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2021/10/23 6:00

今のうちに乗っておきたい!懐かしの鋼製電車が走る「西武鉄道」の3路線

〜〜乗りたい&行きたいローカル線車両事典No.5〜〜

 

今回紹介する西武鉄道も含め、大手私鉄の電車といえば、最近はステンレス製の電車が多くなってきた。その一方で鋼製電車が減りつつある。

 

ステンレス製の電車は現代的でおしゃれだが、鋼製電車も捨てがたい。さらに、西武鉄道の鋼製電車は自社の車両工場で造ったメイドインSEIBUそのものなのだ。いま、そんな西武の自社車両も数が減り、走る路線も限られてきた。今のうちに乗って、その良さをしっかり目に焼き付けておきたい。

*運行情報は10月21日現在のものです。変更されることがありますのでご注意ください。

 

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【はじめに】西武鉄道の路線網に隠されたライバル3社の争い

車両の話をする前に、まずは西武鉄道の路線網を確認しておこう。西武鉄道の路線は東京の北西部一帯に広がっている。西武新宿駅〜本川越駅間を走る西武新宿線と、池袋駅〜吾野駅間を走る西武池袋線が幹線にあたり、ほか西武拝島線、西武秩父線といった路線に、特急・急行などの優等列車が走る。

 

路線地図を見ると不思議なことに気が付く。三多摩地区に、複数の支線が集まっているのである。特に東京都と埼玉県の間にある多摩湖、狭山湖の周辺には、西武多摩湖線、西武園線、西武狭山線と、3本の路線が集中している。西武国分寺線、西武多摩湖線は一つの会社なのに、路線がほぼ平行して走っている。この両線は東村山市内で立体交差しているのに、接続する駅がないというちょっと不思議な〝事実〟もある。

 

筆者は東村山市出身で、幼いころから国分寺線で通学していた。小さい時には感じなかったのだが、鉄道に興味を持ち始めてからは、不思議だなと思っていた。

↑太平洋戦争前の旧西武鉄道と、旧武蔵野鉄道の路線図。所沢駅で両社は接続していたが、それぞれの路線は無視され記されていない

 

この〝路線密集〟は同社の歴史にその理由があった。

 

太平洋戦争前に東京の北西部には、旧西武鉄道と武蔵野鉄道という2社の路線網があった。現在の国分寺線(開業当時は川越鉄道川越線)と新宿線(開業当時は村山線)を敷いたのが旧西武鉄道で、池袋線を敷いたのが武蔵野鉄道だった。

 

さらに、多摩湖線という路線も誕生していた。多摩湖線は1928(昭和3)年に国分寺駅〜萩山駅間の路線を開業。1930(昭和5)年1月23日に村山貯水池(仮)駅まで路線を延伸させた。

 

この多摩湖線を敷いたのが多摩湖鉄道で、その親会社が箱根土地。同会社を率いたのが堤康次郎である。堤は〝ピストル堤〟という異名を持つ実業家で、その辣腕ぶりが際立っていた。東京都下では国立などの街造りを手がけている。もともとは鉄道経営に乗り出す気持ちは薄かったとされている堤だが、沿線の宅地開発を円滑に進めるために多摩湖鉄道を開業させたことを契機に、鉄道路線の経営にも乗り出すようになる。

 

多摩湖線の終点近くにある村山貯水池(多摩湖)は、1927(昭和2)年に誕生した人造湖だ。東京市民に水を安定して供給するための貯水池で、同貯水池の北西に、同じ1934(昭和9)年に山口貯水池(狭山湖)も誕生している。両貯水池は誕生当時、東京市民の人気の観光スポットとなり、訪れる人も多かった。そのために3つの鉄道会社により複数の路線が設けられたのである。

↑狭山丘陵の窪地を利用して設けられた村山貯水池。都内最大規模(他県にまたがる湖は他にある)の湖でもある。最寄り駅は多摩湖駅

 

貯水池近くの駅として、多摩湖鉄道の村山貯水池(仮)駅が設けられた。さらに、旧西武鉄道の村山貯水池前駅が1930(昭和5)年4月5日に開業。現在の西武園駅にあたる駅だが、場所は現在の駅の位置より貯水地の築堤に近いところに設けられた。

 

旧武蔵野鉄道は、この2つの駅開業よりも1年前の、1929(昭和4)年5月1日に村山公園駅を開業させている。この駅は現在の西武球場前駅により、村山貯水池側によった場所に設けられていた。村山公園駅は、4年後の1933(昭和8)年に村山貯水池際駅と名を改めている。

 

このように、似たような名前の駅が村山貯水池周辺に3つあったわけで、当時の人は、非常に分かりにくく困ったことだろう。さらに3社によって観光客の〝争奪戦〟が行われたのである。

 

当時は昭和恐慌真っ最中の時代であり、多くの鉄道会社が経営危機に陥っていた。もともと、旧西武鉄道、武蔵野鉄道とも開業以来、鉄道経営は順調と言えず、さらに新線の延伸効果も薄く混迷を極めていく。

 

そんなさなか、堤康次郎は多摩湖鉄道だけでなく、武蔵野鉄道の経営の実権を握っていき、さらには太平洋戦争下の1943(昭和18)年に箱根土地が旧西武鉄道の経営権を獲得して、現在の西武鉄道の礎を造っていった。結果的に、小さな鉄道会社が大きな鉄道会社を飲み込んでいった形である。

 

なぜ、このあたりの路線の話をしたかといえば、いま、村山貯水池(多摩湖)、山口貯水池(狭山湖)を巡る路線に鋼製電車が走り、鉄道ファンとしてみれば、非常に〝熱い〟路線エリアであるからだ。西武狭山線と西武多摩湖線の間を走る西武山口線にはレトロカラーの車両も登場、懐かしの西武電車の〝天国〟で、古くからの西武ファンにとっては、何とも楽しいところになっている。

 

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