【青梅線の謎を解く③】立川駅から分岐する謎の単線は?
前置きが長くなったが、青梅線の謎をひも解いていこう。起点の立川駅から早くも謎の路線を走る。通常の青梅線の発着は立川駅の北側にある1・2番ホームとなる。このホームに停まる電車は主に青梅線(一部は五日市線)の折返し電車だ。
中央線から青梅線に直接乗り入れる電車は、どのように走っているのだろう。乗り入れる電車は5・6番線からの発車となる。青梅線の折り返し電車とは異なるホームだ。ここから発車する電車は「青梅短絡線」と呼ばれるルートをたどる。
「青梅短絡線」は中央線から分岐し、立体交差で越えて西立川駅まで走る単線ルートで、民家の裏手、垣根に囲まれて走るような、ちょっと不思議な路線だ。
この短絡線は青梅電気鉄道と南武鉄道(現・南武線)との間で、国鉄の路線を通過せずに、貨物列車などを通すために設けた路線だった(国鉄の路線を通すと通過料が必要となるため)。その後に国鉄路線となったため、本来の役割は消滅したが、今は青梅線への直通電車の運行に役立っているわけである。さらに拝島駅と、鶴見線の安善駅とを結ぶ石油タンク輸送列車の運行にも役立てられている。
青梅短絡線は1.9kmの距離がある。元々の立川駅〜西立川駅間の青梅線の距離は1.7kmで、青梅短絡線を回ると0.2km長く走ることになる。青梅短絡線は実は少し長く走る〝迂回線〟だったというのがおもしろい。ちなみに、長く走るがその分の運賃の加算はない。
【青梅線の謎を解く④】アウトドアヴィレッジのかつての姿は?
立川駅から拝島駅の間にはレジャー施設が多くある。たとえば、西立川駅の北側には国営昭和記念公園がある。広大な公共公園で、「花・自然」「遊ぶ・スポーツ」など四季を通じて楽しめるエリアに分かれている。西立川駅の次の駅、東中神駅の南側には昭島市民球場や陸上競技場、テニスコートなどがある。
拝島駅の一つ手前、昭島駅近くには大規模ショッピングセンターに加えて、商業施設「モリパークアウトドアヴィレッジ」がある。テナントはアウトドア関連のショップのみで、さらにパーク内に、クライミングジムやヨガスタジオ、ミニトレッキングコースなどがあり、多彩なアウトドアイベントも開かれる。まさにアウトドア好きにぴったりの施設だ。
このアウトドアヴィレッジ、かつては何だったのかご存じだろうか?
ここには、かつて昭和飛行機工業という飛行機を造る工場があった。戦前にはプロペラ機のダグラスDC-3のライセンス生産を開始、終戦までDC-3/零式輸送機の大量生産を続けていた。戦時下には紫電改などの戦闘機もライセンス生産していたとされる。終戦後には国産旅客機のYS-11、輸送機C-1の分担生産を行ったほか、特殊車両の製造などを続けた。飛行機工場のため、飛行場を併設するなど広大な敷地を備えていたこともあり、敷地を活かしてアウトドアヴィレッジが生まれたわけである。
ちなみに、昭島駅(開業時は「昭和前駅」)も、昭和飛行機工業が駅舎用地を提供、建設費も一部負担したとされる。同工場との縁が深いわけである。
前述した国営昭和記念公園は旧立川飛行場の跡地が利用された。この沿線は、広大な武蔵野台地を利用して造られた飛行場や飛行機工場など、飛行機に縁が深い土地である。飛行機との縁は拝島駅ではさらに濃くなる。
【青梅線の謎を解く⑤】拝島駅の東口を通る謎の線路はどこへ?
青梅線は拝島駅で八高線と五日市線、そして西武拝島線と接続している。拝島駅の東口駅前には、引き込み線が設けられている。
この引き込み線は横田基地線と呼ばれる。伸びる先には現在、在日米軍が所有・使用する横田基地がある。元は1940(昭和15)年に当時の大日本帝国陸軍の航空部隊の基地として開設され、太平洋戦争末期には首都圏防衛の戦闘基地になっている。
飛行場は終戦後には米軍に接収された。その後、長く米軍の燃料輸送が行われている。石油タンク車を利用した燃料輸送は鶴見線の安善駅との間を走り、拝島駅でディーゼル機関車に付け替えられる。そして拝島駅の東口駅前を通り、横田基地の入り口フェンスまで約500m走り、そして基地内へ運び込まれている。
なお、青梅線の線路から拝島駅東口に向かう際に、西武拝島線を平面交差して横切っている。そのため、西武鉄道の電車も、このタンク輸送に合わせて、電車のダイヤ調整が行われている。
日本には在日米軍の基地が多くあるが、鉄道による石油輸送が行われているのは、横田基地のみとなっている。輸送は主に火曜日および木曜日に行われている(臨時列車のため確実ではない)。珍しい米軍向けのタンク車輸送ということもあり、鉄道愛好家の間では〝米タン輸送〟の愛称で呼ばれている。
横田基地線の線路には日本語と英語で書かれた「立入禁止区域」の立て札が各所に立てられ、ものものしい雰囲気だ。基地内は日本の中のアメリカで、世界で戦争や紛争などが起こっている時は、張りつめた緊張感が感じられる。ロシアのウクライナ侵攻が始まったころには、通常時に比べて輸送機が数多く離発着していた。