毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史作家・谷津矢車さん。今回は「雨」をテーマに様々なジャンルから5冊を紹介してもらいます。
梅雨の鬱陶しさすら楽しみになる一冊が必ず見つかるはずです。
私事で恐縮だが、雨が嫌いだった時期がある。
小説家になる前、土木も関わる仕事に従事していたため、雨が降ると作業がお休みになってしまうことが多かった。「えっ、雨が降ったらお休みってハメハメハ大王みたいで羨ましい!」とお思いの方、ちょっと待ってほしい。ハメハメハ大王とは違い勤め人には厳然とした納期が存在するわけで、その分しわ寄せが後の日程にゆき、無理をしなくてはならなくなる。仕事を辞めてからも、しばらくは雨雪の日には胃が痛くなったものである。
おおっと、昔話が長くなってしまった。
今日の選書のテーマは「雨・梅雨」である。わたしの昔話はさておいて、本題に入ろう。
「髄車の雨」「我儘雨」……「雨」にまつわる言葉の数々
昔の人々は雨にいろいろな心象を付託してきた。歌に織り込み、文芸作品のシチュエーションに取り入れるうち、雨の細かなニュアンスにも感知できるようになったようである。かくして現代、雨にまつわる言葉で溢れ返っている。
そんな雨にまつわる言葉を集めた辞典がある。『雨のことば辞典』(倉嶋厚、原田稔・著/講談社学術文庫)である。
例えば皆さんは「晴好雨奇」という言葉をご存じだろうか。「髄車の雨」は? 「我儘雨」は? 「山廻り」は? 「不浄流し」は? 実はここで挙げた言葉はすべて雨に関わる言葉である。本書はあくまで辞典であり、五十音順に並んでいる辞書形式だから、たとえば一日に一回ページを適当に開き、「こんな言葉があったんだ」と嘆息する――といった読み方も雅でよいのではあるまいか。もっとも、辞典としてはそこまで大部のものでもないので、頭から読んで気になる言葉をチェックするような読み方でも一向に構わない。
また、学術文庫版あとがきにおいては新しい言葉として「ゲリラ豪雨」が紹介されている。雨にまつわる言葉はひたひたと増えているのである。
「雨」にまつわる科学史
雨はなぜ降るのだろう?
これをお読みの皆さんならば、「いや、海から蒸発した水蒸気が雲になって雨を降らしているんだろ」と即答なさることだろう。小学校で習うような知識であるが、この知識の裏には、先人たちの科学的アプローチの積み重ねがある。
そのことを教えてくれる本がこちら、『雨はどのような一生を送るのか』(三隅良平・著/ベレ出版・刊)である。本書は「雨の一生」にまつわる科学的な知見を丁寧に説明している概説書である。本書を紐解くと、我々の良く知る「海から蒸発して」云々の説が定説化するまでに、多くの科学者たちがさまざまな試行錯誤を積み重ねてきたことがわかる。本書は「雨にまつわる科学史」的な側面が色濃く、理系的な知識がなくても楽しく読むことができるだろう。
わたしのような歴史ファンからすると、『赤ずきんちゃん』などで知られる童話作家のペローの兄が税収官の地位から追放されたのち雨の研究に没頭していたというようなこまごまとした歴史トリビアも楽しめた。
今や常識となっている様々な真理は、古の人々の推論と試行錯誤、科学への信頼によって導き出されたのだということを「雨」という事象の研究史から知ることができる一冊である。
信長は「雨」が降るのを知っていた?
次にご紹介するのは、『梅雨将軍信長』(新田次郎・著/新潮社)である。新田次郎と言えば山岳小説・歴史小説分野で知られる巨人の一人であるが、本書は新田次郎の巨人たるゆえんを楽しむことができる一冊である。
さて、ここのところ、歴史小説分野では理系的知識や事象をモチーフにした作品群が流行を見せている。例を挙げるなら、暦学・天文学をモチーフにした「天地明察」(冲方丁・著)、確率論を話のギミックに用いた「光秀の定理」(垣根涼介・著)などがあるし、和算をモチーフにした作品ならば硬軟織り交ぜ多数存在する。
本書はそんなブームを何十年も前に先取りにした歴史小説である。
理系知識の利用は表題作である「梅雨将軍信長」にも見て取ることができる。本書は雨の日に大勝する印象の強い信長を材に取り、実は雨が降るタイミングを知ることができたのではないかというアイデアからお話が展開されている。天気の変わり目を体で読み解くことができる人間が出てきて、信長に雨の降るタイミングを教えているという設定なのだが、「低気圧下にいると体調が悪くなる・気が塞ぐ」ことは、皆さんもよく経験していることと思う。
そして、この「低気圧の気鬱」が、実は信長の生命線をも断ち切ることになるのだが……。さて、ネタバレはこれくらいにしよう。表題作のほかにも科学や論理に殉じた人々の姿が描かれた短編集である。
「ノスタルジー」だけでは語りつくせない直木賞作品
お次は『高円寺純情商店街』(ねじめ正一・著/新潮社・刊)である。本書のタイトルを聞いたことがない方でも、わたしと同年代(ちなみにわたしは昭和61年生まれである)の皆様におかれては「六月の蠅取り紙」と言えば思い出していただける方もいらっしゃるかもしれない。当時の中学校の国語教科書にも採用されており、授業でも取り上げられただろうからだ。
高円寺商店街の乾物屋の息子・正一とその家族の日々を描いた自伝的小説であり、先にご紹介した「六月の蠅取り紙」はその一コマにあたる。湿り気が大敵である乾物屋の六月の光景を描いた作品なのであるが、梅雨時特有のじめじめとした空気の感触が行間から滲んでくるような作品である。わたしと同年代の方は「子どものころに読んだ」というノスタルジーで手に取っていただくのも一興だ。
本書は「昭和ノスタルジー」に浸れる作品であるが、そんな小さな器に盛りつけてしまってはつまらない小説だとわたしは感じている。本書は一人の少年の緩やかな性の目覚めを描いた作品でもあるし、子ども時代への哀悼を描いた作品でもあるし、商店街の人々の人情を描いた作品でもあるし、変わりなさそうで変わってゆく商店街の姿を素描した小説でもある。本書の懐の深さにぜひとも耽溺していただきたい。
映画化もされた山本周五郎の傑作短編
最後にご紹介するのは『雨あがる』(山本周五郎・著)である。本書は映画化もされているので、ご覧になった人もいるかもしれない(最近の映画版では寺尾聰が主役を張っていた)。けれど、そうした方もぜひ小説にも手を伸ばしていただきたい。
陰鬱な雨の中、川止めを食らっている宿の中で喧嘩が起こる。他人の諍いにいたたまれなくなった浪人の伊兵衛は賭け試合をして金を工面し、宿の人々に膳を振舞って険悪な空気を収める。この最初のシーンで示される主人公伊兵衛の無邪気なまでの善性が本短編の駆動力となる。
人はいいのに阿諛追従ができず世渡りが下手、そんな小市民伊兵衛の痛々しさにやきもきしながらも、結局読み進めるうちにそれでいいのだと思えてしまう。いや、著者の見えざる手によってそういう風に読まされてしまう。市井を描くことにかけて右に出る者のいない大家の筆さばきをぜひとも楽しんでいただきたい。
「晴好雨奇」という言葉があることを、先にご紹介した。
『雨のことば辞典』を引いていただければすぐに意味に当たることができるのだが、今、ここで発表したい。「晴好雨奇」とは、「晴れでも雨でもそれぞれに趣があること」である。
昔のわたしは雨が嫌いだったが、今ではそうでもない。雨を楽しむ余裕が出てきたからかもしれない。
今回ご紹介した五冊は、雨が嫌いなあなたに捧げよう。好きになれとは言わないが、好きになった方がきっと人生も豊かになるだろうと思う。
なぜそう思うかって? わたし自身、雨が嫌いだったあのころより、ほんの少しだけ人生が豊かだからである。
【プロフィール】
谷津矢車(やつ・やぐるま)
1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新作「奇説 無残絵条々」(文藝春秋)が絶賛発売中。