六本木を象徴する名所といえば、首都高架の「ROPPONGI ROPPONGI」ロゴが印象的な「六本木交差点」。併せて有名なのが、一角で鮮やかな色彩を放つ「アマンド 六本木店」です。
老舗の喫茶店であり名物メニューも人気ですが、この地にオープンした背景や理由、そして店舗デザインの由来などは知らない人も多いでしょう。この六本木店が2019年で55周年を迎えたいま、担当者インタビューを中心に「アマンド」の歴史に迫りたいと思います。
ピンクだけじゃない。あのサービスの元祖も「アマンド」だ
アマンド自体の創業は1946年。戦後間もない時代にあって、創業者・滝原健之氏が願ったのは人々の笑顔。そのひとつが“甘いもの”だということで、闇市で物資を調達しながら喫茶と甘味のお店を立ち上げ、「甘人=あまんど」や「フランス語のアーモンド=アマンド」を意味する店名に。
「“笑顔で、明るい気持ちに”という創業者の想いは、店舗デザインにも表現されました。それが、ピンクを基調としたインテリアやパッケージです。1949年に開業した有楽町店(現在は閉店)から実装されました。斬新な発想として注目を浴び、ネットがなかった当時に影響力が強かった新聞をはじめ、取材が相次いだそうです」(御園さん)
いまでいうショッキングピンク的なインパクト大のカラーリングは、やがて「アマンドピンク」と呼ばれるように。そしてほかにも「アマンド」が先駆けたアイデアは多数あるといいます。
「おしぼりの提供、店頭にパラソルを置く、彫刻や絵画を飾る、などは当社が発祥といわれています。そして業態自体が珍しかった“本格的な洋菓子と喫茶の店”は、『アマンドスタイル』として認知されていきました」(御園さん)
経営だけでなくマーケティングにも長けていた創業者ですが、「アマンド」のデザインにはモチーフとなるものがありました。それが宝塚。事実、歌劇団をはじめ芸能関係者とも親しく、同店は業界人が利用する洋菓子喫茶として憧れの存在となっていきます。また、創業者自身、元タカラジェンヌの如月美和子さんと結婚(のちに「アマンド」社長を継承)。耽美的な世界観をより広げていきました。
「女性向けに開発し、特に女優さんに好まれたメニューが、1952年の誕生以来アイコンとして親しまれている『リングシュー』です。なぜ女性向けかというと、『口を汚さないよう、フォークとナイフで召し上がって欲しい』という想いが込められているからなんです。普通のシュークリームは丸いので、小さくカットしづらいですよね。そこでリング状にしたのです」(御園さん)
リングシュー自体は『パリブレスト』というフランスの伝統菓子。創業者は知ってか知らずか、いずれにせよ優れたアイデアマンだったのでしょう。そんな敏腕社長が次に仕掛けた試み。それが前回の東京オリンピックが開催された1964年、六本木店のオープンです。
「携帯電話が普及していない時代ですから、主要な街での待ち合わせは、目印になる場所で約束をすることが一般的でした。新宿ならアルタ前、渋谷ならハチ公前ですよね。それらメジャーなスポットと同様に、六本木は交差点で目立つ喫茶店として、『アマンド 六本木店』が格好の場所だったのです」(御園さん)
最盛期には、最大約30店舗まで拡大。都内を中心に軽井沢、御殿場、海老名といった地にも展開されていたアマンドですが、バブル崩壊や喫茶店に代わるカフェの台頭などで縮小を余儀なくされることに。そこに手を差し伸べたのが、来年で創業100周年を迎えるコーヒー界の雄「キーコーヒー」です。2012年に「アマンド」を子会社化し、再建に乗り出しました。
「直営工場や不採算店を閉じるなどのそぎ落としからはじめ、実店舗は現在の六本木と銀座のみとなりました。そうして「アマンド」創業70周年にあたる2016年には整理が終わり、再スタートを切ったのです。コンセプトは、懐かしくも新しい“オールドニュー”な喫茶店。往年のファンを中心に好調だった通販のギフトを強化するほか、メニューもより“オールドニュー”らしくリニューアルをはかったのです」(御園さん)