本・書籍
2018/11/19 21:30

日本初の女性盲導犬ユーザーと7頭の盲導犬の強く美しい絆

警察犬、盲導犬、介助犬などの人間のために利用される犬たちの一生は、厳しい訓練からはじまり、過酷な現場での仕事の毎日で自由がなくかわいそうだと言う人がいる。が、本当にそうだろうか? 室内飼いで家族の一員として暮らす犬たちは別として、日本ではまだまだ外飼いの犬が多い。2メートルほどの鎖に一日中繋がれていたり、利発な犬種でも檻に入れられ飼われているのを見ると、私はそれこそ「かわいそう」と思わず呟いてしまう。

 

使役犬は常に人と寄り添って共に行動し、いろんな場所にでかけられる。そして、いい仕事をすれば褒められ、たくさん撫でてもらえる。だから、ずさんな飼われかたをしているペットより、何倍も何十倍も幸せになのかもしれない。

 

 

魔法のような犬がほしい

盲導犬の話といえばベストセラーになった『盲導犬クイールの一生』が有名だ。ドラマにも映画にもなり、この作品を通じて多くの人が盲導犬を知るきっかけになった。

 

が、日本ではいつごろ盲導犬が登場し、誰が最初のユーザーになったのかを知る人は少ない。『七頭の盲導犬と歩んできた道 日本初の女性盲導犬ユーザー 戸井美智子物語』(沢田俊子・著 野寺夕子・写真/学研プラス・刊)は、それを教えてくれる一冊だ。

 

昭和4年生まれの戸井美智子さんは、1歳4か月のときのはしかによる高熱のため視力を失ってしまった。けれども、両親は過保護にせず他の姉妹と同じようにしたいことは何でもさせてくれたおかげで、美智子さんは好奇心も自立心も強い少女に育っていったのだそうだ。

 

美智子さんがはじめて盲導犬の存在を知ったのは8歳のとき。父親が新聞記事で、アメリカからゴルドンという青年が盲導犬を連れて日本にやってきたニュースを読み上げてくれたのだ。

 

ゴルドンさんは、犬といっしょに、まるで目が見える人のようにホテルの階段をすらすら下り、車の行きかう車道を横切っていったというのです。(目が見えない人を、犬がどこへでも連れていってくれるですって!)美智子さんは興奮しました。そんな魔法のような犬がいたら、ひとりで学校も行けるし、おつかいにだって行けます。

(『七頭の盲導犬と歩んできた道 日本初の女性盲導犬ユーザー 戸井美智子物語』から引用)

 

しかし、その後、盲導犬の情報が入ることはなく、あれは特別な人のもの、と諦めてしまったのだという。

 

 

アメリカ留学ではじめて触れた盲導犬

美智子さんが本物の盲導犬に触れたのは22歳になったときのこと。教師になることを目標に勉学に励んだ彼女は単身アメリカに向かい、テキサス州のウエスタンカレッジに留学した。ある日、大学の音楽室でピアノの練習をしているとノックの音がしてピアノの調律師が入ってきた。そのとき「ステイ」という小声が聞こえた。

 

美智子さんは、高鳴る胸をおさえつつ、ききました。

「あのう、犬がいるんですか?」

「そうです。彼がいてくれるので、目が見えないわたしでも、キャンパスを自由に移動できるんですよ」(中略)盲導犬がここにいる……。それは感動となって、美智子さんの体中に広がっていきました。(中略)床にねそべっているジョンと呼ばれた犬にさわらせてもらいました。ジャーマン・シェパードのジョンは大きな体でしたが、おとなしく、なでているうちに、(わたしも盲導犬がほしい)という思いが、どんどん強くなっていきました。

(『七頭の盲導犬と歩んできた道 日本初の女性盲導犬ユーザー 戸井美智子物語』から引用)

盲導犬オディーとの出会い

日本で盲導犬の育成が遅れた理由のひとつには、土足のまま家に入る欧米と違い、畳の上に外を歩きまわった犬を上げることへの抵抗なども背景にあったようだ。

 

国産盲導犬第一号を誕生させたのは塩屋賢一さん。犬好きの彼は試行錯誤を繰り返し、9年をかけて最初の盲導犬を育てあげたのだ。それが昭和32年のこと。アメリカから帰国し、教鞭をとっていた美智子さんはこのニュースを聞き、すぐさま塩屋さんに連絡を取った。

 

そうして待つこと3年、31歳になった美智子さんの元に待ち望んでいた子犬がやってきた。盲導犬ではなく盲導犬候補の子犬だ。現在のようにパピーウォーカーが子犬の世話をする仕組みがなかったため、ユーザー自身が訓練期間入るまで子犬を預かったのだという。

 

生後3か月の雌のジャーマン・シェパードのオディーはいたずらで、柱に歯形をつけ、布団を噛みちぎって綿を舞い散らしたり、おしっこやよだれで家を汚したり、家族はかなり手を焼いたそうだ。それでも美智子さんにとってオディーは特別な犬、いずれは盲導犬になって役に立ってくれるという思いで、かわいくてならなかったと振り返っている。

 

その後、オディーは塩屋さんのところに訓練を受けに戻り、3年後にりっぱな盲導犬として美智子さんの元に戻ってきた。こうして美智子さんは日本女性初の盲導犬ユーザーになったのだ。

 

が、当時は、まだ盲導犬への理解もなかったため、公共の乗り物には乗れず、人の出入りが多いデパートや市場への立ち入りもできなかったそうだ。それでも美智子さんはオディーと歩く、それだけで誇らしかったという。

 

少女のころから夢見ていた魔法のような犬と自由に歩いているという喜びが、彼女の心を満たしてくれたのだ。

 

 

7頭の盲導犬とのそれぞれの絆

美智子さんはこれまで7頭の盲導犬と暮らしてきた。本書を読むと、同じ盲導犬でもペットの犬と同じように個体差があって、それぞれの性格の違いもわかり、とても興味深い。

 

2代目クリス(ジャーマン・シェパード、雌)は、体が小ぶりなので動きが軽やか。性格は冷静で知的。

 

3代目パンパス(黒のラブラドール、雌)は、好奇心旺盛で、歩行中に知った人を見かけると早足になってしまい引っ張られることもしばしばで、盲導犬としては問題をかかえていたようだが、その分、楽しく、笑える思い出が多いそうだ。

 

4代目アルディア(イエローのラブラドール、雌)は、利発で落ち着いた性格で完璧な盲導犬だったが、たった4か月で病死という悲しい別れに。

 

5代目ローラ(ゴールデン・レトリバー、雌)は、盲導犬としての資質をすべてもっていた。阪神・淡路大震災をいっしょに乗り切れたのはこの犬のおかげとも。

 

6代目アリサ(イエローのラブラドール、雌)は、ひかえめで大人しい性格。が、記憶力がいいので、その分思い込みが強く、自らが行きたい方向に歩いてしまうことがあったそうだ。

 

7代目ニルス(イエローのラブラドール、雄)は、はじめての雄犬で力が強すぎるのではと心配したそうだが、ニルスは心くばりのできる優しい犬で、美智子さんの目となり、何の不安も感じず共に歩くことができているという。

 

それぞれの犬と美智子さんとの強い絆にはとても感動させられる。

 

さて、もし街で盲導犬を見かけたとき私たちはどうしたらいいのか? それは何もしないで静かに見守ること。盲導犬は仕事中なので、気を散らすようなことは絶対にしてはいけない。

 

【書籍紹介】

 

七頭の盲導犬と歩んできた道 日本初の女性盲導犬ユーザー 戸井美智子物語

著者:沢田俊子
発行:学研プラス

日本で女性初の盲導犬ユーザーである戸井美智子さんと、ともに歩んだ七頭の盲導犬との愛情あふれる感動のノンフィクション。1964年の初代オディーから始まり、現在の7代目のニルスまで、それぞれの盲導犬との思い出深い物語。

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