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2022/3/26 6:00

郷愁さそう鉄道風景!? 桜も見事な「樽見鉄道」11の面白ポイント

おもしろローカル線の旅79〜〜樽見鉄道(岐阜県)〜〜

 

ローカル線の旅をしていると、初めて乗った列車なのに、この風景、前にどこかで出会ったなということがよくある。岐阜県内を走る樽見鉄道(たるみてつどう)は、大垣駅から北へ向かい樽見駅へ至る非電化の路線である。片道約1時間の列車に乗車すると、新鮮な発見とともに、不思議な懐かしさを感じることができた。

 

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【郷愁さそう鉄道①】妙に懐かしい昭和そのままの駅の光景

無骨なコンクリートの給水塔が立ち、その向こうに鉄骨で組まれた跨線橋がある。跨線橋は足下が透けて見え、渡るのがちょっと怖い年代物の造りだ。跨線橋の下には複数の線路が敷かれている。昔は貨車が多く出入りしていて、賑やかだったことだろう。しかし、今は事業用の車両一両が停車するのみ。線路わきの歩道を通る人もおらずひっそりとしていた。

↑樽見鉄道の本巣駅の北側にはSL用に作られた給水塔が立ち、その先には年代物の跨線橋が設けられていた

 

樽見鉄道の途中駅、本巣駅の北側には、昭和期に多くの駅で見ることができた光景が、そのままの姿で残っていた。今回は、こうした情景が各所に残る樽見鉄道の旅を楽しんでみよう。

 

【郷愁さそう鉄道②】紆余曲折を経てでき上がったローカル線

ここで樽見鉄道の概略を見ておきたい。

路線と距離樽見鉄道樽見線/大垣駅〜樽見駅34.5km、全線単線非電化
開業1956(昭和31)年3月20日、国鉄樽見線として、大垣駅〜美濃本巣駅(現・本巣駅)間が開業、1989(平成元)年3月25日に樽見駅まで延伸開業。
駅数19駅(起終点駅を含む)

 

樽見線の開業は1956(昭和31)年3月20日とそう古くない。開業は太平洋戦争後のことだが、実は戦前から建設が始められていた。岐阜県の大垣から福井県の大野を経て、石川県の金沢を目指した路線だった。戦後に工事が再開され、まずは美濃本巣駅(現・本巣駅)、さらに1958(昭和33)年4月29日に美濃神海駅(みのこうみえき/現・神海駅)まで延伸された。

 

1970(昭和45)年に延伸工事が再開されたものの、特別天然記念物の根尾谷断層(詳細後述)があったことから、工事の停止が求められ、ルート変更した上で工事が再開された。さらに、国鉄再建法の公布により、樽見線は第1次特定地方交通線に選ばれ、廃止対象となり、同時期に延伸工事が凍結された。しかし、トンネルや橋は7割以上ができあがっていたこともあり、第三セクター方式の樽見鉄道が設けられ1984(昭和59)年に転換、ストップしていた延伸工事も再開され、1989(平成元)年3月25日まで、樽見駅まで開業している。こうしてみると、路線の歴史には紆余曲折があり、今の路線になるまでかなりの年数がかかったことが分かる。

 

【郷愁さそう鉄道③】気動車の頭に付く「ハイモ」の意味は?

走る車両を見ておこう。現在、車両は2形式4タイプあり、すべてに「ハイモ」という形式名が頭に付く。「ハイモ」の意味は「ハイスピードモーターカー」を略したものとされる。

↑車両はハイモ295、ハイモ330(左下)の2形式。ハイモ295は310から610まで3タイプが走る。610形は現在、赤白塗装に変更されている

 

ハイモ295は310、510、610の3タイプがあり、1999(平成11)年に310から順次装備された。なお610は、廃止された三木鉄道(兵庫県)で使われていた車両を購入したもので、機器が一部変更して使われている。

 

2010(平成22)年からはハイモ330が導入された。ハイモ330はNDCと呼ばれる新潟鐵工所(現在は新潟トランシスが鉄道車両などの事業を引き継ぐ)製造の軽快気動車で、他の第三セクター鉄道も多く導入しているものと同タイプだ。現在、ハイモ330は701〜703の3両が樽見鉄道を走っている。1両は沿線にあるショッピングモールの広告入りラッピング車として走っていて、よく目立つ。

↑2018(平成30)年11月末まで走っていたハイモ230-313形。レールバスタイプのハイモ230最後の車両として樽見線を走った

 

【郷愁さそう鉄道④】旅の始まりは大垣駅6番線ホームから

樽見鉄道の旅は大垣駅から始まる。この大垣駅で東海道本線と養老鉄道と接続する。樽見鉄道の列車は東海道本線の岐阜・名古屋方面行きの5番線の向かい側の7番線と、ホームの東端に設けられた6番線のホームから発車する。朝などの時間帯を除き、ほとんどの列車が6番線からの発車となる。

 

樽見鉄道の切符はJR大垣駅の券売機で購入が可能だ。さらに、6番線ホームの入口にきっぷ売り場があり、8時〜16時まで係員が勤務、切符の販売を行う。東海道本線から直接乗り換えする場合にはこちらで切符を購入する。また1日フリー乗車券(1600円)もこちらに用意され、購入が可能だ(係員がいる時間のみ。他は本巣駅のみ取り扱い)。なお交通系ICカードは使うことができない。大垣駅から終点の樽見駅までは片道930円なので、往復する場合には1日フリー乗車券のほうが得だ。

↑大垣駅6番線に停車する樽見鉄道のハイモ330。6番線にきっぷ売り場があり、朝8時以降1日フリー乗車券(右上)が購入できる

 

列車は朝夕30分〜1時間に1本の割合、日中は1時間〜1時間半に1本と少なめになる。ただし、朝夕は途中、本巣駅止まりも多いので注意が必要になる。

 

筆者が訪れた日、6番線に停車していたのはハイモ330だった。樽見鉄道色の水色ベースに、赤白のラインがアクセントとして入る。休日の朝だったこともあり乗車する人は少なめ。時間どおりにディーゼルエンジン音を奏でつつ発車した。

 

大垣駅から次の東大垣駅の手前まで約2.5km、東海道本線の路線の北側を並走する。過去に樽見鉄道が国鉄路線だった名残が感じられるところだ。

 

【郷愁さそう鉄道⑤】揖斐川に架かる橋へ向けてひたすら登る!?

次の駅の東大垣駅を発車すると、車両はさらにエンジン音を響かせ急な坂を登り始めた。その坂は最大25パーミル(1000m走る間に25m登る)というからかなりのものだ。この登り、実は揖斐川(いびがわ)橋梁を渡るためのものである。国土地理院の標高が計測できる地図で確認すると、東大垣駅が標高7〜8m、川の堤防の高さが16.8〜17.3mある。つまり、堤防まで10m近く登るわけだ。

↑東大垣駅(左)から揖斐川橋梁への急坂を登る樽見鉄道ハイモ330。後ろに大垣市街が見えている

 

この揖斐川堤防の高さには理由がある。堤防下の民家よりも、揖斐川の流れの方が標高が上なのだ。江戸時代から人々の暮らしを守るために治水事業が進められ、長年の工事により堤防を高めて水害に強い町造りをしてきたそうである。

↑揖斐川橋梁を渡る樽見鉄道の列車。橋の長さ321.7m。手前のトラス部分の1つは川崎造船所製、その先のトラス部分は米国製を利用

 

興味深いのは樽見鉄道の揖斐川橋梁が、非常に古い歴史を持つ構造物を使って造られているところだ。戦前に橋造りは進められたのだが、鉄資源を必要としていたことから、当時架橋に使われた部品は一度、取り外された。

 

後にこの揖斐川のトラス部分には、御殿場線の橋梁に使われていた構造物が使われた。御殿場線は古くは東海道本線の本線だったこともあり全線が複線だったが、丹那トンネル開通後には支線となり複線区間の多くが単線となった。そのため不用な橋の構造物を揖斐川の橋梁に転用した。また、橋梁部品は製造された歴史も古く、1900(明治33)年、アメリカのAアンドP・ロバーツ製、一部が1916(大正5)年の川崎造船所製という代物だった。

↑東海道本線の揖斐川橋梁と平行して架かる旧揖斐川橋梁。この橋へ至る堤の下には、ねじりまんぽ(左上)といった構造物も残る

 

揖斐川橋梁付近には、さらに興味深い構造物があった。樽見鉄道の橋の200m下流に東海道本線の橋梁と、旧揖斐川橋梁が平行して架かっている。この旧橋梁は現在、鉄道橋ではなく、歩道橋となり地元の高校生たちの通学路としても使われている。こちらは1887(明治20)年に使用開始された橋で、国の重要文化財に指定されている。

 

さらに、この橋へ至る東海道本線の堤には、いくつかのレンガ造りの古いトンネルが下をくぐる。そのうち1つ甲大門西橋梁は「ねじりまんぽ」と呼ばれる珍しい構造を残している。斜めに通る歩道用のトンネルのために、内部のレンガ組みを斜めに巻いた構造で、重さに耐えられるように造られた。橋だけでなく、そうした年代物の構造物も多数残されていたのだった。

 

【郷愁さそう鉄道⑥】車窓から見える果樹はいったい?

ちょっと寄り道してしまったが、先を急ごう。揖斐川橋梁を渡った樽見鉄道は、しばらくの間、平野部を走る。

 

横屋駅、十九条駅、美江寺駅(みえじえき)と瑞穂市内の駅が続く。北方真桑駅(きたがたまくわえき)から先、本巣市へ入る。この先、一部が揖斐川町内の駅があるが、大半が本巣市内の駅となる。樽見鉄道の19の駅のうち何と12の駅が本巣市内にあり、本巣市内線といった趣が強い。

↑十九条駅近くを走る「モレラ岐阜」ラッピングのハイモ330。線路の左右に名物「富有柿」の果樹畑が連なる

 

瑞穂市から本巣市にかけては、駅の周辺は民家が集まり、駅間には畑が広がる。畑には果樹が多く植えられている。筆者が訪れた時は春先だったために、葉が落ち、果実は実っていなかったのだが、さてこの果樹は何なのだろう?

 

調べると「富有柿(ふゆうがき)」だった。高糖度の「富有柿」は、樽見鉄道が走る瑞穂市が発祥の地とのこと。冬には北西にある伊吹山からの季節風「伊吹おろし」が吹き下ろし、夏は全国で最高気温を記録するほど暑いこの地は柿栽培の好適地なのだという。寒さが残る季節は剪定の時期で、確かに手入れをする人の姿が沿線で見られた。10月にはオレンジ色の柿の実が見事に実る。そうした風景もぜひ見てみたいと思った。

 

さて、柿の木畑を見ながら本巣市へ入った樽見鉄道の列車はモレラ岐阜駅に到着する。ここで乗降する人たちが目立った。おしゃれな駅名は、駅の東側に広がる大型商業施設の名前から付けられている。働く人たちと、ショッピングに向かう人たちが多く利用する駅で、樽見鉄道の2割の乗降客がこの駅を利用する人たちだという。ホーム1面の小さな駅ながら、同路線の営業への貢献度が高い駅だということがうかがえた。

 

【郷愁さそう鉄道⑦】本巣駅付近から見える工場は……?

モレラ岐阜駅の先、糸貫駅(いとぬきえき)に停まり、本巣駅へ到着した。この駅には、車庫、本社もあり樽見鉄道にとって中心駅だ。鉄印もこちらで扱われている。

 

上り下り列車が行き違う1・2番ホームがあり、車庫へ入るために留置線が設けられている。前述したように古い給水塔が残され、鉄骨むき出しの跨線橋が北側に架かる。留置線は何本もあって過分なようにも感じる。何に使われていたものなのだろうか?

 

実は本巣駅の北西側に住友大阪セメント岐阜工場がある。このセメント工場では、長い間、樽見鉄道を使ってセメント輸送を行っていた。かつては本巣駅から、同工場に延びる専用線があり、多くの貨車が出入りしていた。第三セクターとなった時にも同社が樽見鉄道の経営に関わるなど、大きな役割をしている。だが、2006(平成18)年3月28日でセメント輸送は終了し、専用線も廃止されている。本巣駅に残る留置線はそのセメント輸送の名残だったわけだ。貨物輸送が行われていたころは、さぞや賑わいを見せていただろう。

↑本巣駅に到着するハイモ330。左奥に見える工場が住友大阪セメント岐阜工場。本巣駅からこの工場まで専用線が延びていた

 

↑本巣駅には車庫もありハイネ295が2両停車していた。右上が本巣駅の入口。樽見鉄道色の自動販売機も設置されていた

 

 

【郷愁さそう鉄道⑧】谷汲口駅に残る古い客車は何だろう?

本巣駅のひとつ先、織部駅から木知原駅(こちぼらえき)へ向かう途中、左手から大きな川が近づいてくる。この川は根尾川(ねおがわ)で、下流で揖斐川に合流する一級河川だ。樽見鉄道はこの先、根尾川とほぼ平行して走るため〝縁の深い〟川でもある。

 

さて木知原駅の先で根尾川を渡る。この橋が第一根尾川橋梁だ。この橋梁の一部は明治期に造られた東海道本線の旧木曽川橋梁を再利用したものだとされる。先の揖斐川橋梁といい、他線の古い部品を一部流用した鉄橋が多い。

↑谷汲口駅(左上)のホーム横に保存されるオハフ33形客車。こげ茶色に塗られているが、近年は車両の傷みが感じられ残念だ

 

橋を渡って着いたのが谷汲口駅(たにぐみぐちえき)。訪れた時には盆梅展という幟が駅ホームに立てられていたが、4月になると桜に包まれる駅として良く知られている。その桜の木に包まれるように駅横に古い客車が保存されている。この客車は果たして……?

 

こちらはオハフ33形で、樽見鉄道発足時に国鉄から購入した3両のうちの1両だった。導入当時は水色に赤白ラインの樽見鉄道色に塗られ、客車列車として利用された。戦後の1947(昭和22)年に製造された旧型客車だが、利用後に1両のみ、同駅があった旧谷汲村に寄付され、この地で展示保存されることになった。こげ茶色に赤ラインが入る昔の三等客車の色に塗られたが、木々が覆いかぶさるように茂り、また錆が目立ち、保存状態が決して良いとは言えないのが気になった。

 

【郷愁さそう鉄道⑨】列車は根尾川を何回渡るのだろう?

谷汲口駅から次の神海駅(こうみえき)、さらに高科駅、鍋原駅(なべらえき)と、駅と駅の間で根尾川を渡る。鍋原駅まで3つの根尾川橋梁を渡る。

↑木知原駅から樽見駅にかけて根尾川を多く渡る。渓流は根尾川渓谷としてもハイカーたちの人気スポットにもなっている

 

根尾川を渡るとともに、民家と畑は徐々に減っていく。路線の途中までは国道157号と線路がほぼ平行に走っていたが、高科駅から先は離れた場所を国道が通るようになる。鍋原駅の先ですぐにトンネルに入り、険しさがいっそう強まった。山間部を走り抜け、また根尾川橋梁を渡る。

 

次の日当駅(ひなたえき)までは、なんと第五から第八根尾川橋梁まで4本の鉄橋を渡る。樽見鉄道が根尾川を渡る回数は何と計10回。第一から第十まで根尾川橋梁が連なるのだ。樽見線の工事は日本鉄道建設公団が行ったものだが、山中によくこうした鉄橋とトンネル続きの路線を通したものだと感心させられる。

 

【郷愁さそう鉄道⑩】気になる〝開運駅〟の表示がある駅は?

日当駅、高尾駅と山あいの駅が続く。その先にあるのが水鳥駅(みどりえき)。この水鳥駅が近づいてくると、やや民家も多くなってくる。

 

この駅の別名は開運駅とも呼ばれ、ホームには「水鳥」の駅名標に並ぶように「開運駅」の別名表示がある。さて、なぜ開運駅となったのだろう。駅から徒歩15分のところに根尾川にかかる赤い橋がある。歩いて渡ると運が開けることから開運橋と名付けられている。駅名はこの橋の名前にちなんで付けられたのだろう。

 

同駅の近くには「根尾谷断層」という大きな断層があり、筆者としてはこちらの方が興味深く感じた。

↑水鳥駅の駅名標の横に「開運駅」という別名の駅名標が立つ(右下)。ここには駅最寄りの観光名所の解説が記されていた

 

根尾谷断層は1891(明治24)年10月28日に起こった濃尾地震で発生した断層で、駅がある水鳥(みどり)地区が震央だったそうだ。総延長は約80kmに渡り、地表部にも大規模な断層が生じた。地震で発生した断層に関して、それまで歴史上の記録がなかったため、現在確認できる最古の地震断層として価値が高い。そのため国の特別天然記念物にも指定されている。

 

水鳥駅付近にも断層があるそうなのだが、地震が起きてすでに100年以上たち、風雨にさらされているために、断層の地形は車窓から見た限りは確認できなかった。こうした断層と歴史は「地震断層観察館・体験館」(駅から徒歩5分)に詳しく解説され、当時の大規模な断層の姿を見ることができる。

 

【郷愁さそう鉄道⑪】路線内最大の観光資源が樽見の〝淡墨桜〟

根尾谷断層がある水鳥駅を発車、樽見鉄道の第十根尾川橋梁を渡ると、左手に見えてくるのが旧根尾村の中心にあたる樽見だ。大垣駅から約1時間10分、終点の樽見駅へ到着した。盲腸線の終点駅ということで、ひなびた駅かと思ったが、意外にもホーム下には町も見えていて賑やかだった。

 

旧根尾村は2004(平成16)年に本巣市となったが、それまでは福井県と隣接する山村だった。岐阜県の中では冷涼な気候で冬は雪も積もる。筆者が訪れたのは春先だったものの、駅前には除雪した雪が山盛りされていた。現在の主産業は農業だが、かつては林業で栄えた村でもある。

↑終点の樽見駅へ到着したハイモ330。ホーム1面の駅だが、先に留置線が伸びる(右上)。かつて路線を北陸まで延ばす計画もあった

 

ホームから町並みが見えるものの、駅がある側は国道157号が通るがやや寂しめ。人気の温泉施設「うすずみ温泉 四季彩館」が休館だったこともあり、終点まで乗車した人は数人という状況だった。だが、一年で賑わう季節がある。それは桜の花が咲く季節だ。

↑樽見駅の駅前にはふれあいプラザが立ち、内部には待合所(左上)もある。地元の人たちによってきれいに手入れされていた

 

山里らしくやや開花が遅くなるものの、桜が見事なところでもある。なかでも名高い桜の古木がある。

 

根尾谷淡墨桜(うすずみざくら)という一本桜は、樹齢1500年以上のエドヒガンと呼ばれる種で、日本五大桜、三大巨桜にも数えられる天然記念物だ。淡い色の桜の花に特長があり、巨木すべてが花で覆われる姿が見事だ。駅からは根尾川を渡って、徒歩20分ほど。根尾谷・淡墨公園内にある。公園内には本巣市さくら資料館もある。

 

樽見鉄道では桜の季節に合わせて臨時の「桜ダイヤ」を組み増便する。今年は3月26日〜4月10日までの予定だ。通常の単行運転が2両に増結され賑わいを見せる。

 

観光関係の本づくりなどの仕事が多い筆者だが、残念ながら観光シーズン前に動くことが多い。そのため最盛期の観光地を訪れることは稀だ。最盛期の淡墨桜と、根尾谷断層見物はいつかゆっくりとシーズン中に見に来たいな、と思いつつ樽見駅をあとにしたのだった。

↑樽見駅のホームから見た樽見の町並み。名勝根尾谷淡墨桜(左下)は駅から徒歩20分

 

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