スポーツには民族を融和させる働きがあります。近年の研究では、アフリカの国々がサッカーのワールドカップなどの重要な国際大会の試合で勝利すると、勝った国の異なる民族間でお互いの信頼度が高くなり、その後ある程度の期間、民族紛争が起きる可能性が低くなることが判明しています。
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しかし、いつもスポーツがそのような平和的な機能を発揮するわけではありません。その一例として、バスケットボールを見てみましょう。このスポーツは中国の若者の間で抜群の人気を誇ります。もともと日本の漫画がその人気に火をつけたとも言われていますが、バスケットボールは同国の国民的スポーツの一つになりました。しかしそれゆえに、バスケットボールは昨年まで米国と中国の覇権争いに巻き込まれていたのです。本稿では中国のバスケットボール文化と併せて、その事件を振り返り、スポーツと政治の関係について別の視点から考えてみます。
日本の影響を受けた中国のバスケ愛
中国におけるバスケットボールの人気の高さは、さまざまなことから見ることができます。例えば、オリンピックの入場式では、男子バスケットボールチームの選手が中国の旗を掲げるのが慣例。地域ごとにクラブチームもありますが、デパートの前や公園、会社の敷地内など、町中に設置されたコートでは、子どもから大人まで多くの人がストリート・バスケットボールを楽しんでいます。
中国でバスケットボールの人気に火が付いた理由の一つには、一説によると日本で最も人気があるバスケットボール漫画の一つ『スラムダンク』の影響が大きいといわれています。中国ではバスケットボール好きかどうかにかかわらず、また年齢や男女を問わず、スラムダンクが大人気となりました。ヤンキーあがりの主人公・桜木花道の成長物語に感動したり、クールな天才プレーヤー・流川楓にも人気が集まったり。日本同様に、中国でも個性豊かなキャラクターや彼らのストーリーがウケたのです。
日本では1993年から同アニメがテレビで放送されましたが、中国では1995年に放映が開始。これによってNBAの試合を視聴する人も増え、折しもスター選手マイケル・ジョーダンの全盛期も重なって、バスケットボール人気に拍車がかかるようになったのです。さらに、スラムダンクで育った世代から、NBAプレーヤーにまで上り詰める選手が現われました。このような現象もあって、2009年に中国図書商報と中国出版科学研究所が共同で評定した『新中国60年中国で最も影響力のある600冊の本』にスラムダンクが選ばれました。
中国は多くのNBA選手を輩出しています。ヤオ・ミンはヒューストン・ロケッツに2002年に入団して活躍し、イー・ジャンリャンは2007年にミルウォーキー・バックスに入団後、ニュージャージー・ネッツ、ワシントン・ウィザーズ、ダラス・マーベリックスで活躍しました。そのほかにも、ワン・ジジーやメンケ・バータル、スン・ユエ、ジョウ・チーと多くのNBA選手がいます。彼らの存在が国内選手の実力を引き上げ、新たなスター選手を生み出し、さらにそれがバスケ人気に拍車をかけて、新しい才能がどんどん出てくる、というサイクルになっているようです。中国のバスケットボールはアジア地域でトップクラスの実力を有しており、スラムダンクを生んだ日本は後塵を拝しています。
国民的スポーツゆえに……
中国にとって国民的スポーツともいえるバスケットボールは、当然メディアでも人気コンテンツの一つ。数年前には約8億人がテレビなどでNBAの試合を観戦しました。中国の大手IT企業・テンセントはNBA観戦専用のアプリを提供しています。また、CBAのクラブには、NBAで活躍していた選手も数多く在籍しており、中国の国営放送(中国中央電視台)はNBAと併せてCBAの試合も連日放送しています。
NBAの放送が中国で始まったのは30年ほど前。それからバスケットボールの人気に火が付くまで10年ほどかかりましたが、NBAと中国の関係は近年まで概ね良好でした。しかし、2019年10月に事件が起こります。
民主主義を求める香港で起きた大規模なデモを受けて、NBAの人気チームの一つ「ヒューストン・ロケッツ」の幹部が「香港と共に立ち上がろう」と書かれた画像をツイート。この行為に対して中国が反発し、中国国営放送がNBAの放送を中止しました。
その結果、二つのことが浮き彫りに。一つ目は中国におけるNBAビジネスの大きさです。中国の放送中止や中国企業のスポンサー撤退により、NBAには最大4億ドル(約420億円)の損失が生じたとされています。
二つ目は、バスケットボールが愛国心を刺激する装置であること。コアなバスケットボールファンは中国国内で1.5億人にのぼるといわれています。放映中止の決定は中国政府が主導しましたが、多くの一般市民が問題のツイートに対してネット上にコメントを投稿し、ヒューストン・ロケットの幹部を非難。外交の観点から見れば、ソフトパワーの一つであるNBAが中国人のナショナリズムを煽ってしまったのです。
この事件が終わるまで1年かかりました。中国国内でNBAの放送再開を望むが多かったことに加え、NBAがコロナ禍の中国に医薬品提供などを行ったことにより、中国国営放送は2020年10月、NBAの試合の中継放送を再開しました。
卓球は違う?
バスケットボールを舞台にした米中の衝突は2011年8月にも起きています。米国のジョージタウンの学生チームが中国のプロチームと北京で親善試合を行いましたが、途中で乱闘騒ぎに。事の発端は定かではありませんが、その試合には、中国の次期大統領(当時)の習近平氏と会談するために中国を訪問していた米国のジョー・バイデン副大統領(当時)がスタジアムで観戦していました。その後、両チームは和解しましたが、米国のシンクタンク・外交問題評議会は「バスケの乱闘が米中関係の、よろしくない象徴に」という見出しの記事を掲載しています。
その逆に、アメリカと中国はスポーツを通じて両国の緊張関係を緩和したこともあります。それが、1971年のピンポン外交です。名古屋市で開催された第31回世界卓球選手権を舞台にしたこの出来事は、その後の米中関係でなく日中関係にも影響を与えたと言われています。米中が対立しているときはバスケットボールでも喧嘩が起きるようですが、両国の間で卓球の話が出てきたら、緊張緩和のサインかもしれません。
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