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2021/10/4 9:45

〝ゴロンと〟気軽に休んで旅ができた!特急「あけぼの」の記録

〜〜もう一度乗りたい!名列車・名車両の記録No.6〜〜

 

特急「あけぼの」は首都圏と東北の日本海側の駅を直接に結ぶ貴重な列車だった。〝ゴロンと〟ひと眠りしたら、夜明けに目的地の駅にちょうど到着した。

 

冬は時に雪を付けたまま走り、北国の昨夜の雪の積もり具合を首都圏の人たちに伝えた。車内ではお国言葉が飛び交った。そんな旅情豊かな寝台列車が消えてすでに7年の時が経つ。

*写真はすべて筆者撮影・禁無断転載。学研パブリッシング刊「寝台列車を乗り尽くす」誌内の図版と地図をリメイクして使用しました

 

【名列車の記録①】日本海側の都市と首都圏を結んだ「あけぼの」

まずは概要から見ていこう。

↑春先、菜の花に包まれるようにして走る上り「あけぼの」。高崎線沿線ではこうした光景が楽しめた(高崎線本庄駅〜岡部駅間)

 

■特急「あけぼの」の概要

運行開始1970(昭和45)年10月1日、上野駅〜青森駅間の定期運行を開始
運行区間上野駅〜青森駅
営業距離772.6km
所要時間下り12時間41分、上り12時間50分(最終年の所要時間)
車両24系客車8両(多客期は増結)+電源車、牽引はEF64形直流電気機関車、EF81形交直両用電気機関車
運行終了定期運行2014(平成26)年3月14日
臨時運転2015(平成27)年1月4日

 

↑特急「あけぼの」の停車駅と発着時間。新潟県の新津駅より先、山形県、秋田県、青森県と多くの駅に停車して走ったことがわかる

 

特急「あけぼの」の運行開始当初は東北本線・奥羽本線経由で走っていた。石川さゆりの代表曲「津軽海峡冬景色」の冒頭で歌われていた列車そのものである。最盛期には毎日3往復が走る人気列車でもあった。1997(平成9)年3月22日の秋田新幹線開業時には、東北本線、奥羽本線経由の「あけぼの」が廃止され、それまで高崎線、上越線、羽越本線経由で走っていた特急「鳥海」の名前が、「あけぼの」に変更され、その後も18年にわたり定期運行を続けた。

 

停車駅を見ると分かるように、山形県、秋田県、青森県の日本海側の駅を数多く停車して走っていた。首都圏と日本海側の都市を結んだ地域密着型の寝台列車でもあった。

 

【名列車の記録②】気軽に乗車できた2両の「ゴロンとシート」

客車の構成もユニークだった。編成図を見ると、通常期の客車編成は電源車を除く8両で、寝台はグレードの異なる4タイプを備えていた。

↑電源車を最後尾にして走る上り「あけぼの」。「ゴロンとシート」のほか、個室AB寝台と、開放2段式が連なり変化に富んだ構成だった

 

4タイプのうち1号車と8号車は「ゴロンとシート」と呼ばれる客車だった。どのような寝台だったのだろう。この「ゴロンとシート」は指定席特急券と乗車券だけで利用できる2段式開放寝台で、浴衣や枕、ハンガーなどの備品がつかない。寝台料金が不用で、開放式B寝台が使えて横になって旅が楽しめた。カーテンがついていて、寝台を仕切られるので、プライバシーは守られていた。さらに1号車の「ゴロンとシート」は女性専用で、女性の一人旅にも向いていた。車体側面にはかわいらしいクマのイラストマークが描かれ、使いやすさも演出されていた。

 

ほかには個室が2タイプあった。A寝台は「シングルDX」で、基本1人利用だが、補助ベッドも設けられ2名利用も可能だった。またB寝台個室は「ソロ」があり、1階と2階でそれぞれ広々した窓から車窓風景も楽しめた。

 

ほかB寝台は開放2段式で、通常期3両が連結されていた。このように好みに合わせて寝台が選べたのも、この列車の魅力となっていた。

 

【名列車の記録③】上越線越えには〝山男〟の牽引が必須だった

この列車には2形式の牽引機関車が使われていた。

 

上野駅〜長岡駅間の牽引がEF64形直流電気機関車で、長岡駅〜青森駅間はEF81形交直両用電気機関車が担当した。772.6kmという、それほど長距離を走るわけではないのに、なぜ交換が行われたのか。

 

その理由は、上越線の山越え区間を考えての交換だった。現在、JR貨物の貨物列車輸送でも、EH500形式といった勾配区間に強い電気機関車が列車を牽引している。上越線はそれだけ勾配が険しいのである。EF64形は上越線での走行のために設計され「あけぼの」にも2009(平成21)年以来、同機関車が使われ続けていた。「あけぼの」が消滅後も、JR東日本ではEF64形は使われ続けていて、上越線を越えての新車の配給輸送等で活躍している。

↑EF64形牽引の上り「あけぼの」が上越国境を目指す。岩原スキー場駅の近くで撮影したもので、同日は大雪で3時間遅れの運行だった

 

長岡駅〜青森駅間はEF81形交直両用電気機関車にバトンタッチして、信越本線、羽越本線、奥羽本線の牽引を行った。東北本線で特急「北斗星」を2010(平成22)年まで牽いたEF81と同形式だったが、こちらは耐雪強化されたタイプで、運転席の窓上にあるひさしは、つらら切りのものだった。塗装も深紅の赤2号と呼ばれる塗装で、退色防止のために同色で塗られていた。

 

ちなみにJR東日本のEF81形は、今も、秋田総合車両センター南秋田センターおよび、長岡車両センター、田端運転所に配置されていて、事業用機関車として役立てられている。

↑下り「あけぼの」が津軽平野を走る。正面の運転席上のひさしと、塗装が特徴だった耐雪仕様のEF81交直両用電気機関車

 

【名列車の記録④】下りは津軽富士の眺めが楽しみに

下り「あけぼの」の上野駅発車時間は21時15分とやや遅めで、首都圏での仕事を終え、また用事を済ませて乗車する人が目立った。高崎駅を22時48分に発車以降、次の停車駅は新潟県の村上駅となる。停車は3時19分と深夜のことだった。羽越本線を北上して、山形県内に入り、鶴岡駅(4時34分着)あたりで、日の長い季節は外が少しずつ見えるようになった。この先、多くの駅に停車しつつ、北を目指す。秋田駅6時45分着で、もちろん東京駅発の秋田新幹線の始発よりも早く秋田駅に到着することができた。

 

さらに東能代駅(7時48分着)、大館駅(8時35分)といった秋田の県北の駅をいくつも停まって走る。

↑下り「あけぼの」が秋田県北にあたる白沢駅〜陣場駅間を走る。深緑のなか深紅の機関車とブルートレインが絵になった

 

上の写真の陣場駅の北側で列車は青森県へ入った。しばらく走ると県内初めての停車駅、碇ケ関駅へ8時57分に到着。青森県は広く、この先まだ1時間ほど終着の青森駅まではかかった。

 

大鰐温泉駅(9時5分着)、弘前駅(9時18分着)と停車し、寝台列車にもかかわらず、地元の通勤客の姿も目立つようになる。実は特急「あけぼの」、秋田県の羽後本荘駅から先は立席特急券でB寝台が利用できるとあって、地元の通勤の足としても利用されていたのである。

 

すでに途中駅で降りていった乗客も多く、こうした地元の通勤客の利用が可能だった。弘前駅の先では、津軽富士の名でも知られる美しい岩木山が下り列車を出迎えた。

↑岩木山を背景に力走を見せる下り「あけぼの」。時間は9時29分ごろで、あと30分で青森駅着となる(奥羽本線川部駅〜北常盤駅間)

 

秀麗な岩木山を進行方向左手に眺めながら下り列車は終着駅の青森駅を目指す。大釈迦駅(9時39分通過)の先で峠を越えて、青森平野へ列車は入っていく。雪のない季節には、こうした美景にも巡りあえたのだが、筆者は厳冬期、この列車を追ったことがあった。

 

それが下記の写真。新青森駅のとなり駅、津軽新城駅から徒歩で約24分というポイントでの撮影だが、それこそ〝雪中行軍〟で大変な目に。冬ともなると日々、こうした厳寒の中を走り続けた「あけぼの」だったのである。それこそ耐雪仕様のEF81形交直両用電気機関車が十分に生かされていた。雪の中であっても、ほぼ遅れることもなく、この日も青森駅に9時56分に定刻通りに到着したのだった。

↑厳冬期は雪でおおわれる北東北地方。雪に強い機関車の牽引でこの日も時刻通りに通過していった(奥羽本線鶴ケ坂駅〜津軽新城駅間)

 

【名列車の記録⑤】首都圏に朝到着する上りならではの雪の便りも

下りの上野発が21時15分と遅かったのに対して、上りは青森駅を18時8分発と3時間も早く発車した。外の景色は、日の長い季節以外は望めなかったものの、東北地方各県の途中駅にその日のうちに発着するとあって、翌朝に首都圏へ入りたいという人には重宝されていた列車でもある。山形県のあつみ温泉駅発が23時37分と、東北3県で停車する駅は、すべて23時台までと、利用者を考えた時間設定だと言えるだろう。

 

下り列車が通過した新発田駅(0時57分発)や、新津駅(1時22分発)も停まりつつ、列車は関東地方を目指した。

↑高崎線の本庄駅〜岡部駅間を走る上り「あけぼの」。このあたりは畑地が多い一帯で、撮影スポットも多かった

 

新潟県から群馬県へ県境を越えて最初に停車したのが高崎駅だった。5時12分に到着する。日の長い季節には車窓も楽しめる時間だった。

 

神保原駅(5時31分通過)からは埼玉県へ入り、関東平野の田畑を左右に見ながら東京を目指した。5時台に高崎線を通過していったが、列車の運行終了間近には早朝にもかかわらず、列車を撮り残しておきたいというファンも多く見ることができた。

 

そして最後の停車駅、大宮駅へは6時29分に到着する。上り列車は首都圏のラッシュ時間の前に主要駅を通過するダイヤ設定がされていたのである。そういう意味でも良く考えられていた寝台特急と言えただろう。

↑日暮里駅付近で最後の走りを見せる上り「あけぼの」。厳冬期にはこうした雪をつけたままの列車を良く見ることができた

 

上り「あけぼの」は雪の多い日本海側、そして上越地方を越えて走り続けた。そのために、雪国を越えた姿そのままに首都圏に入ってくることも多かった。正面の電気機関車には雪がこびりつき、客車の下回りにも雪が多くへばりついていた。着雪が多い日には、途中駅で雪が飛んで被害を及ぼさないように、雪下ろしもされたそうだが、それでも写真のようにへばりついていたのである。首都圏に住む人たちに、雪国の便りを届ける、そんな列車でもあった。そして6時58分、ラッシュ前の終着駅、上野へ客車列車らしくゆっくりと入っていったのである。

 

特急「あけぼの」、その後に特急「北斗星」の廃止により、ブルートレインは消えてしまった。さらに急行「はまなす」の廃止で、定期的に走る客車列車も一部の観光列車をのぞき消えてしまった。なんとも寂しいここ最近となっている。とはいえその間にも時代は刻々と動いている。

 

フランスなど欧米諸国では、脱炭素化の流れが強まり、鉄道旅行が見直されるようになっている。短距離区間の移動は飛行機利用ではなく、鉄道の旅をするように推奨され、政府が鉄道の補助を行うように変わりつつある。さらに寝台列車の復活の動きも出てきたと聞く。日本では、今や寝台特急といえば、首都圏と中国・四国地方を結ぶ特急「サンライズ瀬戸・出雲」のみとなっているが、その人気は高い。

 

急がずのスローな鉄道旅行も時には良いもの。もう少し寝台列車が見直されてほしいと切に願う。