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2021/8/2 18:00

今年で生誕75周年を迎えた世界一有名なスクーター・ベスパ。その知られざる歴史を辿る

イタリア・ピアッジオ社が生産するスクーター・ベスパ。1946年の初リリース以来、2021年で生誕75周年を迎えますが、これまでに世界114か国で販売、ライセンス生産をされていることから、「世界で一番有名なスクーター」として知られています。

 

映画「ローマの休日」(1953年)で、主演のオードリー・ヘプバーンがまたがり、日本では名ドラマ「探偵物語」(1979年)で、主演の松田優作が愛用。また、イギリスの1950〜1960年代のモッズカルチャーアイテムとして、その造形とカルチャーとの親和性から「オシャレなバイク」として今もなお根強い支持を得ています。そこで、ベスパ75周年を迎えた今、ピアッジオグループ・ジャパンPR 河野僚太さんにその歴史と合わせて、知られざる逸話を聞きました。

 

航空技術を反映させながら「スカートでも乗れる」斬新なモビリティだった!

--まず、イタリア・ピアッジオ社が製造・販売するスクーター、ベスパの成り立ちからお聞かせください。

 

河野僚太さん(以下、河野):そもそもピアッジオ自体は、1886年創業で船の建具などを作る会社でした。そこから発展し鉄道車両を作ったり、第一次世界大戦では飛行機も製造するようになりました。第二次世界大戦の頃になると、イタリアを代表する飛行機メーカーに飛躍しましたが、敗戦を迎えます。

 

戦後、敗戦国の工業メーカー・ピアッジオも再出発を図ることになったわけですが、今風の言葉で言えば「新しいモビリティを提案していきたい」という思いから二輪車の製造を考えました。しかし、戦後の貧しい時代です。「多くの人に乗ってもらえるような庶民的なモビリティを」という思いからベスパというスクーターにたどり着いたようです。

 

--ベスパ以前の時代には「スクーター」という乗り物はあったのでしょうか。

 

河野:あったと聞いています。もともとのスクーターの起源は、戦時中、落下傘のパラシュート部隊が敵地に降りた際に、その場で移動するための組み立て式のエンジン付きバイクだったようです。

 

そういった従来のスクーターから発想を得て開発したのがベスパですが、随所に航空技術が取り入れられています。まず、ボディはスチールモノコックボディというもので、ボディそのものがフレーム構造になっています。

 

――従来の二輪車は、パイプフレームがベースに作られ、その上にボディが乗りますが、ベスパの場合はボディ自体がフレームになっていると。

 

河野:そうです。また、フロントサスペンションが飛行機の着陸装置であるランディングギアの構造と同じで、通常の二輪車のように2本でタイヤを支えるのではなく、片側のみで支えています。なぜこのような構造にしているかと言うと、当時のイタリアは道路状況が悪く、よくパンクすることからタイヤ交換をしやすくするためだったそうです。

 

さらに、エンジンとリアタイヤをユニットにすることで、乗車する人に油などが飛んでこないように工夫しました。これが後のスクーター全般に用いられる構造の礎となったもので、革命的な開発だったと考えています。

↑1949年のイタリアでのベスパ工場。本文にもある通り、パイプを持たないフレーム構造であり、スチールボディそのものがフレームとなっています

 

↑1949年のフランスでのベスパの広告。ベスパの楽しみ方が紹介されています

 

↑1950年代には ヨーロッパだけでなくベスパは世界各国で販売またはライセンス生産を拡大。世界五大陸にはベスパが必ず走っている状態に

 

↑1966年のイタリアでのベスパ工場。発売から20年でベスパは多くの人々に浸透し、同時にモデル自体も進化していきました

 

旧式ベスパはギアチェンジを手で行う……その理由とは?

--ベスパは2000年代の大幅リニューアルまで、大半のモデルがギア式、しかも左手でギアをチェンジさせる独特の機構でした。なぜ、このような機構になったのでしょうか。

 

河野:構造上の理由もあったはずですが、やはり「女性でもギアチェンジができる」ということがあったようです。通常、ギア付きの二輪車は、足でギアチェンジをするわけですが、女性がスカートを着て、ヒールを履いていた場合にギアチェンジができません。このことから「ギアチェンジは足ではなく手でやろう」という形になったと聞いています。

↑女性でも二輪車にまたがれることを実現したベスパ

 

 

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