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2020/10/22 20:00

【アフリカ現地リポート】withコロナで人々の生活はこう変わった――ガーナ、ルワンダ、コンゴ民主共和国

「ウイルスの感染拡大で自分たちの生活がこれほど変わってしまうとは……」

新型コロナウイルス(COVID-19)による緊急事態宣言からの外出自粛やマスク生活などを経験して、このように思った人は多いのではないでしょうか。現在も世界各国で感染を広げ続けている新型コロナウイルスは、日本だけでなく世界中の人々の生活を一変させています。

↑手洗い指導を受けるルワンダの小学生たち

 

たとえば、先進諸国と比べて報道される機会が少ない途上国。なかでも9月に入って感染者数が110万人を越えたアフリカ大陸では、どんな影響や生活の変化があるのでしょうか。コロナ禍以前から日本にあまり情報が入ってきていない分、想像できない面が多くあります。そこで今回は、ガーナ共和国、ルワンダ共和国、コンゴ民主共和国の3カ国で活動を行っているJICA(独立行政法人 国際協力機構)職員や現地ナショナルスタッフを取材。果たして現地の状況は? また人々の生活にどういう変化が起こっているのでしょうか。

 

【ガーナ共和国】コロナ対策への貢献で野口記念医学研究所が一躍有名に

 

↑ガーナの首都・アクラの風景

 

ガーナ共和国は大西洋に面した西アフリカの国で、面積は本州より少しだけ大きく、人口は2900万人弱。日本では「ガーナといえばチョコレート」を思い浮かべる人も多いでしょうが、実際、今でもカカオ豆は主要産品です。また、ダイヤモンドや金などの鉱物資源も豊富なうえ、近年は沖合の油田開発が始まり、経済成長も急速に進んでいます。

 

そんなガーナで初めて新型コロナウイルスの感染者が確認されたのは3月12日。その10日後に国境を封鎖し、さらに1週間後に大きな都市だけロックダウンするという迅速な対策が実施されました。ただし、日用品の買い物はOKで、不要不急の外出は禁止という程度の制限でした。ところが、結局3週間でロックダウンは解除。感染者が減ったからではなく、人々の生活が成り立たなくなってしまうという経済的な事情と、ロックダウン中に検査や治療の態勢がある程度、各地で整ったという背景があるようです。

 

その後も感染者は増え続け、6~7月は1日の確認数が千人を越えた日も。7月頭には累計2万人を越えました。それでもロックダウンはされることはなかったのですが、6月末をピークに現在はかなり減ってきています。この理由について、JICAガーナ事務所で日本人として現地に残っている小澤真紀次長は、「新規感染者が減っている理由はよくわかっておらず、私たちも研究結果を待っているところです」と言います。

 

コロナ以前にくらべ、人々の衛生意識に着実な変化が

JICA事務所で働くガーナ人スタッフに話を聞くと、「公共バスは混雑していてソーシャルディスタンスもとりづらい状況なので、自分は極力利用しないようにしています。街中を見ると、市場では売り手のほとんどがマスクを着用していますが、定期的に手を洗ったり、消毒剤を使用したりといった他の予防策はあまりとられていません」と、それほどコロナ対策が徹底されていないと感じているようです。

↑ガーナではもっとも安価な交通機関として人気の乗合バス「トロトロ」の車内。コロナ対策としてマスクの着用と席間を空けることが義務づけられている

 

一方、別のスタッフは、「多くのガーナ人は手洗いや消毒など衛生面の重要性を以前より意識するようになりました。天然ハーブを使って免疫力を高めようとしている人もいます。マスクについても、ほとんどの人が家を出るときにマスクを持っていますが、正しく着用している人は少ないです。呼吸がしづらいという理由で、アゴにかけたり、鼻を覆っていなかったりする人も多いです」と教えてくれました。日本と違ってやはりマスクに慣れている人が少ないことが窺えます。

 

生活面に関しては、「生活は日常に戻りつつありますが、ソーシャルディスタンスのルールを守っている人は少ないです。大きなスーパーマーケットやレストランではコロナ対策のルールをしっかりと守っていますが、小規模の店では徹底しきれていないと感じます。また、ほとんどの学校はオンライン教育を行なう手段を持っていないので、子供たちが学校に行けなくてストレスを感じています」と言います。そんななか、以前から行なわれていたJICAの取り組みが意外な形でコロナ対策に役立っています。

 

「JICAでは以前から現地の中小企業の製造プロセスにおける無駄をなくすため、カイゼン活動を紹介するなど、民間に対する協力をしていました。その中に布マスクを作っている縫製会社もあり、増産していただくことになったのです」(小澤さん)

 

ガーナ国内では、マスクの着用が義務付けられて以来、さまざまな業者や個人で仕立て屋を営む女性たちがマスクの製造を始め、街中でマスクを売る人も増えました。布マスクが100円しないぐらいで買える(紙マスクとあまり変わらない価格)ので、マスクの普及も一気に進んだそうです。小澤さんも「最近は服を仕立てるのと同じ布でマスクもセットで作ってくれたりします」と、コロナ禍でも新たな楽しみを見出していると言います。

↑アフリカならではのカラフルな色使いが特徴の布マスク

 

そして、コロナ禍でひと際クローズアップされるようになったのが日本の国際協力です。なぜなら、1979年に日本の協力で設立された「野口記念医学研究所(以降、野口研)」が、感染のピーク時には、ガーナ国内のPCR検査の8割程度を担ってきたからです。当研究所の貢献は毎日のように報道され、「今は知らない人が1人もいないぐらい有名になっています」(小澤さん)とのこと。ガーナでは「日本といえば野口研」というイメージになった模様です。もちろん「野口」というのは、黄熱病の研究中に自らも黄熱病に感染し、1928年にガーナで亡くなった野口英世博士のことです。

↑野口記念医学研究所のBSLラボでの検査の様子。PCR検査だけでなく、これまでも多くの研究成果をあげてきた

 

この野口研に対しては、以前からJICAが資金、人材、設備などさまざまな面で協力を続けています。コロナ前から長い時間をかけて積み上げてきた協力が、この災禍の中で大きな成果をあげているというのは、同じ日本人として誇らしいことですね。

 

【教えてくれた人】

JICAガーナ事務所・小澤真紀次長

大学時代に訪れた、南西アジアにおける村落開発に興味を覚え、2002年に旧国際協力事業団(現JICA)に入構。2017年に保健担当所員としてガーナ事務所に着任し、2018年秋より事業担当次長を務める。ガーナ駐在は2006年に続いて2度目。趣味のコーラスはガーナでも継続しているが、コロナ流行で中断中。代わりにパン焼きを始めた。山梨県出身。

 

【ルワンダ共和国】コロナ禍で若者や現地スタッフが大きな力に

 

次に紹介するのは、東アフリカの内陸国、ルワンダ共和国。面積は四国の1.4倍ほどで、人口は1230万人。アフリカでもっとも人口密度が高い国と言われています。1980~90年代には紛争や虐殺もありましたが、21世紀に入って近代化が進み、近年はIT産業の発展にも力を入れているそうです。

↑ルワンダの首都・キガリの街並み

 

「資源の少ない内陸の小国なので、教育を通じて人間力を高め、それを経済発展につなげていこうと考えているようです。そこは日本とも共通しますね」。こう話を切り出したのは、JICAルワンダ事務所の丸尾信所長です。

 

ルワンダで最初に新型コロナウイルスの感染者が確認されたのは3月14日で、その1週間後には強力なロックダウンが施行されました。国境はもちろん、州を越えた移動も物流以外は制限され、市内でも食料など生活必需品の買い物以外は基本的に外出禁止。もちろん外出中はマスクの着用が必須。街角には警官が立ち、ルールを守らない人を取り締まりました。ルワンダでは政府の力が強く、早い段階で強硬なコロナ対策が徹底されたのです。そうしたロックダウンが2カ月近く続き、解除された後も夜間の外出禁止や学校の休校は続いています。また感染者が多い地域やクラスターが発生した街は、その都度、部分的なロックダウンが行なわれているようです。

↑ソーシャルディスタンスを取って店頭に並ぶ人々。多くの人がマスクを着用している

 

感染予防対策に関して、行政の指導によってかなり浸透してきましたが、アフリカならではの共通した課題もあります。それは、地方では家の中まで水道管がつながっていない家庭のほうが多いこと。井戸や共同水洗まで水を汲みに行って生活用水にしているので、日本のように頻繁に手を洗う習慣はありません。そのためコロナ対策として、街中のあちこちに簡易な手洗い器が設置されるようになりました。

↑街中ではこのような簡易手洗い施設が各所に設置されるように。手の洗い方を写真入りで示したガイドが貼られ、石けんも置かれている

 

実際の生活について、JICA事務所のルワンダ人スタッフにも聞いてみました。

 

「COVID-19によって在宅勤務をする人はかなり増えました。 私も必要に応じて在宅勤務とオフィス勤務を使い分けていますが、ネットの接続が途切れることが多いため、在宅勤務はあまり効率的ではありません」

 

日本の家庭では光ファイバーなどの有線回線も普及していますが、ルワンダをはじめとするアフリカ諸国では携帯電話の電波を使った接続が主流です。そのため、回線状態が安定せずに苦労することも多いのだとか。

 

一方、「バスの駐車場、市場や公共の場所などでは、ベストを着たボランティアの若者の姿をよく見ます。彼らは、市民がマスクを適切に着用することや、公共の場所に入る前に石鹸あるいは液体消毒剤で手を洗うように促しています」と話してくれたスタッフも。

 

丸尾さんの印象では、ルワンダ国民はお互いに助け合う意識が強く、それを若い世代もしっかりと受け継いでいるようです。

 

IT立国を目指すルワンダならではのユニークな対策

ルワンダならではの特徴的な対策として、ドローンをはじめとする最先端IT技術の活用が挙げられます。たとえば、ドローンに拡声器を取りつけて市中に飛ばし、COVID-19の予防措置について住民に呼びかける活動などが行われています。また、アメリカ発の「Zipline」というスタートアップが実施する飛行機型ドローンで血液や医薬品を輸送するという事業は、コロナ禍以前から続けられています。ルワンダでの運用経験を生かして、COVID-19検体の輸送にも利用するようになった国もあるそうです。「ルワンダでドローンが積極的に利用されるのは、この国の道路事情も関わっている」のだと丸尾さん。

 

「山がちな国土のうえ、地方では道路整備が進んでおらず未舗装路が多いんです。しかも、雨が降ると坂道に水が流れてさらに凸凹になり、走行に支障をきたします。しかしドローンを使うことで、自動車だと3時間ぐらいかかっていた場所でも10分ぐらいで血液を届けられるようになったという話を聞きました」

 

他にも、1分間に何百人も非接触で検温をしたり、医療従事者の患者との接触を減らすために入院患者に食事を配膳したりするロボットが空港や病院で使われるなど、試験的にではなく実用として先端技術が生かされています。そこにも日本の技術が数多く生かされているのです。

↑空港で実際に使用されているロボット。「AKAZUBA(ルワンダのローカル言語でSunshineの意味)」と名付けられている

 

現在は、万一新型コロナウイルスに感染し、重症化した場合を懸念して、各国に駐在するJICA日本人スタッフや専門家はほとんど帰国しています。にも関わらず、ルワンダでは以前から進行中のプロジェクトが中断されている事例はひとつもないそうです。

 

「たしかに日本人の専門家が現場に行って直接指示を出せないのは大きな障害ですが、以前からプロジェクトに携わってきた現地スタッフに、日本からリモートで連絡をとりながら事業を進めてもらうというやり方が、試行錯誤しながら成果を挙げてきています。経験があって能力も高い現地スタッフが多く、彼らの活躍によって思った以上にプロジェクトが継続できています」(丸尾さん)

 

これも、日本やJICAが長年にわたって地道に支援を続けてきた成果と言えるかもしれません。

 

【教えてくれた人】

JICAルワンダ事務所・丸尾 信所長

2009~2013年にルワンダの隣国タンザニアのJICA事務所に在任中、ルワンダ・タンザニア国境の橋梁と国境施設建設案件を担当。以来ルワンダ事業に関わる。ルワンダ政府の方針に寄り沿い、周辺国との連結性強化の取り組みも支援している。赤道近くながらも、標高1000mを超える高原地帯にあるルワンダの冷涼な気候がお気に入り。2019年2月より現職。

 

【コンゴ民主共和国】「感染症の宝庫」ならではのコロナ事情とは

 

「コンゴ」という名が付く国が2つあることは、日本ではあまり知られていません。今回紹介する「コンゴ民主共和国」は1997年に「ザイール」から改称した国で(以下、コンゴと省略)、その西側に隣接するのが「コンゴ共和国」です。コンゴ民主共和国は、日本のおよそ6倍、西ヨーロッパ全体に相当する面積を持ち、人口は約8400万人。アフリカ大陸ではアルジェリアに次いで2番目に大きな国です。鉱物資源が豊富で、耕作可能面積も広大なので非常に大きな開発ポテンシャルを持っていますが、その一方で、国内紛争が長く続いていて、マラリアやエボラ出血熱などの感染症死亡者も多く、アフリカにおける最貧国のひとつとも言われています。

↑コンゴ民主共和国の首都・キンシャサは、人口1300万人以上というアフリカ最大の都市

 

今回、JICAコンゴ民主共和国事務所の柴田和直所長に同国の詳しい情報を伺ったのですが、中には日本に住む我々には想像できないような話もありました。たとえば、コンゴには26の州がありますが、国土の西端近くにある首都キンシャサから自動車だけで行ける州は3つ。全国的な道路整備が進んでおらず、その他の州に行くには、飛行機に乗るか船で川を進んでいくしかないとのこと。

 

「だから国全体を統治することが難しく、東部で続いている紛争を止めるのも困難な状況です。資源国でありながら、経済発展がなかなか進まないんです」(柴田さん)と、広大な国土を持つコンゴならではの難しさを指摘します。

 

そんなコンゴのもうひとつの特徴は、新型コロナウイルス以前から感染症が非常に多いことです。エボラ出血熱の発祥地でもあり、これまで10回にわたるエボラの封じ込めを行ってきました。感染症関連の死因でもっとも多いのはマラリアで、今年もすでに8千人以上(※見込み値)が亡くなっています。その他にもコレラ、黄熱病、麻疹(はしか)などでも死者が出ており、中には、日本では予防接種をすれば問題ないとされる、はしかで亡くなる子どもも。

 

コンゴで新型コロナウイルスの感染者が初めて確認されたのは3月10日で、2日後には国の対応組織が作られました。そして3月21日に国境が封鎖され、飛行機は国際線も国内線も運行停止に。3月26日には、首都キンシャサの中心部、政治・経済の中枢となっているゴンベ地区がロックダウンされ、他の国と同様のさまざまな制限が設けられました。こうした迅速な対応ができたのは、国として感染症の恐さもよくわかっていて、なおかつ専門家も多いからと言えます。一方で、「首都でこれだけ厳しい対策がしかれ、大きな影響が出ているのは、私の知るかぎりは初めて」(柴田さん)という言葉から、新型コロナウイルスの脅威の大きさが窺えます。

↑コロナ禍以前のキンシャサの市場。今は混雑もかなり緩和されているが、ソーシャルディスタンスを確保するのは難しいそうだ

 

JICA事務所のコンゴ人スタッフも「移動の制限が生活をとても困難にしています。それが商品不足の不安を引き起こして買いだめにもつながり、物価が高騰して国民の生活を非常に苦しくしています」と厳しい現状を伝えてくれました。

 

現在はロックダウンを解除しているコンゴ。小規模な小売店をはじめ、その日その日の収入で生活している人が多いため、外出禁止にすると食べ物を得る糧を失ってしまう人が多く、外国人や富裕層が多いゴンベ地区以外は制限を緩めて経済活動を継続せざるをえないという事情があるからです。他の感染症に比べて死亡率が低く、感染しても無症状で終わることが多い新型コロナウイルスで、これほどの経済的苦難を強いられるのは納得がいかないなどの理由から、コロナの存在自体を否定するフェイクニュースが出たりすることもあるようです。

 

日本の貢献が光る、コンゴでのコロナ対策

そんなコンゴでも、コロナ禍で日本の存在感が大きくなっています。ガーナでの野口記念医学研究所と同様の役割を持つ「国立生物医学研究所(INRB)」は日本が継続的に協力している機関で、コンゴではPCR検査の9割以上をINRBがまかなっています。また、日本が設立した看護師、助産師、歯科技工士などの人材を育成する学校「INPESS」は、国のコロナ対策委員会の本部や会議室として使用されています。

↑日本が建設したINRBの新施設

 

コンゴ医学界の要人との絆もより強固になっています。70年代にエボラウイルスを発見したチームの一員で、2019年に第3回野口英世アフリカ賞を受賞したジャン=ジャック・ムエンベ・タムフム博士は、INRBの所長を務め、JICAとの関係も深い人物。国民の信頼も厚く、現在はコロナ対策の専門家委員会の委員長も務めていて、日々国民の感染対策への意識を啓発しています。

↑ムエンベ博士(中央)と柴田所長(左)。右の女性は、JICAを通じて北海道大学へ留学した経験があるINRBスタッフ

 

「私たちが一緒に働いているコンゴの人たちは本当に真面目で、この国を良くしたいと毎日頑張っています。陽気で楽しい人たちでもあります。今回はお伝えできなかったですが、とても豊かで魅力的な文化や自然もあります」と柴田さん。最後にコンゴへの思いを熱く語ってくれました。

 

コンゴに限らず、アフリカの人たちはとても芯が強く、苦しい生活の中でも明るさを失っていないと、小澤さんも丸尾さんも柴田さんも口を揃えています。コロナ禍にあっても決して折れない心。それは日本の我々にとっても大きな希望となるように感じました。

 

【教えてくれた人】

JICAコンゴ民主共和国事務所・柴田和直所長

1994年よりJICA勤務。2018年3月より2度目のコンゴ駐在。過去2か国で4回のエボラ流行対策支援に関わり、コロナ対策支援も現地で奮闘中。趣味は旅行、音楽鑑賞・演奏などで、コロナ流行前は、コンゴ音楽のライブやキンシャサの観光名所巡りを楽しんでいた。

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