ワールド
2019/4/26 17:15

柴田紗希さんのラオス旅日記【後編】――ボランティア活動について聞きました!【JICA通信】

日本の政府開発援助(ODA)を実施する機関として、開発途上国への国際協力を行っているJICA(独立行政法人国際協力機構)に協力いただき、その活動の一端をシリーズで紹介していく「JICA通信」。

 

今回は「しばさき」の愛称で知られるモデル・タレントの柴田紗希さんによるラオスのリポートをお届けします。

 

関連記事:「柴田紗希さんのラオス旅日記【前編】――ラオスの“かわいい”を探して【JICA通信】」はコチラ

 

青年海外協力隊は、モノやカタチではなく人々の心に残る存在であって欲しい

――JICAラオス事務所 中原二郎 企画調査員

 

柴田さんがラオスで出会った、たくさんの青年海外協力隊員。彼らはラオスで、現地の人々にどんなサポートを、そして彼ら自身はどんな生活を送っているのでしょうか。自らも青年海外協力隊の一員として、パプアニューギニアやマラウイで活動し、その後は企画調査員(ボランティア事業)としてJICAボランティアの活動を支え続けている、中原二郎さんに聞きました。

 

Q. まず、ラオスで活動するJICAボランティアについて教えてください。

 

A. はい。ラオスの青年海外協力隊は、1965年に始まりました。これは、ケニア、フィリピン、マレーシア、カンボジアとともに世界で最初に青年海外協力隊を派遣した国になります。

 

2018年11月現在、青年海外協力隊38名、シニア海外ボランティア5名、計43名がラオスで活動中です。地域特産品の品質改善やマーケティング、教員養成校における教員の指導能力向上、地域の県病院・郡病院における看護レベル向上、県計画投資局での適切な公共事業管理、不発弾除去組織でのシステム管理、スポーツ分野など、多岐にわたる支援活動を行っており、職種の数は19に上ります。

 

Q. ラオスでは特に、どんなボランティア活動が求められているのでしょうか?

 

A. 外国人ならではの視点や気づきをベースにしつつ、地域の人々の目線で、地域の人々に寄り添った草の根レベルの活動が求められています。予算が潤沢にあるわけではないので、現地にある素材を工夫して教材を作ったり、病院だけでなく他分野の配属先でも5S(一般的には製造業・サービス業などの現場で用いられるスローガン。「整理・整頓・清掃・清潔・しつけ」の各ステップの頭文字をとって名付けられた標語)的な活動を導入して行動変容を促したり、創意工夫を凝らして持続的な活動を志向しています。

 

↑自身も青年海外協力隊OVである中原さん

 

Q. 青年海外協力隊の皆さんに対する、ラオスの皆さんからの評判や評価はどんなものでしょうか?

 

A. 親日国の影響があるかもしれませんが、ラオスの方々はJICAボランティアに対して非常に高い評価をしてくださっていると感じています。53年にわたり派遣を行ってきた歴史に加え、ラオ語を操り、ラオスの人々と同じものを食し、同じ時間をともに過ごすことで、身内のような存在になり得ているのだと思います。

 

↑ラオスで活動する青年海外協力隊員と柴田紗希さん

 

Q. 中原企画調査員の、これまでの経歴を教えていただけますでしょうか。

 

A. 2001年度1次隊・青年海外協力隊員としてパプアニューギニアで活動しました。現在のコンピュータ技術職種で、公立病院のカルテ管理システムを開発し、州政府のIT部門職員にシステム開発の技術を指導する活動でした。2005年にはマラウイに短期緊急シニア隊員(プログラムオフィサー)として派遣され、職業訓練分野の調査業務に従事しました。2006年にボランティア調整員としてシリアに赴任。2009年にイエメンで短期ボランティア調整員を経験した後、同年末にソロモン諸島に企画調査員(ボランティア事業)として赴任しました。同業務で2012年にスリランカ、2016年にラオスへと赴任し、国際協力分野での仕事では足かけ18年、7カ国目となります。

 

Q. かつて同じ青年海外協力隊員であった立場からして、今ラオスで活動する若い隊員たちの姿はどんなふうに映っていますか?

 

A. パプアニューギニア(PNG)は電気や水道などのインフラが貧弱で、停電は毎日、断水も3日間続くことが度々あり、食料品をはじめ入手できる物品が非常に限られた環境でした。活動以前に、まず生きることに何割かの時間や労力を割く必要がありましたが、ラオスは治安も生活環境も良く何でも手に入るため、ほぼ100%を活動や現地の人々との交流などに注ぐことができます。他方でラオス特有の時間の流れがあり、ボーペンニャン(No problem)精神が隅々まで行き渡っている故に、物事を前に進めようと思ってもなかなか進まない難しさがあります。ラオス時間の流れに抗うことなく、如何にモチベーションを維持していくのか-。隊員は皆それぞれの着地点を見つけながら、自分なりの2年間を探っているように感じています。置かれた環境や時代、文化や風習は全く違いますが、自分の居場所を構築しながらも現地に順応し、より良い活動や異文化交流を志向していくという点ではPNGもラオスも共通点があるように感じています。

 

↑教員養成校に配属されている鈴木隊員と柴田さん

 

Q. 彼らの現在の活動、ラオスという国での暮らし、そしてラオスを離れた今後について、どんなことを期待していらっしゃいますか?

 

A. ラオスへの興味、関心を持ち続け、失敗を恐れずにどんどん新しいことにチャレンジしてもらいたいですね。ラオスの人たちと喜怒哀楽を共にし、モノやカタチではなく、人々の心に残る存在であって欲しいと思います。それはラオスの人たちにとってだけでなく、自身にとっても一生ものの貴重な財産になるはずですから。また、ラオスで得た異文化理解の経験は、海外だけでなく国内でも活かせる場が必ずあります。ラオスでの経験を糧に自身の成長へと繋げていってもらえたらと願っています。

 

Q. 今現在日本で、JICAボランティアへの応募を検討しているような、特に若い方々に対して、メッセージをいただけますでしょうか。

 

A. 私は会社を退職して協力隊に参加しましたが、それまでの安定した生き方を変えることや帰国後のことを考えると、圧倒的に不安の方が大きかったですね。しかしながら、いったん決意して踏み出してみると、本当に参加して良かったと感じることばかりでした。協力隊時代の経験を通じて人生観や価値観は大きく変わり、掛け替えのない友人たちとの出会いがあったからです。協力隊OVは高い志を持った魅力的な人たちが多いですし、世界を引っ張っていけるだけの人間力と能力を有している人もたくさんいます。彼らの活躍は刺激になるし、協力隊時代に築いた人脈を軸に新しい世界が広がっていくことも多くありました。

 

<中原さんが歴代赴任国で撮影してきた写真の数々>

 

JICA(独立行政法人国際協力機構)のHPはコチラ