おもしろローカル線の旅48 〜〜JR東日本 越後線(新潟県)〜〜
JR越後線は新潟県の柏崎駅と新潟駅を結ぶ。かつて直流電化区間を多く走っていた近距離用の115系。この国鉄形電車が、JR東日本の管内で唯一残る最後の“聖地”となりつつあり、近年、鉄道ファンが多く訪れるようになっている。
車両好きが乗車する路線だが、調べていくうちに、意外な歴史に気付かされた。さらにJR路線としては珍しい設備を見ることができた。そんな越後線を巡る知られざる歴史と現在を掘り下げていこう。
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【越後線の秘密①】路線を開業させた越後鉄道という会社の不思議
越後線は起点が柏崎駅で、終点が新潟駅となる。とはいえ、新潟県の中心はやはり新潟市。越後線の歴史でも、新潟市内での変化がキーポイントとなっている。よって新潟駅側から話を進めていこう。
まず越後線の概要を触れておきたい。
路線と距離 | JR東日本 越後線/柏崎駅〜新潟駅83.8km |
開業 | 1912(大正元)年8月25日、越後鉄道により白山駅〜吉田駅間が開業、柏崎駅側からも徐々に延伸、1913(大正2)年4月20日、白山駅〜柏崎駅間が全通 |
駅数 | 32駅(起終点を含む) |
越後線を開業させた越後鉄道は不思議な会社である。路線を開業させたものの、鉄道営業を10年ほどで断念し、しきりに国有化を働きかけていた。
太平洋戦争前に、軍事的な理由から国営化された私鉄路線は多かったが、なぜ自ら会社の存続をあきらめ、国営化してもらうことを選択したのだろうか。
越後線の新潟駅側の始発駅は当初、白山駅だった。白山駅が始発駅だった期間は長く、太平洋戦争後の1951(昭和26)年6月まで。それまで新潟駅〜白山駅の間を旅客列車は走ることがなかった。
長い間、新潟駅〜白山駅間の路線を造ることができなかったのは、この駅の間に信濃川が流れていたためだった。越後鉄道では予算不足のため、橋を架けることができなかった。それが路線継続を早々に断念する要因となっていた。
信濃川に橋を架けることがそれほど、大変なことだったのだろうか。今の信濃川だったら、もしかしたら橋を架けることが可能だったかもしれない。ところが、越後線が生まれた当時の信濃川は、それこそ今とは比べ物にならない大河だったのである。