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2020/3/31 18:45

スポーツが未来をひらく! 車いすを使用する初の青年海外協力隊員:パラリンピックや隊員の経験を活かし、車いすメーカーのビジネスマンに【JICA通信】

日本の政府開発援助(ODA)を実施する機関として、開発途上国への国際協力を行っているJICA(独立行政法人国際協力機構)に協力いただき、その活動の一端をシリーズで紹介していく「JICA通信」。今回は、青年海外協力隊員としての派遣を経て、現在は車いすメーカーのビジネスマンとして活躍する、神保康広さんの活動を紹介します。

 

「『スポーツを頑張ったら自立につながる』という気持ちをマレーシアの障害者たちと分かち合い、素晴らしい関係をつくることができました。その時の思いが、障害者スポーツの普及を進める今、自分の原点になっています」と語る神保さん。車いすを使用する青年海外協力隊員の派遣は神保さんが初めてでした。

 

車いすバスケットボール選手としてパラリンピックで活躍後、マレーシアで障害者スポーツの普及に取り組みました。現在は、その経験を活かし、競技用車いすの開発や販売に携わり、世界中を飛び回っています。

↑ビジネスマンとして競技用車いすの開発・販売に関わる一方で、車いすバスケットボールの普及にも尽力する神保康広さん

 

スポーツが自立への道をひらいた

神保さんは16歳の時、バイクの事故が原因で脊椎損傷を負いました。事故後、失意のあまり2年程家に引きこもる生活を続けていたなか、車いすバスケットと出会ったことが転機となり、新たな道がひらけたと言います。その後、日本代表選手として、1992年のバルセロナから、2004年のアテネまで4回連続でパラリンピックに出場。2000年には、単身アメリカに渡り、全米リーグでプレーする傍ら、レイクショア財団で障害者スポーツプログラムを学びました。

 

そんな神保さんが、青年海外協力隊員(注)としてマレーシアに赴任したのは2006年。選手経験だけでなく、アメリカで学んだ障害者のスポーツプログラムに関する知識を活かしたいという思いからでした。

(注)短期派遣として2回、活動期間は計7ヵ月

↑マレーシアのチームで、車いすバスケの指導をする当時の神保さん(左から2人目)

 

神保さんがマレーシアでまず感じたのは「20年前の日本のような状況で苦しんでいる障害者が大勢いる」ということ、まさに車いす生活を送るようになった頃の自分と同じ姿がそこにありました。障害者たちは、スポーツ以前に「どこに向かって何を頑張ればいいのかがわからない状況だった」と言います。

 

まずは、やる気を起こさせること、生きる目標をもってもらうことから始めようと、神保さん自ら、車いすで1時間走り続けると、「そんなことができるんだ」と選手たちは目を輝かせました。それは、障害当事者である神保さんにしかできない指導でした。マレーシアでは、車いすバスケットのナショナルチームのコーチをしながら、選手たちの仕事や社会復帰など、スポーツ以外の相談にも応じているうちに「彼らは人間的にも見違えるほどに成長し、自立していった」と神保さんは振り返ります。

↑青年海外協力隊員として、マレーシアに派遣されていた時の神保さん(中列右寄りの黄色シャツ)と指導していた選手、関係者、地元の住民。「今でもマレーシアに行くと、隊員時代に指導した選手たちが会いに来てくれる」と神保さんは笑顔で語ります

 

競技用車いすを開発し英国車いすバスケット代表チームへ提供

マレーシアから帰国後、神保さんは車いすメーカーの松永製作所に入社し、競技用車いすの開発と販売を始めます。

 

海外展開を急ぎ、「全く売れなかった」失敗も経て、自身の経験を活かし選手の立場から製品の開発を続けるなか、松永製作所の競技用車いすの評価は少しずつ高まっていきました。今では、英国車いすバスケットボール代表チームのオフィシャルサプライヤーとなっています。

↑2018年、松永製作所と英国車いすバスケットボール代表チームがオフィシャルサプライヤー契約を締結した際の神保さん(前列右端)。(写真提供:松永製作所)

 

ビジネス以外にもジンバブエで車いすバスケットボールの普及活動を行うなど、多忙な毎日を過ごす神保さんを突き動かすのは、隊員としてマレーシアで感じた「障害のある仲間をなんとか支援したい」という熱い思いです。

 

「社会貢献だけでもなくビジネスだけでもなく、その両面から障害者スポーツの普及に取り組んでいきたい」。障害者スポーツ選手、ボランティア、そしてビジネスマンといくつもの立場に身を置き、そこでの失敗や成功を経験したからこそ、たどり着いた結論です。松永製作所の競技用車いすは今、東南アジア各国での市場展開も進めています。「障害者が、ビジネスやボランティアのために自由に世界に出かけて行くというにはまだ難しい現実があります。だからこそ、車いすに乗った私がまず行かなければ」と神保さんは力強く語ります。

 

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