おもしろローカル線の旅74 〜〜JR指宿枕崎線(鹿児島県)〜〜
ようやく新型コロナウィルス感染症の状況も改善しつつあり、旅へも出やすくなってきた。本サイトでも1年ぶりに「おもしろローカル線の旅」を復活させたい。
復活最初に紹介するローカル線はJR九州の指宿枕崎線。鹿児島県薩摩半島の最南端を走る路線である。一部の駅は以前に訪れたことがあったものの、〝全線完乗”するのは初めて。途中で写真を撮っての旅となると相当の時間がかかった。一方で地元の人との触れ合いや、長時間にわたる暇つぶしも。やや“珍道中”となりつつも、記憶に残る旅となった。
【最南路線の旅①】意外!? 全線開業したのは太平洋戦争後だった
まずは指宿枕崎線の概要を見ておこう。路線の歴史はそれほど古くはない。意外にも全線が開業したのは太平洋戦争が終わって、かなりたってのことだった。枕崎市という遠洋漁業の基地があるにもかかわらず、路線の延伸はなかなか果たせなかったのである。
◆指宿枕崎線の概要
路線と距離 | JR九州 指宿枕崎線/鹿児島中央駅〜枕崎駅87.8km 全線単線非電化 |
開業 | 1930(昭和5)年12月7日、西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)〜五位野駅間が開業、1936(昭和11)年3月25日に山川駅まで延伸開業。枕崎駅まで延伸開業は1963(昭和38)年10月31日のこと。この時に路線名を指宿枕崎線に変更。 |
駅数 | 36駅(起終点駅を含む) |
指宿枕崎線が全線開業したのは前回の東京オリンピックの前年にあたる1963(昭和38)年のこと。遠洋漁業の基地がある枕崎市という規模の大きい町がありながらである。
これには理由がある。鹿児島交通枕崎線という私鉄の路線が、すでに枕崎へ到達していたからである。枕崎線は、鹿児島本線の伊集院駅と枕崎駅を結ぶ49.6kmの路線だった。南薩鉄道という名前で路線を開業、1914(大正3)年4月1日に伊集院駅〜伊作駅間が開業、1931(昭和6)年に枕崎駅までの路線を延ばしている。ちなみに路線の途中、阿多駅から知覧駅(ちらんえき)を結ぶ知覧線という支線も設けられていた。
つまり、公営の指宿枕崎線の路線(一部開業当時は指宿線)が造り始められていたころ、すでに枕崎駅まで私鉄路線があったわけで、当時の鉄道省(国鉄の前身)としては何が何でも鉄道を延ばそうとはならなかったようである。
この鹿児島交通枕崎線だが今はない。1984(昭和59)年3月18日で全線が廃止されている。指宿枕崎線の全線が開業してから、20年後に起きた集中豪雨の影響で運休となり、その1年後に正式に路線廃止となっている。
【最南路線の旅②】西大山駅&完乗は計画的に動かないと難しい
指宿枕崎線を旅するにあたって、どのように乗れば効率的なのかプランニングしてみた。途中、JRの路線最南端にある駅、西大山駅へ降りて、そこで写真を少し撮ってから終点の枕崎駅を目指したいな、と考えた。
ところが、路線の途中にある喜入駅、さらに山川駅までは列車の本数が多いのだが、山川駅〜枕崎駅間は超閑散路線となる。西大山駅は山川駅から2つ先にある。ということは列車の本数が極端に少ない区間にあるわけだ。山川駅から先は日に7本、さらに終着の枕崎駅へ走っている列車となると6本になる。さらに日中ともなると2時間、3時間、列車がない時間帯がある。しかも午前中は枕崎駅着7時25分の1本しかないという具合なのである。
指宿枕崎線の始発列車は早い。朝4時47分、鹿児島中央駅発の列車がその日の一番列車となる。途中、山川駅での乗り換えがあるが、この列車を使えば7時25分に終着の枕崎駅へ到着することができる。
とはいえ、旅先では朝5時前の出発はつらい。さらに、この列車を利用しても、枕崎駅で折り返し列車の発車が7時35分で、駅での時間の余裕が10分しかない。もし、この7時35分の列車に乗らないと、次は13時20分までないのである。ということは始発で動くと、枕崎駅で5時間45分も待たなければならない。始発で終点まで行ってしまうと、枕崎駅で過ごす時間がほぼない。また、始発の列車に乗って西大山駅で途中下車しても、次の下り列車が5時間半も来ない。これはかなり厳しい。
そこで次のような行程で動くことにした。
鹿児島中央駅6時20分発→山川駅7時33分着→(他列車に乗り継ぎ)→山川駅7時36分発(西頴娃駅行き)→西大山駅7時48分着
さらにその先は、
西大山駅11時54分発→枕崎駅12時56分着(折り返し)、枕崎駅13時20分発→指宿駅14時44分着
これでも西大山駅で4時間ほどの空き時間が出てしまうのだが、まあそれは仕方がないと諦めた。午前中から動こうとするとこのプランしかひねり出せなかったのである。
【最南路線の旅③】鹿児島湾が見え始めるのは平川駅の先から
秋ともなると南国、鹿児島でも夜明けは遅い。旅をしたのは10月17日(日曜日)のこと。この日の日の出の時間は6時22分。指宿枕崎線の列車の発車時間6時20分とほぼ同時刻だった。列車はまだ暗い中、ディーゼルエンジン特有の音を奏でつつ鹿児島中央駅を発車した。
車両はJR九州の気動車キハ200系。鹿児島を走るキハ200系は黄色い塗装で、側面の「NANOHANA」(なのはな)と大きくロゴが入る。乗車した2両編成の座席はロングシート、片側3扉の近郊用気動車である。
ロングシートで〝旅の気分〟はあまり高まらずだが、鹿児島中央駅〜山川駅は、このキハ200系(クロスシート車両もあり)で運行されることが多い。列車が走り出してしばらく、進行左手を鹿児島市電・谷山線の線路が近づいてくる。そして指宿枕崎線と平行して走るようになる。
指宿枕崎線の駅名と、この鹿児島市電の停留場名は複数が同じだ。同じだから乗り換えできるのだろうと思われそうだが、離れている駅が多いので注意したい。接続しているのは南鹿児島駅のみだ。
指宿枕崎線も鹿児島市内では、通勤路線の趣で高架線区間がある。ローカル線のイメージは薄い。旅情豊かなローカル線の趣が味わえるのは、鹿児島中央駅から8つめの平川駅付近からだ。平川駅を過ぎると、間もなく進行左手に鹿児島湾(錦江湾)が見え始めるようになる。ここからしばらくは海に付かず離れずの路線区間となる。
指宿枕崎線の観光ポスターなどで使われる写真を撮影できるのが平川駅〜瀬々串駅(せせくしえき)間の歩道橋上にあるスポット。後ろに鹿児島湾が見え、南国らしい風景が見渡せる。筆者もだいぶこのあたりには通ったが、このスポット以外に背景に海を写し込める箇所がほぼない。山側から写すことが難しい路線区間でもある。よって、この定番スポットが観光用に使われることが多いのであろう。
対して指宿枕崎線の車内から見る鹿児島湾の美景は素晴らしい。つまり撮影者たちが苦労して撮る風景を、指宿枕崎線に乗れば誰もが楽しめてしまうというわけである。
【最南路線の旅④】指宿といえば温泉だが帰りに立ち寄ることに
朝6時20分発の山川駅行き。平川駅を過ぎ、鹿児島湾が左手に見え始める。ちょうど朝日が向かいの大隅半島方面から海を赤く染めつつ上ってきていた。そんな感動的な景色を眺めながら列車は進む。海上に大型船が数隻浮かぶのが見える。進行方向、左手先にはENEOS喜入基地の大きな石油タンクが見えてくる。基地の最寄り駅、喜入まではほぼ30分おきに列車が走っていて列車本数が多い区間だ。ここまでは鹿児島の郊外路線といった趣が強い。
喜入駅、前之浜駅を過ぎ、再び鹿児島湾沿いを走り始める。車窓から亜熱帯の植物も見られるようになり、より南国ムードが増していく。マングローブ樹種のメヒルギ群落の北限地も路線沿いにある。人工的に植えた亜熱帯の木々でない自然のままの南国の木々が、ここでは見ることができるわけだ。薩摩今和泉駅(さつまいまいずみえき)から指宿市となる。指宿市はこの沿線屈指の温泉郷で、全国から訪れる人も多い。
観光客の多くが乗車するのが特急「指宿のたまて箱」で鹿児島中央駅と指宿駅の間を1日に3往復走る。車内は鹿児島湾側が良く見えるような座席配置となっている。指宿は浦島太郎伝説の発祥の地でもあり、発着する駅では、列車から玉手箱から出るような白煙が立ち上る。そんな演出が楽しい人気の観光列車でもある。使われるのはキハ140形とキハ47形の組み合わせで、JR九州の列車デザインを多く手がけてきた水戸岡鋭治氏が作り上げた「水戸岡ワールド」全開といったD&S列車(デザイン&ストーリー列車)である。
さて、今回の指宿枕崎線の旅では、指宿に帰りに訪れることにしたものの、先に指宿の簡単な説明をしておきたい。指宿は日本屈指の温泉町だ。駅前にも屋根付きで広めの足湯があり、温泉の良さを気軽に楽しむことができる。市内には温泉宿がふんだんにあるほか、駅近くにも日帰り温泉や、銭湯があり、宿泊せずとも温泉が楽しめる。
さらに、指宿ならではの温泉の楽しみ方といえば「砂むし」。温泉の蒸気で熱せられた砂の上に寝て、スタッフに砂をかけてもらう。10分も入れば、汗が吹き出してくる。浴衣を着て楽しむ天然サウナなのであるが、サウナとは違うのは、砂に包まれて横になってリラックスできること。生き返ったような、また天に舞い上がるような感触が楽しめる。山川にも砂むしがあるので、時間に余裕がある時は楽しんでみてはいかがだろう。
温泉の楽しみは次の機会にして、今回はローカル線の完乗で1日をまとめることにする。
【最南路線の旅⑤】早朝に山川駅で乗り換え西大山駅を目指した
指宿駅の一つ先の駅が山川駅だ。進行左手に山川港が見えてきてまもなく同列車の終点、山川駅に到着した。ちなみに、山川駅はJRの路線では最南端の有人駅でもある(ただし全時間が有人ではなく、時間・曜日限定ではあるのだが)。
乗った列車は山川駅の駅舎側の1番線ホームに到着、2番線ホームにすでにキハ40系1両が停車していた。到着してから3分後、山川駅発の西頴娃駅(にしえいえき)行き列車となって出発する。乗り換えは地上の構内踏切を渡ればすぐなので、手間いらずだが、何ともこのあたり慌ただしい。また興味深い車両の変更である。
キハ200系は2両で運行、そして乗り継ぐキハ40系は1両での運行となる。要はこの先の区間は乗車する人がそれだけ減るということなのだろう。でも他に理由があるのではと推測したのだが、そのあたりの話はのちほど。
筆者が乗車したのは日曜日のせいか乗客が少なく、地元の利用者は皆無だった。観光客が数人、残りは〝乗り鉄〟といった具合だった。少なめの乗客を乗せて走り始める。キハ200系よりも、古い国鉄時代生まれのキハ40系。次の大山駅の手前には勾配区間があり、ディーゼルエンジンを高らかに奏でながらゆっくり勾配を登っていく。車両の必死さが伝わってくるようだ。それでもスピードは上がらず……。このあたり鉄道好きにとって、たまらなく楽しいところでもある。
大山駅を過ぎると、畑地が見渡す限り広がるようになる。そして朝の7時48分、この日の最初の目的地、西大山駅に到着した。
西大山駅はJR最南端の駅で、ホームに「JR日本最南端の駅」という標柱が立っている。鉄道最南端の駅というと、現在は沖縄県の沖縄都市モノレール線の赤嶺駅となるのだが、2本レールの鉄道ならば、ここが正真正銘の最南端の駅と言って良いだろう。
筆者は西大山駅に訪れたのは3回目だったが、列車で来たのは今回が初めてだった。車ならば、鹿児島市から1時間ちょっとの距離。ところが列車を使うと1時間30分〜50分かかる。この先に行こうとなるとさらに大変だ。
駅前には大きな駐車場がある。列車利用の人向けではなく車利用の観光客向けのものだ。多くの人が薩摩半島を巡るドライブの一つの目的地として西大山駅を訪れて〝最果て感〟を楽しむ。さらに魅力なのが、ホームの先から秀麗な開聞岳が望めることであろう。この開聞岳が、同駅のアクセントにもなっている。美景がなければ、ここまで観光客に人気にはならなかったように思う。
さて、西大山駅へ降りたのはいいのだが、次に乗る枕崎駅行きの列車は4時間待ちになる。何をして過ごそうか、とても悩んでしまうのであった。
【最南路線の旅⑥】これぞ正真正銘の日本最南端の踏切へ
4時間の合間に、まずは2本の上り列車を撮影することにした。8時36分と、9時11分の2本が西大山駅へ到着する。どこで撮るかを悩みつつ選んだのが、西大山駅の西側にある西大山踏切という遮断機付きの踏切。この踏切は正真正銘、日本の鉄道最南端の踏切となる。
もう一か所は、西大山駅の東側にある中学校踏切付近。ここから開聞岳を背景に走る列車を撮影してみた。中学校の名がつく踏切だが、現在、付近には中学校がない。昔あったことからこの名がついたのであろう。よく知られている撮影地としては、他に駅の東側、徒歩20分のところに県道242号の大山跨線橋がある。青春18きっぷの2010年夏用ポスターがここで撮影された。スケール感のある景色が魅力だが、こちらは開聞岳側に歩道がなく、危険と隣り合わせのため、あまりお勧めできない。
さて、中学校踏切の横から撮った開聞岳が下記の写真。撮ってはみたものの、西大山駅の上に電柱と電線があって今ひとつだなと思った。
とはいえ、先の西大山踏切が日本最南端の踏切ならば、この中学校踏切は日本で2位となる南にある踏切ということで、記憶には残るように思った。
【最南路線の旅⑦】次の列車までの4時間空きはさすがに辛い
2本目の上り列車が9時11分に通りすぎ、次の枕崎駅への下り列車の発車は11時54分と時間が大きく空いてしまった。さてどうしたら良いのだろう。
まずは西大山駅前の土産物店で、指宿名物のマンゴープリンとマンゴーサイダーを店内でいただいた。さらに指宿観光協会が発行しているJR日本最南端の「駅到着証明書」を購入。同土産物店にはトイレもあるので、休憩に最適だ。ただ、店の人たちと会話をしつつも、小一時間の滞在時間が精いっぱい。とりあえず動こうと、店を出たのだった。
向かったのは西大山駅の一つ先の薩摩川尻駅(さつまかわしりえき)。地図で調べてみると、距離にして1.6km、約20分で着けるとあって、ちょうど暇つぶしには最適だなと思って歩き出した。
西大山駅から薩摩川尻駅まで歩いたのは正解だった。前述した西大山踏切から畑の中に伸びる道をのんびりと歩く。畑には整然とキャベツが植えられ、その畑ごしに海が見えた。歩くにつれ、畑の先にそびえる開聞岳がよりきれいに見えるようになる。何ともすがすがしい光景に出会ったのだった。とはいっても、のんびり歩いても、30分ほどで隣の駅の薩摩川尻駅に着いてしまった。
西大山駅がJR最南端駅ならば、この薩摩川尻駅がJRで2番目の南の駅となる。ただ、何もない駅なので、観光客は皆無だった。2番目というのはそれほど魅力にはならないようだ。また、薩摩川尻駅からは、近いにもかかわらず開聞岳があまり見えない。美景が見えたら、観光客も訪れるのだろうが。
ちなみに、指宿市川尻という大きな町が駅から2kmほど南、太平洋に面した場所にあり、この地名から駅名が付けられたと推測される。とはいえ、川尻の人は指宿枕崎線を使わず、ほぼ100%が車利用となるようだ。駅に隣接する踏切を通る車はそれなりにあるのだが、駅にいる人は皆無だった。これから1時間半、列車が来るまでどうしたら良いのだろう。
仕方なく駅のベンチに座って、しばらくうたた寝。朝早く起きた眠気を取り去る。それでも時間がもたずに駅付近をぶらぶら。軌道用の重機が置かれていたり、人がいない駅なのにきれいな電話ボックスがあったり、ちょっと不思議な駅でもあった。そんな時に農家の男性が通りかかった。
駅の裏手にあるハウスで野菜づくりをしている方だった。日中、この駅で列車待ちをする人はほとんどいないそうだ。利用は朝夕に乗降する学生ぐらいなのだろう。
この日は日曜日だったので、「仕事はいいんだ」と長い間、世間話に熱中してしまう。いろいろ話をするうちに、薩摩半島のこのあたりは「意外に雨が降らない」と聞いた。それでも山の上に池田湖があって、この付近は水不足にならないそうだ。九州はここ数年、集中豪雨の被害にあった地区も多い。同じ鹿児島県、隣県の宮崎県を走る日南線が、豪雨災害のため運休となっている。ただ、夏はかなり暑い地区だそうで、「このあたりでは、夏は北海道へ行って、向こうで野菜づくりをする人がいるね。で、冬はこちらに戻ってきて野菜をつくるんだ」そうだ。
冬でも温暖な気候の薩摩半島の夏はさすがに暑い。一方、北海道では冬には農作業はできない。日本列島の南北を行き来するという思いきったことをする農家の人たちが出現していることを初めて知った。そんな会話を楽しんでいるうちに時間が過ぎていく。暇だったものの、男性の出現で有効な時が過ごせたのだった。
【最南路線の旅⑧】南の路線は線路端の草木の勢いが半端ない
薩摩川尻駅11時56分、ようやく枕崎駅行き列車が到着する。今度はキハ47形が2両編成だ。1両だけでなく、2両という編成での運行もある。ただし、山川駅〜枕崎駅間は、ほぼキハ40系の国鉄形気動車一色となる。鉄道ファンにとってはうれしい列車なのだが……。
古い車両がなぜ使われるのだろうか。もちろん、利用者が少ないということが一つの理由ではある。加えて、他の路線ではあまり見かけない光景がこの指宿枕崎線では繰り広げられていたのである。
南国のせいなのか、左右の草木の伸び方が並みではないのである。もちろん、鉄道敷地内の草刈りは、JR九州の手で行われているようだ。だが、敷地の外の草木となると、著しく運行を妨げる枝以外は切ることができないのが実情のようだ。薩摩川尻駅に次のような貼り紙にあった。
JR九州からのお願いとして、「線路側に木が倒れないように管理をお願いします」。貼り紙には特急「指宿のたまて箱」に倒木があたり、正面の運転席のガラス窓が破損した時の写真が掲載されている。
「倒木により当社に損害が発生していれば、賠償請求をする場合がございます。線路のそばで木を切る際は事前にJR九州に連絡をお願いします。伐採中に線路側へ木が倒れると列車の運行に支障をきたします」とあった。
このような貼り紙を鉄道路線で見たのは初めてだった。倒木にまで至るトラブルは極端な例ながら、左右両側から想像を絶するほどの草木が張り出していた。その張り出し方は乗車していても良く分かる。
途中、外気が気持ちよかったので、ガラス窓を少し開けておいた。その開いた窓から草木が入る。〝ビシッ〟〝バシッ〟と窓ワクを叩く音とともに、油断すると入ってくる草木に腕を擦られることに。この路線に限っては、窓開けには注意が必要なことがよく分かった。当然ながら車両も草木が擦りつけられることによって、多くの傷がつくことになるのだろう。頑丈な車体を持つキハ40系が使われる理由の一つになっているのかも知れない。
薩摩川尻駅から乗車したキハ47形の車窓からは、開聞岳はそそり立つように見える。東開聞駅、開聞駅を過ぎると、開聞岳は徐々に左手後方に遠ざかり小さくなっていく。
入野駅から先は、進行方向の左手、やや遠めながら東シナ海が見えるようになる。頴娃駅、西頴娃駅と難読駅名が続く。ちなみに頴娃駅はローマ字ならば「ei」。2文字は国内では「津駅」に次ぐ短い駅名だ。
指宿枕崎線の列車は進行左手に海と集落を、右手に丘陵地を眺めつつ進む。
【最南路線の旅⑨】終着駅の枕崎での滞在時間は24分のみに
枕崎駅への到着は12時56分、乗車した列車は鹿児島中央駅からの直通列車だったが、2時間54分かかった。朝6時20分に鹿児島中央駅を出た筆者にとっては、途中下車し、余計な時間を過ごしたものの合計6時間36分かけての終着駅・枕崎駅への到着となった。
枕崎駅はJR最南端の始発・終着駅となる。そんな枕崎駅まで乗車してきたのは、ほとんどが鉄道ファンという状況だった。3時間近く、のんびりローカル線に乗るというのは、一般の人ならば苦痛を伴うかも知れないが、鉄道ファンにとっては至福の時となるようである。
そして大半が24分後に折り返す列車に乗ろうとしているようだった。多くが、最南端終着駅に関わる関連施設の撮影に大わらわだった。筆者の場合は、街中に残る鹿児島交通枕崎線の路線跡を探そうと歩き回った。
さて、駅に戻ると駅前に立つ案内に目が引きつけられる。そこには「本土最南端の始発・終着駅」とあり、宗谷本線稚内駅から3099.5km、最北端から南に延びる線路はここが終点です、とあった。
稚内駅からこの駅まで乗り継いで旅する人がいたとしたら、枕崎駅に到着した時は感慨ひとしおだろう。筆者もゆくゆくは、最北端の稚内駅、最東端の根室本線東根室駅を目指してみたいなと思うのだった。
ちなみに、鹿児島中央駅と枕崎駅間にはバスが走っている。所要時間は1時間20分〜2時間弱の距離だ。本数も1日に9往復走っている。他に鹿児島空港との間にもバス便(1日に8往復)が出ている。このバス便の便利さを知ってしまうと、指宿枕崎線を枕崎駅まで乗る人があまりいない理由が分かる。言葉は悪いものの〝物好き〟しか完乗しない路線だったのである。