全国を走る路面電車の旅 第8回 万葉線(富山県)
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万葉集を編纂(へんさん)した大伴家持が、国守として伏木(射水市・いみずし)に赴任したことにちなんだ「万葉線」という路線名。路面電車の路線ながら、クルマと並走する併用軌道の区間と、景色が楽しめる郊外電車の趣と、変化に富んだ車窓が楽しめるとあって、訪れるファンが多い路線だ。
【歴史】港建設で路線が分断ーー越ノ潟が新たな終着駅に
万葉線は、高岡駅から射水市の越ノ潟(こしのかた)を結ぶ12.9kmの路線だ。高岡駅から六渡寺(ろくどうじ)までの高岡軌道線は、ほとんどが車道の中央を走る併用軌道の区間。六渡寺〜越ノ潟は専用軌道区間で、新湊港線が正式な路線名だ。
万葉線は複雑な経緯をたどってきた路線でもある。その歴史を整理してみよう。
①富山市側からの路線
万葉線の始まりは1924(大正13)年に越中電気軌道が富山北口駅〜四方駅間を開業したことが起源だ。現在の万葉線の区間では、1930(昭和5)年に越ノ潟〜新湊東口(現・東新湊)間が開業した。
②高岡駅からの路線開業
富山地方鉄道によって、1948(昭和23)年に地鉄高岡〜伏木港(現在は廃止)間が開業。その後、新湊(現・六渡寺)で富山市から延びる路線(当時は富山地方鉄道射水線)と接続された。
③新港建設で路線分断
富山新港の建設によって、1966(昭和41)年に富山地方鉄道の射水線が分断される。電車は、現在の万葉線の運転区間である高岡駅前〜越ノ潟間での運行となった。
高岡駅〜越ノ潟の区間は、その後、加越能鉄道が路線を引き継いだが、旅客の減少にあえぎ、路線を廃止してバス代替えという計画が持ち上がっていた。だが、地元の大切な足でもある万葉線。人々は存続を強く望んだ。
そこで、地元の高岡市と射水市(旧新湊市)が中心となり、第三セクターによる経営の万葉線株式会社を設立。2002(平成14)年に鉄道運行を引き継いだ。その後、新型車両が導入されるなど、積極的な経営を続けている。2014年3月には、JR高岡駅前に高岡ステーションビルが誕生。その1階に高岡駅停留場が造られ、より利用しやすくなっている。
【車両】新旧2タイプの車両が高岡の街をのんびりと走行
万葉線を走る電車は2タイプ。加越能鉄道時代の1967年に導入されたデ7070形と、2000年代、現在の万葉線の経営となってから導入されたMLRV1000形、愛称は「アイトラム」だ。この愛称、公募により命名されたもので、富山湾を吹く「あいの風」と、路面電車「トラム」をかけあわせたもの。真紅の電車以外に、水色車体、キャラクターでラッピングされた「ドラえもんトラム」も1編成が走っていて、子どもたちの人気が高い。
【沿線風景】全長416.5mのガーダー橋を路面電車が渡る
沿線のポイントを見ておこう。まずは高岡駅から米島口までの併用軌道区間。路線はほとんど単線だが、途中で列車交換が可能な複線区間(信号所)が設けられている。全国でも単線区間が主流という路面電車の路線はあまり見ない。なかなか合理的な造りの路線といえるだろう。
米島口〜能町口間でJR氷見線の線路を越える。能町口〜六渡寺間は併用軌道区間だが、道は細く車と共に走る姿はややスリリングですらある。六渡寺〜庄川口間は全長416.57mを越える専用橋で庄川を越える。ガーダー橋を渡る電車の雄姿が楽しめるポイントだ。
そして射水市の中心部を過ぎ、晴れた日には立山連峰が美しく望める内川橋を渡ると、電車は終点の越ノ潟へ到着。約45分間の充実した乗車時間が終わる。
沿線でぜひ訪れたいのは高岡市街、山町筋(片原町電停に近い)。この一角は旧北陸道沿いに栄えた商人町で、いまも古い町家や、レンガ造りの洋風建築が残る。2000年には、国の伝統的建造物群に選定された。高岡市内では、ほかに金屋町も同じ伝統的建造物群に選定されている。高岡城址、高岡大仏など観光スポットもあり、万葉線の乗車とともに、ゆっくり街歩きを楽しみたい。
【TRAIN DATA】
路線名:万葉線(高岡軌道線・新湊港線)
運行事業体:万葉線
営業距離:12.9km
軌間:1067mm
料金:150円〜350円
開業年:1924(大正13)年
*現在の運行区間では越ノ潟〜新湊東口(現・東新湊)間が1930(昭和5)年に開業