〜〜東武鉄道鬼怒川線のSL列車(栃木県)〜〜
東武鉄道の人気のSL列車「SL大樹(たいじゅ)」がこの秋に大きく変わった。新たな展望車が連結されるようになったのである。11月に入り2週連続で週末に訪れたが、紅葉シーズンと新型車両の登場が重なり、鬼怒川温泉駅は賑わっていた。
登場してから4年。列車も沿線も確実にパワーアップして魅力の度合いを高めている。列車の誕生を含め、改めて「SL大樹」の旅を見直していきたい。
【東武SLの旅①】「SL大樹」の生い立ちを振り返る
「SL大樹」は2017(平成29)年8月10日に、東武鉄道鬼怒川線の下今市駅〜鬼怒川温泉駅間を走り始めた。運転開始以来、今年で4年となる。
東武鉄道では、運転の開始前から長期にわたりSL列車運行の準備を始めていた。同社がかつてSLの運転を行っていたのは1966(昭和41)年6月まで。すでに半世紀の時が流れ、SLのことを知っている社員はほとんどいない状態から進められた。
SL列車の運転を行っていた大井川鐵道ほか多くの鉄道会社に協力を求め、社員を派遣し、運転方法、整備方法を長期にわたって学ばせ、技術を習得させた。そして複数の鉄道会社から車両を購入、または借用し、転車台などの施設も遠方から運び整えるなど、大規模プロジェクトとして計画が進められていった。そして2016(平成28)年12月1日に蒸気機関車C11形207号機を報道陣に公開するまでに至ったのである。
公開された後も、すぐには運転開始されなかった。鬼怒川線を使っての試運転、習熟運転が半年にわたって続けられた。そして満を持しての2017(平成29)年8月10日の運転開始となったのである。
「SL大樹」は、東武鉄道の列車の乗車率を高めるためだけに運転が始められたわけではない。SL列車が走る鬼怒川温泉の人気を取り戻すという大きな使命があった。
鬼怒川沿いに温泉旅館が建ち並ぶ鬼怒川温泉。この温泉郷には大規模なホテル・旅館が多い。1960年代の高度経済成長期には社員旅行や団体旅行が大流行し、それに合わせて規模を拡大した宿が多かった。しかし、時代は大きく変化していき、社員旅行・団体旅行はすたれていく。廃業する宿も目立っていった。
鬼怒川温泉は日光市の藤原地域にある。藤原地域の「入込客」の推移を見てみると、2010(平成22)年度の237万3390人をピークに、その後、170万人台と落ち込んでいる。こうした藤原地域のてこ入れ策の一つとして「SL大樹」運行が計画されたのである。
「SL大樹」の運転が開始された2017(平成29)年度には「入込客」は233万5212人まで復活、以降、230万人前後で推移している。昨年度こそ新型コロナ感染症で「入込客」が減ったものの、SL列車の運転は一定の成果をもたらしたのだった。
SL列車の運転だけでなく、鬼怒川温泉駅の目の前に転車台を設けたのも効果があったのではないだろうか。転車台で行われる蒸気機関車の方向転換作業は鬼怒川温泉の人気のイベントとして定着している。転車台は、通常は駅構内にあり、利用者にはあまり縁のない作業だった。しかし、東武鉄道ではSL列車が走る鬼怒川線の起点、下今市駅とSL列車が折り返す鬼怒川温泉駅の両駅で、観光で訪れた人たちが楽しめる場所に転車台を設け、それをイベント化してしまった。これは実に画期的なプランだったように思う。
【東武SLの旅②】SL運転に使われている車両をチェック!
ここで「SL大樹」に使われる車両を整理しておこう。まずは蒸気機関車から。
◆蒸気機関車 C11形207号機
元はJR北海道で観光列車の牽引用に活躍していた蒸気機関車で、「SL大樹」の運転開始にあたりJR北海道から借用する形で、東武鉄道へやってきた。1941(昭和16)年12月26日生まれで、人間の年ならば今年でちょうど80歳、傘寿(さんじゅ)にあたる。現役当時、北海道では日高本線、瀬棚線などを走っていた。濃霧が多い線区を走ったこともあり、煙突の横に前照灯を2つ設けている。この独特な姿から「カニ目」と呼ばれ親しまれてきた。
◆蒸気機関車 C11形325号機
栃木県・茨城県を走る真岡鐵道から購入したC11形蒸気機関車で、生まれは1946(昭和21)年3月28日と207号機に比べるとやや若い。とはいうものの誕生して75年になる。誕生時は神奈川県の茅ヶ崎機関区に配置され、相模線や南武線を走った。現役最後には東北地方へ移り、米坂線、左沢線(あてらざわせん)などを走った。引退後は新潟県阿賀野市の水原中学校で静態保存されていた。
1998(平成10)年に復元工事が行われ、真岡鐵道ほかJR東日本の路線でSL列車の牽引に活躍した後に、2020(令和2)年に東武鉄道に引き継がれ、同年の暮れからSL大樹の牽引機として走り始めている。
東武鉄道ではほかにC11形蒸気機関車の123号機の復元工事も進めていて、将来は3機態勢で「SL大樹」は運転されることになる。
次に客車を見ておこう
◆14系客車
14系は国鉄が造った客車で寝台車、また座席車の2タイプに分けられる。東武鉄道を走る14系は座席車で、JR北海道、JR四国で使われていたものだ。元特急列車用で回転式座席を持ち、簡易リクライニングシート仕様となっている。「SL大樹」は通常、客車3両で運転され、新展望車12系を中間に、前後に14系が連結されて走る。車体色は14系が「青20号」、12系が戦後の客車列車の趣をイメージさせる「ぶどう色2号」と、かつてのブルートレインを彷彿させる「色青15号」で塗られ、すべて「ぶどう色2号」に塗られた編成も登場している。
◆12系客車
12系客車は国鉄が製造した急行形座席客車で1969(昭和44)年から1978(昭和53)年までに計603両が製造された。その多くがすでに引退となっているが、東武鉄道にはJR四国で使われていた2両がやってきた。今年になり展望車に改造(詳細は後述)され、SL大樹の客車の中間車として連結されている。
以下、「SL大樹」の運転に欠かせない車両をチェックしておこう。
◆車掌車 ヨ8000形
C11形蒸気機関車の後ろに連結されているのが車掌車ヨ8000形で、東武鉄道路線上では必ずペアを組んで走る。車掌車は現在2両が使われているが、JR貨物とJR西日本で活躍していた車両だ。東武形ATS(TSP)などの機器類を積んでSL列車の安全な運行を手助けする役割を担っている。
◆DE10形ディーゼル機関車
SL列車の運転を補助的な役割をするディーゼル機関車で、後ろから列車を押す補機として、東武日光駅行きの「SL大樹『ふたら』」の運行などに使われる。最近は、補機を付けずに蒸気機関車の牽引のみで運行される列車も多くなっている。
使われるDE10形は国鉄が生み出したディーゼル機関車で、駅構内での貨車の入れ替え、支線での旅客・貨物列車の牽引と万能型機関車として使われてきた。今もJR各社で使われているが、東武鉄道にはJR東日本で働いていた1099号機と1109号機の2両が入線している。1099号機は国鉄時代の塗装、1109号機は、北海道で特急北斗星を牽いたDD51形ディーゼル機関車と同じ青色に金帯の塗装で、鉄道ファンにとっては楽しい車体色となっている。