『字が汚い!』(新保信長・著/文藝春秋・刊)。このタイトルを見たとき、「ああ、私のための本だ!」と心の中で叫んだ。まだ原稿を手書きしていた時代、出版社のデスクたちからは「字が読めない」と何度も叱られ、なんと印刷所から解読不明で原稿が戻ってきたことも一度あった。その後、ワープロが普及しはじめ、私は手書きで文を書くことがなくなった。「ワープロは君のような字が汚い人のために開発されたんだな」と、当時ある編集長からしみじみ言われたものだ。
さて、本書の著者、新保信長さんは東大卒の敏腕編集者だ。その彼が私と同じ悩みを持っていたとは、驚いた!
手書きの手紙が失礼になってしまう
新保さんは、ある日、大物漫画家あてに、誠意を見せたいと手書きの手紙を書くことにしたそうだ。が、しかし。
筆跡そのものが子供っぽくて拙いのだ。とても五十路を迎えた分別ある大人の字には見えない。(中略)これじゃいくら真面目に書いてもふざけてるようにしか見えず、説得力ゼロだ。「乱筆乱文にて失礼いたします」という常套句が謙遜でも何でもなく、心を込めたつもりの手書きが逆に失礼な感じになってしまう。
(『字が汚い!』から引用)
わかる、わかる。私の場合もその通りで、誠意を込めた手紙こそパソコンで打ってプリントし、サインだけを手書きでしている。けれども、達筆の手紙、字のきれいな友人からのメッセージカードなどをもらうと、心からうれしく思うし、そういう字を書けない自分を呪いたくなるのだ。
ビジネスマンの中には、同じように”自分の字”で悩んでいる方は少なくないのかもしれない。本書はそういう人々に向けた一冊なのだ。
世界初の「ヘタ字」研究
本書の文庫版の帯には、こう書かれている。「50歳を過ぎても字はうまくなるのか? 情熱と執念の右往左往ルポ!」と、興味津々のテーマだ。まずは章立てから見ていこう。
第1章 なぜ私の字はこんなに汚いのか?
第2章 練習すれば字はうまくなるのか?
第3章 字は人を表すのか?
第4章 字にも流行があるのか?
第5章 「うまい字」より「味のある字」をめざせ!
各章とも、実際に書かれた手書き文字の写真や図を多く挿入し、時々、クスッと笑え、そして、なるほどなるほどと思わせてくれる内容になっている。
取材ノートが読めない!
この本は読んでいて、思わず吹き出してしまう箇所がいくつも出てくる。
急いで書いた取材ノートなんかは当然もっとすさまじい。こういうものは自分さえ読めればいいわけで、その点では問題ない……と言いたいところだが、たまに自分でも判読に苦労することがある。
(『字が汚い!』から引用)
これなどは、私もまったくその通りで、自分の字が信用できないので、取材相手の許可をもらって会話を録音することにしているくらいだ。
また、本書では、新保さんの手書きだけではなく、さまざまな人物の手書きが登場する。たとえば、コラムニストの石原壮一郎氏の字は、新保さん曰く「ミミズがのたくったような字」という比喩がぴったりな感じだそう。あるいは、こんな人があんな字を書くとは思えないという代表がゲッツ板谷氏で、その外見には似合わない、昔の少女マンガに出てくるような可愛らしい字を書くのだという。
さらに、一目見ただけで誰の字かわかるのが西原理恵子さん。サイバラ文字としてキャラ立ちしているので、単行本のタイトルなどに、あえて手書きを使うケースが多いのだそうだ。
この他、作家たちの原稿、政治家の手書き文字、野球選手の字とプレーの関係などなど、多くの実例が紹介、解説されていてとてもおもしろく読める。
ドイツでは偉い人ほど字が汚い?
ところで、海外にも”ヘタ字”はあるのだろうか? というと、それはある。というか日本よりすさまじいようだ。
たとえば、ドイツでは字をきれいに書くというのは、どちらかというと”子どもが頑張る”というイメージなのだそう。医者、弁護士、政治家など、職業的な立場が偉ければ偉いほど字が汚くなる傾向にあるとか。実例として、アンゲラ・メルケル首相のサインが出ているが、そのアルファベットはまったく読めないのだ。
これはドイツだけでなく、フランスなどでも同じようだ。そもそも欧米では、日本のように手書きを尊重する文化がない。あちらでは19世紀からタイプライターが存在し、手紙も書類もタイプして、末尾にサインだけしてきた歴史があるので、手書きにこだわる人はあまりいないようなのだ。
ペン字教室へ行けば、字はうまくなる?
さて、自身の手書き文字に絶望した新保氏は、まずは『30日できれいな字が書けるペン字練習帳』という本を購入し、挑戦することになった。30日分の課題を40日ぐらいかけてクリアしたそうだが、期待したほど上達していないと思ったそうだ。
練習しながら自分なりに感じたことがいくつかある。お手本の注意ポイントを意識しすぎるのはよくない。そこばかり気にして全体がバラバラになりがち。いわゆる「木を見て森を見ず」的なことになってしまうので、細かいことより全体のバランスを考えたほうがいい(中略)ただ機械的に手を動かしてるだけではダメで、やはり自分で考えながら書かないと応用が利かない。そして、何より問題なのは「ゆっくり丁寧に書く」のが性格的に向いてないということだ。これ、きれいな字を書くには致命的なのではなかろうか……。
(『字が汚い!』から引用)
その後、新保氏は、ペン字教室へ通うことにした。1回100分の授業が月に3回、6か月で終了という初級コースに申し込んだ。やはり目の前で先生が添削されるのは、「なるほどそう書けばいいのか」と納得できたそうだ。また、楷書よりも行書のほうが書きやすく上達も早かったようだ。
完璧ではなくても行書っぽい書き方のコツを身につければ、ある程度ごまかしは効きそう。(中略)とりあえず自分の名前や住所だけでも続け字でサラサラっと書けるようにしておけば、いろんな場面で役立つことは間違いない。
(『字が汚い!』から引用)
なるほど、ヘタ字コンプレックスはペン字教室に行けばある程度解消できるのかもしれない。また、この項では、新保さんが教室の協力を得て実施したアンケートにより、受講生たちのそれぞれの動機がわかり、これから通ってみたい人は参考になるだろう。
この他、ゲバ文字、丸文字、長体ヘタウマ文字など、それぞれの時代の字についての解説などもおもしろく読める。字が汚いことで悩んでいる方は必見だ!
【書籍紹介】
字が汚い!
著者:新保信長
発行:文藝春秋
自分の字の汚さに、今さらながら愕然とした著者(52歳)は考えた。なぜ自分の字はこんなに汚いのか、どうすれば字はうまくなるのか、字のうまい人とヘタな人は何が違うのか、やっぱり字は人を表すのか……。そんな素朴な疑問を晴らすべく、字の汚さには定評のあるコラムニストの石原壮一郎氏、女子高生みたいな字を書くライターのゲッツ板谷氏、デッサン力で字を書く画家の山口晃氏、手書き文字を装丁に使うデザイナーの寄藤文平氏らに話を聞き、作家や著名人の文字を検証し、ペン字練習帳で練習し、ペン字教室にも通った。その結果、著者の字は変わったのか……!? 息をのむような「ヘタ字」の実例や、涙を禁じ得ない古今東西の字がヘタなことによる悲劇で埋め尽くされた世界初、哀愁漂う「ヘタ字」本。果たして著者の字はどこまできれいになったのか? 美文字になりたくてもなれないすべての人に捧げる、手書き文字をめぐる右往左往ルポ!
楽天koboで詳しく見る
楽天ブックスで詳しく見る
Amazonで詳しく見る