奈良盆地(大和盆地・大和平野とも呼ばれる)へ入っていく。集落そして田畑が沿線に広がる。この盆地を走りはじめると、他ではあまり見ないおもしろい地形に出会うことができた。

 

田原本線の線路は東西に延びているが、ほぼ90度の角度で複数の河川をわたる(表現として「越す」といった印象)。高田川、葛城川、曽我川、飛鳥川という河川は決まったように北へ向けて流れる。さらにみな天井川と呼ばれる構造なのである。田畑のある標高よりも、川の両岸の標高が高い。そのために、この川を越えるために電車は上り下りする。このあたりの川の構造が鉄道橋の造りが珍しい。

 

田原本線の北側を流れる大和川という本流がある。この大和川に多くの支流が合流している。この支流の特徴として上流部は急で、奈良盆地は平坦なために、流れが急に緩やかになる。そのために盆地内では土砂が堆積しやすい。そこで川の流れを制御するために掘り、両岸を高く土砂を積み上げた天井川という構造になっていったわけである。

 

ちなみに奈良盆地の年間降雨量が少なめため天井川の水量も少ない。そうした背景もあり奈良盆地には農耕用のため池が多い。この奈良盆地だけで5000個以上もあるとされる。こうした川やため池の水利権は昔から非常に厳しく管理されてきたのだそうだ。

↑池部駅を発車後、奈良盆地へと電車は下り坂を降りる。この先、黒田駅まで4本の天井川(左上)を越える。線路は川の前後で上り下りを繰り返す

 

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