おもしろローカル線の旅100〜〜若桜鉄道若桜線(鳥取県)〜〜
鳥取県の東部を走る若桜鉄道(わかさてつどう)。走る区間は2つの町のみという地方ローカル線だが、筆者が訪れた日は多くの来訪者で賑わっていた。人気イベントが開かれた日に重なったこともあったが、路線を応援しようという沿線の熱意が感じられた。そんな山陰の〝元気印〟の路線をめぐった。
*2014(平成26)年9月1日、2016(平成28)年4月16日、2018(平成30)年4月20日、2022(令和4)年10月30日の現地取材でまとめました。一部写真は現在と異なっています。
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【若桜の鉄旅①】市は通らずとも〝頑張っている〟という印象
第三セクター方式で経営される若桜鉄道若桜線は、八頭町(やずちょう)と若桜町の2つの町のみを走る。鳥取市などの市は通っていない。走るのが町村のみの第三セクター鉄道はほかに四国を走る阿佐海岸鉄道、熊本県を走る南阿蘇鉄道などあるが非常に稀だ。人口が少ない地域を走る路線はそれだけ存続が難しいわけである。若桜鉄道若桜線の概要を見ておこう。
路線と距離 | 若桜鉄道若桜線:郡家駅(こおげえき)〜若桜駅間19.2km 全線非電化単線 |
開業 | 1930(昭和5)年1月20日、郡家駅〜隼駅(はやぶさえき)間が開業、12月1日、若桜駅まで延伸開業 |
駅数 | 9駅(起終点駅を含む) |
若桜線はちょうど今から100年前の1922(大正11)年に「鳥取県郡家ヨリ若桜ヲ経テ兵庫県八鹿(ようか)附近ニ至ル鉄道」として計画された。八鹿は山陰本線の豊岡駅〜和田山駅の中間部にある駅で、鳥取県、兵庫県の山間部を越えて両県を結ぶ路線として計画されたわけである。
この若桜線が造られた当時は、戦時色が強まる中で山陰本線が敵から攻撃を受けた時に備えて計画されたバイパス線の一部だった。しかし、若桜駅までの路線は開業したものの、路線は延ばされず典型的な行き止まりの〝盲腸線〟となった。
1981(昭和56)年に第一次廃止対象特定地方交通線として廃止が承認されたが、地元の熱心な存続運動が実り、1987(昭和62)年に第三セクター鉄道の若桜鉄道への転換が行われた。2009(平成21)年には上下分離方式による運営に変更され、現在は若桜町、八頭町の2つの町が若桜線を所有する第三種鉄道事業者となり、若桜鉄道は列車の維持、運行を行う第二種鉄道事業者となる。要は鉄道会社の負担をなるべく減らすように工夫されたわけである。
こうした仕組みのせいか、他の第三セクター鉄道に比べると〝自分たちの鉄道〟という意識、地元の熱意がより感じられる。例えば上記の写真のように、さまざまなPR用の印刷物などが駅で提供されている。ローカル線は、こうしたPR用の印刷物まではなかなか手が回らないところも多いが、少しでも鉄道のことを知ってもらうために、こうした活動は大切だと思う。
【若桜の鉄旅②】車両はリニューアルされ新しい印象だが
次に走る車両に関して紹介しよう。筆者は若桜鉄道に4度訪れているが、そのつど車両が新しくなったと感じる。同社の積極性が感じられる一面だ。
◇WT3000形
若桜鉄道の車両形式は頭に「WT」が付いている。「W」は若桜、「T」は鳥取を意味している。4両の車両が在籍しているが、うち3両はWT3000形となる。
このWT3000形は若桜鉄道が開業した当時に導入したWT2500形のエンジン、変速機、台車など主要部品を変更した車両だ。WT2500形が導入されたのが1987(昭和62)年のことで、WT3000形への改造は2002(平成14)年から翌年にかけて行われた。
さらに、WT3000形は2018(平成30)年から2020(令和2)年にかけて、3両すべてが観光列車にリニューアル工事が行われた。デザインは水戸岡鋭治氏で、車内には木を多用、座席も赤青緑とカラフルなシートに変更され、お洒落な車両となった。WT3001は「八頭(やず)、WT3003は「昭和」、WT3004「若桜」と沿線の町名などが付けられている。なお、改造されたWT2500形のうち2502号車はすでに引退し、その車両番号を引き継ぐWT3002は欠番となっている。
第三セクターの鉄道において、路線が誕生したころの車両が2度も改造され、今も活躍しているというのは珍しい。新車両を導入するのではなく、改造により経費を浮かしているわけだ。
◇WT3300形
2001(平成13)年にWT2500形の予備車両として導入された車両で、イベント対応のためカラオケ設備などが取り付けられている。一部座席は回転式で、車内に会議スペースが設けられるように工夫もされている。
現在はスズキの大型バイク「隼(ハヤブサ)」のラッピングが施されており、隼ファンに人気となっている。
【若桜の鉄旅③】さまざまな会社の車両が走る起点の郡家駅
若桜線の起点となる郡家駅(こおげえき)から沿線模様を見ていこう。「郡家」はかなりの難読駅名だ。どのような理由からこのような名前が付いたのだろう。2005年(平成17)年に周辺町村と合併したことで、現在は八頭町となっているが、それ以前には郡家町(こおげちょう)だったことからこの駅名が付けられた。郡家は元々、高下(こおげ)と書いたそうだ。律令制の時代に郡司が政務を行う郡家(ぐんけ)が置かれていたため、高下がいつしか郡家(こおげ)となったと考えられている。
郡家駅を通るのはJR因美線(いんびせん)だ。旅行者にとって読みにくい郡家駅だが、因美線もなかなか読みにくい路線名である。しかも運転体系が分かりづらいので簡単に触れておこう。
因美線は鳥取駅を起点に、岡山県の東津山駅まで走る70.8kmの路線である。近畿地方や岡山から鳥取へのメインルートとして使われる路線だが、幹線として機能しているのは鳥取駅〜智頭駅(ちずえき)間31.9kmのみ。残りの路線は、列車本数が非常に少ない超閑散路線となる。その理由は智頭駅から先、山陽本線の上郡駅(かみごおりえき)までの間を智頭急行智頭線が走るため。この路線が1994(平成6)年12月3日に開業したことにより、鳥取方面行きの特急列車の大半が同線を通るようになり、幹線として機能するようになった。
よって、因美線を走る車両も鳥取駅〜智頭駅間と、智頭駅〜東津山駅間では大きく異なる。鳥取駅と智頭駅間では複数の会社の車両が走り華やかだ。鳥取駅〜智頭駅のちょうど中間にある郡家駅も例外ではない。
まず、JR西日本の車両はキハ187系・特急「スーパーいなば」、普通列車にはキハ47形やキハ121形・キハ126形が使われる。JR西日本の車両を利用した列車は非常に少なく、郡家駅では第三セクター鉄道の智頭急行の車両を良く見かける。特急「スーパーはくと」として走るHOT7000系、普通列車として走るHOT3500形だ。普通列車はみな鳥取駅まで、特急列車はその先の倉吉駅(鳥取県)まで走っている。
若桜鉄道の列車は1日に14往復の列車が郡家駅〜若桜駅間を走っている(土曜・休日は13往復)。そのうち6往復がJR因美線を走り、鳥取駅まで乗り入れをしている。つまり、若桜線は鳥取市の郊外ネットワークに組み込まれている路線というわけだ。沿線の2つの町だけでなく、鳥取県と鳥取市が出資を行う若桜鉄道だからこそ、可能な運用ということもできるだろう。
【若桜の鉄旅④】鉄道文化財が盛りだくさんの若桜鉄道沿線
筆者は朝6時54分に郡家駅を発車する始発列車で、まず若桜駅へ向かった。ちなみに郡家駅舎内にあるコミュニティ施設「ぷらっとぴあ・やず」の観光案内所(9時15分〜18時)で「1日フリー切符(760円)の購入が可能だ。営業時間外は終点の若桜駅まで行っての購入が必要となる。
若桜鉄道の見どころの中でまず注目したいところは、若桜鉄道に多く残る「鉄道文化財」であろう。若桜鉄道では2008(平成20)年7月に沿線の23関連施設が一括して国の登録有形文化財に登録されている。一括登録という形は珍しく全国初だったそうだ。開業時に設置されたものが大事に使われてきたものも多い。「若桜鉄道の鉄道文化財」というパンフレットが駅などで配付されているので、それを見ながら列車に乗車するのも楽しい。
郡家駅の一番線を発車した若桜駅行きの列車は、JR因美線の線路から別れ、左にカーブして最初の駅、八頭高校前駅(やずこうこうまええき)に停車する。この日は休日、しかも始発ということで学生の乗車はなかったものの、駅のすぐ上に校舎があり通学に便利なことがよく分かる。同駅は1996(平成8)年10月1日の開業で、国鉄時代にはなかった駅だった。
八頭高校前駅を発車すると左右に水田や畑が見られるようになる。そして最初の鉄橋、第一八東川(はっとうがわ)橋梁を渡る。この橋梁は若桜鉄道では最長(139m)の鉄橋で、路線開業の1929(昭和4)年に架けられたものだ。橋げたはシンプルなプレートガーダー橋だ。この橋も国の登録有形文化財に登録されている。ちなみに八東川は鳥取南東部を流れる千代川(せんだいがわ)水系の最大の支流で、若桜鉄道はほぼこの川に沿って走り、第一から第三まで3つの橋梁が架けられ、いずれも国の登録有形文化財となっている。
【若桜の鉄旅⑤】早朝から隼駅には時ならぬカメラの放列が……
川を渡ると間もなく因幡船岡駅(いなばふなおかえき)へ。ホーム一つの小さな駅だ。因幡船岡駅を過ぎると線路の左右には水田や畑が連なる。
隼駅のホームが近づく。列車が7時2分到着と早朝にもかかわらず、ホームにはカメラの放列が。鉄道ファンではなく、ライダースーツを着た一団だった。
隼駅はスズキの大型バイク「隼」と名前が同じということもあり全国からライダーが集う駅でもある。いわば〝聖地巡礼〟の地。訪れた日は朝早くからホームは賑わっていた。筆者が乗車していた隼ラッピングの車両と、隼駅を一緒に撮ろうとしていたようである。筆者はこの隼駅には降りず、終点の若桜駅を目指した。
こも隼駅に加え、安部駅、八東駅(はっとうえき)は平屋の木造駅舎が残っており本屋とプラットホームがいずれも国の登録有形文化財だ。
3駅の中では安部駅の名前の由来と本屋の構造が興味深い。本屋には2つの玄関口がある。これは「安井宿」と「日下部」という駅近くの2つの集落に配慮したものだという。「安井宿」は駅の北、八東川を渡った国道29号沿いにある宿場町の名であり、「日下部」は駅近くの国道482号沿いにある集落の名だ。駅名の安部も「安井宿」の「安」と「日下部」の「部」を合わせたもの。集落に均等に対応しようという配慮が駅の開業当時にあったわけだ。
【若桜の鉄旅⑥】いくつかの鉄橋をわたって終点の若桜駅へ
安部駅の次の八東駅は同路線内で唯一の上り下り列車の交換機能を持つ駅となっている。列車増発のために2020(令和2)年3月14日にホームを2面に、線路も2本に拡張された。加えて同駅の1番線ホームに隣接して古い貨車が置かれ、今では非常に珍しくなった貨物用ホームがある。この貨物用ホームは若桜線SL遺産保存会が再整備、復活した施設である。引込線のレールも新たに敷設され、ワフ35000形有蓋緩急車(列車のブレーキ装置を備えた車両)が停められている。
八東駅では今年の11月13日に動態保存されている排雪モーターカーのTMC100BS形と緩急車を連結して走らせるという試みが行われた。TMC100BS形は兵庫県の加悦(かや)SL広場で保存されていたもので、同SL広場が2020(令和2)年に閉園した時に無償譲渡されていたものだった。今後、八東駅構内では排雪モーターカーと緩急車の運行を定期的に行っていきたいとのことだ。
八東駅を発車すると間もなく長さ128mの第二八東川橋梁を渡る。この橋も国の登録有形文化財に登録されている鉄橋で、第一八東川橋梁と構造はほぼ同じだが、当時の標準設計だった「達540号型」だそうだ。ちなみに同橋梁の下流には「徳丸どんど」という名前の小さな滝がある。川の流れの途中に自然にできた滝(規模的には段差に近い)で非常に珍しいものだ。
徳丸駅の次が丹比駅(たんぴえき)で、この駅も本屋とプラットホームが国の有形登録文化財に登録されている。屋根の支柱にはアメリカの鉄鋼王カーネギーが創始したカーネギー社の輸入レールが今も残っている。
平野部をゆったり走ってきた若桜線だが、丹比駅を過ぎると南から山がせりだし、その山肌に合わせるかのように若桜線、国道29号、八東川が揃って右カーブを描いていく。そして列車は八頭町から若桜町へ入る。若桜町は山あいの町ながら、工場も建ち繁華な趣だ。間もなく町並みが見え始め、郡家駅から所要35分で終点、若桜駅へ到着した。
【若桜の鉄旅⑦】給水塔や転車台&SLと見どころ満載の若桜駅
木造平屋建ての若桜駅も本屋とプラットホームが国の登録有形文化財に登録されている。筆者は4年ぶりに訪れたが、外観は変わらないものの待合室などがすっかりきれいになっていた。WT3000形と同じ水戸岡鋭治氏のデザインで改修されたことが分かる。
若桜駅の構内にはC12形蒸気機関車やDD16形ディーゼル機関車が動態保存され、古い給水塔、転車台、複数の倉庫がならぶ。これらの施設のほか、保線用車両の諸車庫、線路隅に設けられた流雪溝なども国の登録有形文化財に登録されている。このスペースの見学には入場券300円が必要となるが、若桜駅へ訪れた時には立ち寄って見学しておきたい。
このように若桜駅にある施設のほとんどが国の登録文化財であり〝お宝〟というわけ。博物館でしか見ることができないような鉄道施設が、今も大事に残されている。
【若桜の鉄旅⑧】若桜を散策すると気になる光景に出合った
若桜駅に到着したのが朝の7時29分のこと。8時25分発の上り列車で戻ろうと計画していたこともあり、列車の待ち時間を有効活用し、転車台や、給水塔などを見て回る。さらに駅周辺を探索してみた。
若桜町は古い街道町でもある。若桜鉄道に並行して走るのが国道29号で、鳥取と姫路を結ぶ主要国道でもある。明治時代の初期に整備された陰陽連絡国道の1本でもあり、鳥取県側では若桜街道、播州街道とも呼ばれてきた。国道29号を若桜町の先へ向かうと、戸倉峠の下、新戸倉トンネルを越えて兵庫県宍粟市(しそうし)へ至る。若桜町は県境の町でもあるのだ。古い町並みとともに木材輸送の拠点でもあり、切り出された木材の集積場なども街中にある。
若桜駅の先に伸びる線路がどうなっているか、気になって歩いてみた。線路は「道の駅若桜 桜ん坊」の裏手で途切れていたが、ここに気になる車両が停められていた。
国鉄12系客車と呼ばれる3両の客車で、若桜鉄道へはJR四国から2011(平成23)年に4両が譲渡されたのだが、そのうちの3両が停められていた。若桜駅構内でC12形が保存されているが、この車両は圧縮空気を動力にして走らせることができる。この機関車と12系客車を連結して2015(平成27)年に「走行社会実験」が行われていた。筆者はその翌年に同客車を若桜駅で見かけたが、当時は塗り直されたばかりで今にもSLにひかれ走り出しそうな装いとなっていた。しかし、SLを本線で運転させる計画は実現せず、当時の客車が塗装状態も悪くなりつつも、線路の奥で保存されていたわけだ。全国でSL列車の運行が活発になり、若桜線SL遺産保存会といった団体を中心に復活運動を続けてきたが、SLの運行はなかなか難しかったようである。
【若桜の鉄旅⑨】帰路は隼駅でイベント風景を見学する
若桜駅から8時25分発の上り列車で隼駅へ戻る。9時ごろ駅に到着したのだが、駅前は非常に賑わっていた。
2008(平成20)年、あるバイク専門誌が「8月8日ハヤブサの日」に隼駅に集まろうと呼びかけた。徐々に全国の「隼」愛好家たちが集まるようになり、2018(平成30)年8月8日には2000台もの「隼」が終結したという。その後、コロナ禍でイベントを開催できないようになっていたが、ようやく制限も解除されて今年は10月30日に「ハヤブサの日」が開催されたのだった。この日に集まったのは約1200台。ナンバーを見ると近畿地方、中国地方はもちろん、遠く九州、東北地方のナンバーを付けた隼が終結していた。
鉄道ファンも熱心だと思うが、バイク好きの人たちの熱意もすごいと感じる。取材しようと訪れたメディアも多かった。また、駅前には記念品販売のブースも設けられ、元駅の事務室にも「若桜鉄道隼駅を守る会」の売店(土日祝日のみ営業)がある。こちらでも土産品や、隼駅のみで販売している鉄道グッズなどがあり多くの人が立ち寄っていた。
【若桜の鉄旅⑩】鉄道好きには「隼駅鐵道展示館」がおすすめ
隼駅の構内にはかつての備品倉庫を利用した「隼駅鐵道展示館」もある。同展示館の開館は4〜11月の第三日曜日の10〜16時のみだが、この日は催しに合わせて開いていた。
「隼駅鐵道展示館」には大きな鉄道ジオラマが設けられ、また古い鉄道用品などが保存展示されている。筆者はこの日の催しを撮り終えた後、「隼駅鐵道展示館」で古い若桜線をよく知る地元の方との鉄道談義を楽しんだ。
その方によると「若桜駅に保存されるC12よりもC11がよく走っていた」とのこと。季節によっては「客車と貨車を連結した混合列車が多く走った」そうだ。「隼駅でも米俵の積み込み作業をしていた」と懐かしい話をふんだんに話していただいた。転車台を利用せずに、C11がバック運転で引いた列車もあったそうだ。貨物輸送が行われた当時はさぞや若桜線も賑わっていたことだろう。「その賑わいが今は消えてしまって……」と、その方もやや悲しげな表情に。外国からの木材輸入が増えて、若桜の木材の需要も減ったことに伴い、若桜線の貨物輸送も消滅してしまった。
さらに木材の輸送は鉄道からトラックへ移行していく。そんな時代の流れが若桜線を飲み込んだわけだが、一方で、若桜線沿線に住む人たちの鉄道存続への熱意は消えていなかったと言えるだろう。隼イベントなどの多くの催しを開くことにより、沿線の活気は一時とはいえ蘇っているのである。こうした催し物は、地元の人たちの協力と熱意があってこそ成り立っているように思える。
若桜線の乗客増加にはすぐには結びつかないかも知れないが、認知度は確実にあがるだろう。ローカル線の廃線が全国で続き、存続が危ぶまれる路線も多いなか、現在の若桜線の姿にはローカル線の一筋の光明を見るようだった。