雑貨・日用品
2020/10/7 21:00

巣ごもり需要で再注目の「バスクリン」。 90年の歴史に隠された試行錯誤

今年春の、緊急事態宣言による外出制限時は、多くの飲食店同様、温泉や銭湯も休業が相次ぎました。私ごとですが、週に3日は温泉に入っていた筆者にとってはこれが結構なストレスでした。でも、特にそんなときに役立ったのが自宅でのバスクリン風呂。

 

ご存知の通り「バスクリン」は日本を代表する入浴剤ですが、定番のバスクリンのほかに派生商品の「バスクリン フレグランススタイル」、「大人のバスクリン」、「バスクリン ピュアスキン」、「バスクリン 薬湯」、「バスクリン クール」など、自宅入浴を楽しめるアイテムがたくさん出ています。しかし、このバスクリンのルーツとは何なのか? と調べたところ、なんと90年もの歴史があり、今年はその周年イヤーなのだそうです。そこで今回は(株)バスクリンを尋ね、マーケティング本部の後藤 葉さんに、その歴史と知られざるエピソードを聞きました。

↑(株)バスクリンマーケティング本部・後藤 葉さん。実のおじいさまが「入浴剤好き」だったことで幼少期よりバスクリンに親しみを持ち、ご自身も大のお風呂好きによって同社に入社されたそうです

 

バスクリンは、銭湯からの依頼でできた「夏仕様」の入浴剤だった!

ーーバスクリンが誕生したのは今からはるか90年前、1930年のことですね。

後藤葉さん(以下、後藤) 弊社の前身は(株)津村順天堂(現:(株)ツムラ)なのですが、この会社から1897年に「浴剤中将湯(よくざいちゅうじょうとう)」という入浴剤が販売されました。これは「日本初の入浴剤」と言われていて、生薬で造られたものでした。血行を良くし女性特有の症状を緩和する婦人薬「中将湯(ちゅうじょうとう)」という当時の同社のメインが、浴剤中将湯を生むきっかけとなりました。

↑1897年頃、津村順天堂本店の様子。商品にかける熱気が伝わってきます(写真提供:(株)バスクリン)

 

後藤 ある日、この婦人薬中将湯を作る過程で出た生薬の残りを、当時の社員がおうちに持ち帰ったそうです。お湯に生薬の残りを入れたところ体がポカポカしたり、子どものあせもが治ったりしたそうです。当時、津村順天堂は日本橋にあったのですが、まずこの地域でその話が口コミで広まって、銭湯のほうから「商品として売ってくれないか」という依頼をいただきました。それで銭湯用に「浴剤中将湯」が製品化されたんです。

↑1907年、旧社屋から改装された津村順天堂本店(写真提供:(株)バスクリン)

 

後藤 ただ、この銭湯向けの浴剤中将湯は、たしかに体はポカポカするのですが、夏だと暑すぎてたまらない……という事もあったようです。それで、また銭湯からの「夏でも快適に過ごせる入浴剤はないか」という依頼を受けて1930年に開発したのが芳香浴剤「バスクリン」でした。

↑(株)バスクリン本社に飾られているバスクリンのルーツ浴剤中将湯(左・レプリカ)と、初代バスクリン(右・レプリカ)のパッケージ。ちなみに当時のバスクリンは150g入りで50銭で販売されていたそうです

 

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