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2017/4/6 16:50

日本のサムライより強い!? 史上最強の騎兵フサリアがいまもポーランド人男性を虜にし続ける理由

映画やドラマに出てくる日本のサムライはみんな、魅力的に見えますよね。しかし、ポーランド騎兵のフサリアもサムライに負けていません。

 

有翼重騎兵とも呼ばれるフサリアは、今でもポーランド人男性の間で熱く語られるロマンです。なぜかというと、彼らは完璧な美しさと圧倒的な攻撃力を誇る、史上最強の騎兵だったから。

 

16~18世紀のヨーロッパを舞台にした戦術シミュレーションゲーム「コサックスシリーズ」が好きな人はご存知かもしれません。きょうは、このフサリアがなぜポーランド人男性を魅了し続けるのか、その理由をお伝えします。

 

フサリアは他国が妬むほど徹底的に美を極めた重騎兵!

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ポーランド騎兵フサリアが全盛期を迎えたのは17世紀頃。当時のポーランドはポーランド・リトアニア共和国と呼ばれ、現在のポーランド、リトアニア、ベラルーシとウクライナの大部分を領土とする広大な国家でした。

 

そうなるともちろん、周辺国からオスマン帝国まで多くの国々がポーランドを攻めるようになります。そこで大活躍したのが、美しすぎる装備を持つフサリアと呼ばれる重騎兵でした。

 

中世ヨーロッパの騎兵の装備といえば、古くから日本と同じく甲冑。しかし、時代が経つにつれ周辺国の騎兵は甲冑を脱ぎ、より軽装になっていきます。それでもポーランド騎兵は見た目の美しさにこだわり、装飾を施した金属製の甲冑の上に高価なヒョウやテンの毛皮などを着込みました。

 

さらに巨大な鳥の羽飾りまで背負い、白と紅の旗を持って立ちはだかるポーランド騎兵はまさに敵国の脅威でもあり、憧れだったにちがいありません。

 

もしフサリアとサムライが戦ったら勝つのはどっち?

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YouTubeにポーランド人が作成した「フサリア vs サムライ」という名の動画がいくつかありますが、そのコメントが実に興味深いです。数々のコメントが寄せられていますが、なんとほぼ満場一致でフサリアが勝つだろうとのこと。

 

一部のコメントを紹介すると、「もし1000のフサリアと1000のサムライがいたら、5人のフサリアは死ぬだろうがサムライは全員死んでいる」「フサリアが持っている6メートルの槍とサムライの刀は比較するまでもない」「サムライが強いと思った人は映画の見過ぎだ」などなど。

 

実現しなかった両者の戦いだけに、ポーランド人の言いたい放題です。しかし島国で主に身内同士戦ってきたサムライと、様々な敵国から攻められては打ち勝ってきたフサリアでは後者のほうが強いような気もしませんか?

 

フサリアは圧倒的少数で大軍を打ち負かしてきた!

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ポーランド人が強く推すフサリア、彼らの実績はいかなるものだったのでしょうか。全盛期のポーランド・リトアニア共和国がバルト海から黒海までをも制覇していたことから、その攻撃力は相当なものであったことが分かります。

 

例えば、1605年9月27日の第1次ポーランド=スウェーデン戦争。この戦いでは3600からなるポーランド軍の内、2600騎がフサリアで構成されていました。対するスウェーデンは、1万1000の軍を率います。そして激しい戦いの結果、スウェーデン軍は6000〜9000人もの死者を出し、ポーランド軍は100人のみの死者でした。

 

1610年7月4日のクルシノの戦いも有名です。この戦いでポーランド軍はフサリアの7倍もの軍を率いるロシアとスウェーデンを打ち破り、モスクワへ入場しました。

 

極めつけは、ヨーロッパ征服を企むオスマン帝国との間に起こったホチンの戦い。この時、5万の内8000騎のフサリアを率いたポーランド軍は15万ものトルコ軍に勝利しました。ポーランド軍は1万4000人の死者を出し、対してトルコ軍は4万2000人もの死者を出しています。

 

また、この後オスマン帝国はウィーンを極限状態にまで追い込みますが、なんと当時のローマ教皇がポーランド国王に直々に助けを要請。ポーランド軍はドイツ軍と共にウィーンへ駆けつけ、たった1時間でヨーロッパをムスリムの支配危機から救い出しました。

 

フサリアが強かったのは高価なアラブ馬だったから

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フサリアはポーランド・リトアニア共和国の貴族から編成されており、彼らは体格が大きめで速く走ることのできるアラブ馬を軍馬として使用しました。アラブ馬は大変高価であったため、それなりに資産を持つ貴族しかフサリアになることはできなかったようです。

 

フサリアは常にまとまって行動し、戦いの場では高速に移動するため回避できる敵はなかなかいませんでした。

 

徹底的に調教された馬は怯えを知らず、敵はポーランド軍が持つ5〜6メートルもの槍につかれるか、あるいは馬の下敷きになって次々と倒れていったといいます。18世紀を迎えポーランドが他国に分割されるとフサリアは衰退していくことになりますが、ポーランドにおいては第二次世界大戦時まで幅広く軍馬が活躍しました。

 

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圧倒的な戦力を持ちながらも美しさを兼ねそろえていたフサリア、現代のポーランド人が誇りに思うのも当然ですね。

 

フサリアを率いた戦いは数百にも及びますが、いずれにしても勝つのはポーランド軍であり、死傷者の数も敵の損害に比べればわずかなものでした。驚くべきことに、フサリアは3世紀にも渡って活躍し、特に16〜17世紀は最も輝かしい時代だったと言われています。

 

これほどまでに長く勝ち抜いた騎兵は後にも先にも存在しません。このような背景を知ると、フサリアがいまもポーランド人男性から愛されている理由も納得ではないでしょうか。