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2021/8/28 6:00

5年前に惜しまれつつ消えた豪華寝台列車「トワイライトエクスプレス」の記録【前編】

〜〜もう一度乗りたい!名列車・名車両の記録No.1〜〜

 

旅や遠出が思いどおりにできない今日このごろ。そんな時には、前に乗った、見た、撮った列車の記録を、見直し、また思い出してみてはいかがだろう。

 

筆者が最も思い出深い列車といえば豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」だ。2016(平成28)年3月22日にツアー専用列車の運行が終了して早くも5年がたつ。どのような列車だったのか振り返ってみたい。

*写真はすべて筆者撮影・禁無断転載

 

【はじめに】トワイライトエクスプレス誌・計6冊を制作する

2009(平成21)年から2016(平成28)年にかけて学研パブリッシング(現ワン・パブリッシングと学研プラス)では、「トワイライトエクスプレス」関連の専門誌を計6冊ほど発刊した。全ページ「トワイライトエクスプレス」の情報と話題のみという濃い内容。筆者はこの6冊を編集者としてまとめたが、振り返れば非常に楽しい仕事だった。

↑学研パブリッシングから6冊の「トワイライトエクスレス」専門誌が出版された。一部のみ今も学研出版サイト・ネット書店で在庫あり

 

同誌は、基本カメラマンに撮影をお願いしたのだが、何しろ長い距離を走る列車だけに、追いきれない。そこで筆者も手伝い、カメラ撮影とビデオ撮影をカバーしていた。大阪行の上り列車を新潟県の日本海沿岸で撮って、さらに福井県の敦賀まで高速道路を使ってクルマで追いかけたこともある。逆に、北へ下り列車を追いかけたこともあった。今思えばかなり無謀な行程ではあったが、当時はそれが楽しかった。

 

鉄道ライターと一緒に列車に乗車して、列車の趣を体感したこともある。そんな当時に記録した写真がふんだんにあり、今回はそうした写真類から、この名列車の面影を振り返りたい。

 

【名列車の記録①】22時間以上の時間をかけて列島を縦断する

豪華寝台列車「トワイライトエクスプレス」とはどのような列車だったのか、まずは概要を見直してみよう。

運行開始1989(平成元)年7月21日、団体専用列車として運行開始、同年12月2日に定期運行開始
運行区間大阪駅〜札幌駅
営業距離下り1495.7km、上り1508.5km
※函館本線の走行区間が下り上りで異なるため距離数に差がある
所要時間下り22時間2分、上り22時間48分(最終年の所要時間)
車両24系25形客車。牽引はEF81形交直流電気機関車、ED79形交流電気機関車、DD51形ディーゼル機関車
料金Bコンパートメント26.350円、1人用A寝台個室ロイヤル3万7570円など
※大阪駅〜札幌駅間の大人1人分の運賃+特急料金+寝台料金
運行終了2015(平成27)年3月12日、臨時運行終了(大阪駅〜札幌駅間)、2016(平成28)年3月21日、団体専用列車「特別な『トワイライトエクスプレス』」の運行終了

 

「トワイライトエクスプレス」の基本的な運行日は、大阪駅発が月・水・金・土曜の発車、札幌駅発が火・木・土・日曜。毎日走るわけではなかったため、臨時列車扱いだったが、定期運行は26年にわたった。その後に山陽・山陰方面を走る団体専用列車「特別な『トワイライトエクスプレス』」の運行が1年ほど続けられた。

↑富山県〜新潟県内はほぼ日本海に沿って走る。写真は信越本線・笠島駅〜青海川駅間で変化に満ちた海岸風景が楽しめた

 

営業距離が1500km前後と長距離で、22時間と長時間走る。本州では日本海沿岸をなぞるように走り、北海道では太平洋を見ながら走る。寝台列車としては国内最長距離、最長時間を走った列車だった。それだけに沿線各地の車窓景色が堪能できた。

※各区間の風景は後編で紹介の予定。

↑同列車の走行ルート。Mapのように本州ではほぼ日本海沿いに走った。ルートでは3形式の異なる機関車が列車を牽いた

 

料金を見るとB寝台ならば運賃など含め2万円台で、A寝台個室ならば、1人用は3万円台で列島を縦断できた。ちなみに、B寝台個室ツインは2人で5万6520円、A寝台個室スイートは2人で9万2180円だった。B寝台はかなりリーズナブルな金額だったし、A寝台個室でも極端に高い金額ではなかったように思う。

 

意外に手頃な金額だったこともあったのか、運行される列車は連日ほぼ満席・満室で、個室スイートなどの特別な部屋はそれこそ“プレミア”チケットで、手に入れるのが非常に難しかった。ちなみに6冊のトワイライト本を制作するために、スタッフ数名が複数回乗車したが、雑誌取材だからといって、特別に手配してもらえる恩恵はなかった。

 

乗車券の入手は一般の人と同じように1か月前の朝10時にみどりの窓口に並ぶ、もしくは、旅行代理店に頼んだ。懇意にしていた旅行代理店に、指定券の“獲得”が上手な営業スタッフがいて、そうした人に頼んで入手したものである。

 

【名列車の記録②】列島の四季が車窓からふんだんに楽しめた

22時間、1500kmも走るのだから、南と北ではだいぶ様相が変わる。季節によって、車窓風景の変化が楽しめることもこの列車の楽しみだった。本州では桜の開花に立ち会いつつ、北へ走るとまだ冬景色ということもあった。そんな四季で色づく列島の景色がふんだんに楽しめた。

↑北陸の石川県と富山県の県境、倶利迦羅峠(くりからとうげ)を訪れると桜が満開。そんな桜の下を列車が通り過ぎた

 

↑北海道では太平洋側は晴れていたのに、札幌付近では吹雪に急転するといった天気の変化もこの列車に乗車していると体感できた

 

車窓風景だけでなしに、車両の編成も興味深かった。客室の窓から風景を楽しめるのはもちろん、共用スペースから風景が楽しめることも、この列車の魅力になっていた。次は、列車の編成に関して振り返ってみよう。

 

【名列車の記録③】深緑色の9両の客車+電源車の列車編成

「トワイライトエクスプレス」の側面から写した車体を連ねて、解説を付けてみた。写真は下り札幌駅行の本州での列島編成だ。進行方向、左側の側面である。編成は電気機関車を頭に、すぐ後ろに電源車、その後ろに9両の客車が連結されていた。

↑計11両の車両を側面から連写。その写真を合成してみた。窓を2段にするなどブルートレインを大改造した客車が利用された

 

客車は24系25形と呼ばれる車両で、2000年代まで多く走っていたブルートレインと同形式だ。形式は同じなのだが、「トワイライトエクスプレス」の場合は大きく改造されていた。工場での改造中の写真を見せてもらったことがあるが、2段ベッドのB寝台車を除き、他は原形を留めないほど、大きく改造された。

 

各号車の概要について触れておこう。

1号車
スロネフ25形(A寝台個室)
A寝台個室のスイート1室と、1人用ロイヤル4室を備える。1号室のスイートは“展望スイート”と呼ばれるプレミアムな部屋だった(詳細後述)。
2号車
スロネ25形(A寝台個室)
2号車にはA寝台個室のスイートが1室、1人用ロイヤルの4室が設けられる。中央に大きな曲面ガラスの窓があるが、ここにA寝台個室のスイートがあった。
3号車
スシ24形(食堂車)
3号車は食堂車「ダイナープレヤデス」。おしゃれな欧風の内装が特長だった。この車両のみ屋根が低く、“きのこ型”のクーラーが載る。特急電車用の食堂車を改造したため、このスタイルとなった。
4号車
オハ25形(サロン車)
4号車はサロン車の「サロン・デュ・ノール」。大型の曲面ガラスを使った窓が並ぶパノラマサロンカーだ。室内には上下2段の座席が設けられていた。
5・6号車
オハネ25形(B寝台個室)
5・6号車は同形車で、B寝台個室のツインが7室、シングルツインが6室、用意された。シングルツインはツインに比べてせまいが2人利用も可能だった。
7号車
オハネ25形(B寝台個室)
5・6号車と同じ形式だが、2段の窓が多い。B寝台個室ツインが5・6号車の7室に対して、7号車は9室設けられ、また車両端にミニロビーが付いていた。
8号車
オハネ25形(B寝台)
開放式B寝台のBコンパート(簡易的な個室にもなる)が連なる。ブルートレイン客車と同じベッド構造だが、同列車の場合には引戸が付き4人グループ使用の時には個室として利用できた。
9号室
オハネフ25形(B寝台)
開放式B寝台のBコンパート(簡易的な個室にもなる)車両で、8号車と基本は同じだが、9号車には車掌室が付いていた。8号車と同じく横に開く引戸が付けられていた。

 

【名列車の記録④】下り最後尾にある憧れのA個室スイート

A寝台個室、B寝台個室、B寝台といった客室、寝台スペースを持っていたトワイライトエクスプレス。最も人気があったのは9両で2部屋のA寝台個室スイートだった。1号車と2号車にそれぞれ1室のみ用意された特別な部屋で、それこそ“憧れの部屋”でもあった。

 

なかでも1号車の部屋番号1のA寝台個室スイートは車両端に設けられた部屋で、部屋から列車後ろの景色が“見放題”だった。

 

特に大阪駅発、札幌駅行の下り列車の場合には、大阪駅→青森駅(運転停車 ※以下同)と、五稜郭駅(運転停車 ※以下同)→札幌駅間で、後ろ側の風景が楽しむことができた。札幌駅発の上り列車の場合には、五稜郭駅→青森駅間で列車の後ろ側の風景を楽しめたものだ。ちなみに青森駅〜五稜郭駅間は、列車の進行方向が変わるために、後ろ前が逆となる。

 

電車ならば後ろは乗務員室となるが、乗務員室の中から見る景色そのものが、部屋から楽しめたのである。これは鉄道好きにはたまらない贅沢でもあり、乗車イコール至福の時間となった。

↑スロネフ25形を最後尾に走る下り列車。部屋はスモークガラスで見えないが、スイートの室内からは素晴らしい眺望が堪能できた

 

まさに憧れの1号車のA寝台個室スイートだが、実は筆者もこの部屋に乗車したことがある。もちろん個人の旅ではなく、取材だったのだが。外からは走行シーンを撮ることが多かった列車だが、それを中から見るという特別な時間を堪能した。おもしろいのは、部屋への訪問者が意外にいたこと。中を見せていただけないかという人が複数あり、こちらは仕事ということもあり、気軽に受け入れた。海外から訪れたご夫婦の探訪もあった。

 

同部屋にはシングルベッド2つ、またソファは展開すればシングルベッドとして利用可能で3人利用が可能だった。室内にシャワー&トイレもあり、リラックスして長旅が楽しめた。さらに夕方、日本海沿岸を走るころには海に沈む夕日を見ることもできた。それこそ列車の名のもとになった「たそがれ」=トワイライトが満喫できたのである。

 

さて寝心地は? もう走っていないので書くことができるのだが、台車の上にベッドがあるせいか、震動がかなり伝わってきて熟睡できなかったと記憶している。もちろん旅をしている高揚感と、仕事で乗っている緊張感から眠気を感じなかったこともあったが……。なお、同じA寝台個室スイートは2号車の中央にもう1室があった。こちらは台車と台車のちょうど間なので、寝やすさという点で、お勧めという話を乗車した取材スタッフから聞いた。

 

やや寝にくかったとはいえ、やはり後端の客車に乗ったことはやや大げさながら一生の思い出となっている。

 

【名列車の記録⑤】食堂車&サロン車も魅力に満ちていた

「トワイライトエクスプレス」には1車両が丸ごとパブリックスペースという車両を2車両連結していた。

 

まずは3号車の食堂車「ダイナープレヤデス」。ダイナー(=食堂)プレヤデス(=プレヤデス星団/すばる)という凝った名前が付けられている。テーブルはフランス料理のフルコースに対応した大きさで、ランプなどの照明もおしゃれだった。車内の3コーナーにはステンドグラスが飾られている。

 

このステンドグラスは、国際的にも活躍しているステンドグラスの第一人者である立花江津子氏が手づくりしたものだった。筆者はこの方にお会いして取材したことがあるが、丹精を込めて造り上げたと語られていた。このような素晴らしいステンドグラスを飾られるなど、非常に凝った食堂車でもあった。

↑A寝台個室がある1・2号車と、B寝台がある5号車以降の客車にはさまれるように3号車食堂車と4号車サロン車が連結されていた

 

3号車の隣、4号車はサロン車で「サロン・デュ・ノール」と洒落た名前がつけられていた。「サロン・デュ・ノール」とはフランス語で“北のサロン”という意味だとされる。北にある北海道へ行く寝台列車にぴったりの名前でもあった。

 

車内は天井部まで回り込むような大きな曲面窓が連続している。特に日本海側の曲面窓がひと際大きく造られている。座席は大きな窓側を向いた作りで、しかもひな壇状になっている。後ろに座っても、景色が良く見えるように配慮されていた。自分の部屋で過ごすのに飽きてくるころ、また日本海が良く見える夕方になると、この車両に集う人も多かった。

 

大阪発、また大阪着という列車だったせいなのか、たとえ隣が知らない間柄でも、いつの間にか和気あいあいと親しくなってしまう。関西流の気軽さなのだろうか、そんな光景も良く見られた。景色を楽しむだけでなく、会話が弾む、楽しいスペースでもあった。時どき車掌が巡ってきて観光案内を行うといったサプライズもあった。

↑上り列車の最後尾には電源車が連結され、下りは津軽海峡線を除き、機関車の後ろに電源車がくるように列車が組まれていた

 

客車に関して、電源車のことも触れておこう。電源車の形式はカニ24形。なぜ、電源車が1両連結されていたのだろう。ブルートレインの客車形式といえば14系と24系が代表格だった。14系は電源供給するため床下にディーゼル発電機を備えていた。一方、24系は客車にディーゼル発電機を搭載せず、電源車を1両連結して、積んだディーゼルエンジンにより各車両へ電気を供給していた。

 

床下に発電機を付けないために微動もなく、客車として乗っていて静かに感じた。ちなみに電源車には3トンまで積める荷物室も付いていたが、通常時は使われなかったようである。

 

【名列車の記録⑥】3形式の牽引機関車も魅力的だった

「トワイライトエクスプレス」の記録の前編では、最後に列車を牽引した機関車にも触れておこう。同列車は3形式の機関車の牽引によって走っていた。これら機関車の引き継ぎにより約1500kmにも及ぶ長距離区間を走破していたのである。中でも最も長距離を牽引したのが次の機関車だ。

 

◆JR西日本 EF81形交直流電気機関車(大阪駅〜青森駅間)

↑本州ではJR西日本のEF81が「トワイライトエクスプレス」を牽引した。客車と同色でまた黄色い帯色が全車そろう姿が魅力だった

 

大阪駅から青森駅(運転停車)まで本州を貫く日本海縦貫線(北陸本線、信越本線、羽越本線など連なる路線を日本海縦貫線と呼ぶ)すべてを牽いて走ったのがEF81だった。客車の色に合わせて、深緑色の車体に黄色の細帯、運転席の窓周りに黄色いアクセントが入り、ピンク色の列車のヘッドマークを付けて走った。

 

EF81は直流電化区間、交流電化区間50Hzと60Hzの3つの電源方式に対応した電気機関車で、電化方式が目まぐるしく変わる日本海側の路線に対応すべく国鉄により開発され、製造された。3つの電源方式に対応した初の電気機関車でもあり、164両もの車両が造られ、旅客、そして貨物用にも使われた。

 

「トワイライトエクスプレス」運行用にトワイライト色のEF81が敦賀地域鉄道部敦賀運転センターに6両在籍したが、現在は3両まで減り、主にレール輸送など事業用に使われている。また日本海縦貫線を多く走ったJR貨物のEF81も今は同地区から撤退、九州のみを走るようになっている。

 

◆JR北海道 ED79形交流電気機関車(青森駅〜五稜郭駅)

↑早朝に青函トンネルを越えて北海道へ入った下り列車。先頭にたって列車を牽引するのがED79。シングルパンタが特長だった

 

津軽海峡線で列車を牽いたのがED79形交流電気機関車だった。ED79は津軽海峡線用に造られた電気機関車で、同ルートにある青函トンネルの急勾配、多湿環境に対応するために製造された。JR北海道の函館運輸所青函派出所に配置され、「トワイライトエクスプレス」だけでなく、特急「北斗星」「カシオペア」といった寝台列車の牽引も行った。運行最終年には8両が在籍していた。

 

JR貨物でも同形式を利用していた。貨物牽引では2両で牽く重連運転で活用された。ED79は計34両が造られたが、北海道新幹線の開業時に、青函トンネル内の電化方式が変更されたことから、全車が廃車となっている。

 

◆JR北海道 DD51形ディーゼル機関車(五稜郭駅〜札幌駅)

↑北斗星塗装のDD51が2両重連で、「トワイライトエクスプレス」を牽引した。「北斗星」用の塗装だったが、意外と絵になった

 

北海道ではDD51形ディーゼル機関車が2両重連で牽引を行った。DD51は国鉄が製造したディーゼル機関車で、非電化区間ではこの機関車の独壇場といった活躍ぶりを見ることができた。道内では、「トワイライトエクスプレス」だけでなく、「北斗星」「カシオペア」の牽引も行った。元々、「北斗星」の運行開始に合わせて、塗装も北斗星仕様としたが、「トワイライトエクスプレス」を牽引しても絵になったように思う。JR北海道のDD51は函館運輸所に10両(2015年4月1日現在)が配置されていた。

 

北海道新幹線の開業時に定期運行される寝台列車が消滅したことから、全車が廃車されている。他のDD51はJR貨物の車両が東海地方で走っていたが、2021年3月で引退となった。残りはJR東日本とJR西日本に事業用として残るのみで、ごくわずかとなっている。ちなみに北斗星塗装のDD51は海外に譲渡され、そのままの塗装でミャンマーやタイで活躍していることが伝えられている。

 

ED79やDD51といった牽引機が消えてすでに6年。時代の移り変わりの速さに改めて驚かされる。