〜〜国鉄形電車の世界その10 交直両用近郊形電車・交流近郊形電車〜〜
国鉄形電車の世界ということで、これまで直流電車を中心に見てきた。今回は、国鉄時代に生まれた交直両用および交流電車を見ていきたい。なかなか個性的な電車が今も九州と北陸地方を走っている。
残念ながら北陸地方ではこの3月で消えていく車両があるものの、引き続き走らせる第三セクター鉄道がある。今や希少になりつつある車両たちを追った。
【はじめに】九州を中心に長らく走った415系にも引退の動きが
今でこそ新幹線の路線をはじめ珍しくなくなった交流電化区間。交流電化は送電ロスが少なく地上設備のコストを低く抑える利点がある。
国内の交流電化の起源をたどると、その歴史は意外に浅い。1955(昭和30)年に仙山線がまず電化され、交流電化の試験が始められた。その後に北陸本線で1957(昭和32)年から、東北本線で1959(昭和34)から交流電化が進められ、徐々に全国に広まっていった。
ただし、電化は進んだものの対応する車両に関しては試行錯誤が続いていた。地域による商用周波数の違いが課題となった。東日本は50Hzで、西日本は60Hzと周波数が異なる。こうした経緯もあり試行錯誤が続いていたが、そんななか、その後に大きな影響を与える名車両たちが生み出された。
当初に生まれた交直両用電車は直流電化区間と、交流ならば、50Hzもしくは60Hzどちらかのみに対応する車両だった。その後に直流および、交流50Hzと60Hzの両周波数への対応を可能にした車両が生み出される。まず特急形電車485系が1968(昭和43)年に登場する。同年には特急形寝台電車583系も生まれた。また電気機関車では3電源に対応するEF81形交直流電気機関車が1968年に登場した。さらに1971(昭和46)年に近郊形電車の415系が誕生したのだった。
これらの車両は、交直流電車また電気機関車としては、まさに標準タイプとなり、その後、長年にわたり交直両用区間を走る列車に使われ、また後世の車両開発をする上で大きな役割を果たした。
◆JR東日本の415系はすでに全車が引退に
交直両用近郊形電車として開発された415系。生まれて今年で50年、ちょうど半世紀になる。製造された期間は非常に長く、国鉄からJRとなった後にも製造が続き、1991(平成3)年まで計488両が製造された。それだけ技術に定評があり使い勝手の良い車両だったのであろう。
うち国鉄時代生まれの415系はJR東日本とJR九州に引き継がれ、JRになった後に800番台がJR西日本により造られた。
JR東日本の415系は常磐線を中心に水戸線などで長らく活躍した。最後に残った415系は軽量ステンレス車体の1500番台だったが、これは国鉄最末期の1986(昭和61)年から造られたもの。現在の211系にも通じる、正面デザインがFRP成形によって造られている。ちょうど30年目の2016年3月のダイヤ改正時に勝田車両センターの車両の定期運用が終了。6月に「ありがとう415系号」が運転され、最後の別れとなった。残る415系は、JR九州とJR西日本のみとなっている。
◆関門トンネルと越えるために欠かせないJR九州の415系
JR九州に残る415系は車両数も多くバラエティに富む。配置されている車両基地と細かな違いは後述するが、3か所の車両基地に計160両(2020年4月1日現在/保留車両8両を含む)が配置される。
ここまで生き延びている大きな理由は、JR九州では唯一の交直両用電車だったからだ。JR九州では、路線の大半(筑肥線・唐津線を除く)が交流電化区間だ。保有する電車は交流電車が大半をしめる。ほかは筑肥線、唐津線を走る直流電車のみだ。JRとなった後には、自社で交直両用電車を新造していない。とはいえ、関門トンネルを越える山陽本線の門司駅〜下関駅間は、交流から直流に電源が変わる区間で、このトンネルを越えるためには交直両用電車が必要となる。関門トンネルを越える旅客列車はすべてJR九州の電車によって運行されている。対応する新型電車を造らない限り、415系を廃車にしてしまうわけにはいかないわけだ。
ただ、徐々にだが、415系の初期タイプの車両の引退が報告されている。関門トンネルを抜ける以外の列車には、今後、後継車両に引き継がれていくものと思われる。
【415系が残る路線①】南福岡車両区の415系は1500番台のみ
まずは九州の中心、福岡市にある南福岡車両区の現状から見ていこう。
◆車両の現状:1500番台のみ48両が配置される
鹿児島本線の南福岡駅に隣接する南福岡車両区。筆者も九州を訪れると、南福岡駅に降りて、車両基地内をチェックすることが多い。5番線のホームからは、停まる電車が手に取るように見える。そこに配置される415系は1500番台。前述したように軽量ステンレス製の車体で、正面の姿は211系と同じくFRP成形で、415系の仲間の中では新しいタイプである。座席はロングシート仕様だ。
この415系1500番台が4両×12編成の計48両(2020年4月1日現在)が配置されている。
◆運用の傾向: 関門区間をはじめ鹿児島本線など朝夕の運用が多い
細かい運用は、3月のダイヤ改正で変わる可能性があるので、ここでは避けたい。運用区間と、傾向のみを見ておこう。
運用される区間は広い。山陽本線の下関駅〜門司駅間。鹿児島本線の門司港駅〜熊本駅間。日豊本線の小倉駅〜新田原駅(しんでんばるえき)間、長崎本線全線、佐世保線の肥前山口駅〜早岐駅(はいきえき)間を走る。
関門区間を除き、南福岡車両基地の415系は、朝夕晩の運用がほとんどだ。JR九州の電車の座席はクロスシートが多いが、415系1500番台はロングシート。その座席配置がラッシュ時に活かされている形だ。
【415系が残る路線②】広範囲に走る大分車両センターの415系
◆車両の現状:2扉の3000番台が主力となって走る
日豊本線の牧駅近くにある大分車両センターに配置される415系は88両(2020年4月1日現在/保留車8両を含む)と多い。うち4両×18編成、計72両が100番台と200番台にあたる。415系100番台・200番台は、1978年から製造されたグループで、セミクロスシートの座席配置だが、クロスシートの座席間のシートピッチがやや広げられている。狭いと不評だったそれまでの415系のシートピッチの幅をやや広げたグループというわけだ。
100番台・200番台は1984年まで造られたが、最も新しい車両でも約40年に近いわけで、大半の編成が延命工事を受けている。とはいえ、415系の最も車歴の長いグループと言って良いだろう。塗装は白をベースに太めの青い帯が入る。この塗装は1500番台を除きJR九州の415系に共通するカラーだ。
大分車両センターにはロングシート仕様の500番台・600番台の4両1編成が配置されているが、こちらは保留車扱いとなっている。さらに正面の形が異なる415系1500番台も4両×2編成、計8両が配置されている。
◆運用の傾向: 遠く長崎本線、佐世保線までも走る
大分車両センターの415系の運用範囲は、非常に広い。まずは山陽本線の下関駅〜門司駅間。鹿児島本線の門司港駅〜八代駅間。日豊本線の小倉駅〜佐伯駅(さいきえき)間、長崎本線(鳥栖駅〜肥前山口駅間)、さらに佐世保線を走る。鹿児島本線では、現在、肥薩おれんじ鉄道の路線となっている区間の北側全区間を走っているなど、南福岡車両基地の415系よりも、広い運用範囲となっている。
走る時間帯も、日豊本線を中心に日中も走っている。オリジナルな姿を残す415系に、九州の多くの電化区間で出会えるわけだ。
【415系が残る路線③】鹿児島車両センターの415系は500番台
◆車両の現状:ロングシートで鹿児島市近郊の路線で活かされる
JR九州の415系が配置される車両基地、3か所めが鹿児島車両センターだ。鹿児島車両センターは、鹿児島中央駅の南側にある車両基地だ。鹿児島車両センターの415系はすべてが500番台・600番台で、4両×6編成、計24両が配置される。
500番台・600番台は1982年からの製造と、オリジナルな姿を残す415系の中では比較的、新しいグループに入る。すべてがロングシートの座席で、元は常磐線用に造られた。国鉄最末期の1986(昭和61)年に南福岡電車区に4編成が転籍し、その後にJR東日本から2編成がJR九州に譲渡された。415系500番台・600番台で残る編成の大半が、今は鹿児島車両センターに配備され、走り続けているわけだ。
◆運用の傾向: 鹿児島本線と日豊本線の一部区間を走る
運用の範囲は鹿児島本線の鹿児島駅〜川内駅(せんだいえき)間と、日豊本線の鹿児島駅〜都城駅間となる。川内駅から八代駅間まで、今は肥薩おれんじ鉄道となっている。改めて見ると鹿児島本線は、南の鹿児島県内と、北の門司港駅〜八代駅の区間すべてを415系が走っていることになる。
現在の運用区間は前述の通りだが、鹿児島車両センターには2両編成の817系が多く配置されている。両路線に運用を見る限り、2両編成の817系が主力で、4両編成の415系は朝夕のラッシュ時の運用が多いようだ。
【415系が残る路線④】JR西日本415系はあと数日でお別れに
◆電化後の七尾線を30年間走り続けた415系800番台
415系はJR西日本にも残っている。113系を改良した“わけあり”の415系800番台で、形は113系に近い。なお詳しい車両の特徴は2週前の記事を見ていただきたい。
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こちらが走り始めたのは七尾線が電化された1991(平成3)年のこと。今年でちょうど30年となる。113系からの改造なので、もちろん30年以上の車歴を持つ電車となるが、残念ながら3月12日までの運行となる。
【残る交直流電車】JR西日本の413系は消えるものの
七尾線を長く走ってきた415系とともに3月12日で引退となるのが413系である。413系は直流区間と、交流50/60Hzの3電源区間を通して走れる近郊形電車だ。経営状態がひっ迫していた国鉄最末期らしく、新製ではなく、既存の交直両用の急行形電車の部品を使い回して造られた車両だった。
415系と正面などの姿はほぼ同じだが、正面上部にある行先案内の部分が埋められ平坦に、また乗降扉が2つというところが415系と異なる。
31両が石川県の旧松任工場(現・金沢総合車両所)で改造された。そして長らく改造された同車両所に配置され、北陸地区を走り続けてきた。金沢総合車両所に18両(クハ455の2両を含む)が配置されていたが、3月12日で運用が終了となる。
◆あいの風とやま鉄道の413系は残る、そしてうれしいニュースも
JR西日本の413系は3月12日で、すべて定期運行が終了となる。一方で2015年に旧北陸本線を引き継いだあいの風とやま鉄道に、5編成、計15両が譲渡された。こちらの413系は全編成が残る。
そのうち2編成は観光列車の「一万三千尺物語」と「とやま絵巻」と改造された。こちらは改造されて間もないだけに、今後、かなりの年数は走り続けることになりそうだ。
さらに413系を巡ってはうれしいニュースがあった。えちごトキめき鉄道が金沢総合車両所に配置されている413系3両を引き取ることを3月1日に発表した。えちごトキめき鉄道の現在の社長といえば鳥塚 亮氏。以前に勤めていた千葉県のいすみ鉄道では、国鉄形の気動車を引き取り観光列車として仕立てた。地方のローカル線の救世主といっても良い人である。鳥塚氏から近々この引き取る413系に関して、詳しい発表があるということなので、期待したい。
【残る交流型電車】わずか8両の713系が宮崎で今もがんばる
ここでは、わずかに残る国鉄時代に生まれた交流型電車を見ておきたい。交直両用の電車は多くの車両数が造られた。一方で新幹線用の電車を除き、国鉄は在来線向けの交流専用の電車をあまり積極的に開発していない。
交流専用の近郊形電車として造ったのは、北海道用の711系と九州用の713系のみだった。あとは改造した車両もしくは、旧形車両の機器を流用して製造した車両だった。
◆宮崎によく似あう鮮やかな「サンシャイン」号
713系は九州用に造られた交流型電車だ。九州では交流方式による電化が進められていたが、当初、電気機関車が牽引する普通列車が主体だった。国鉄では電車化し、効率化を図りたいこともあり、徐々に電車を導入していく。415系とともに、583系を改造した交流型電車715系などを利用していたが、車両不足が問題となっていた。そんな時に長崎本線用に導入されたのが713系電車だった。1983(昭和58)年のことだった。
当時、国鉄は財政ひっ迫に苦しんでいた。本来は量産化する構想もあったようだが、結局のところ713系は試作分の8両(2両×4編成)しか製造されなかった。だが、713系により営業運転を重ねたことから、技術的な成果を得ることができた。713系で培った技術は、その後に九州を走る783系や787系特急形電車や、811系近郊形電車に活かされている。
8両と少ない713系だったが、当初、南福岡車両区に配置された。1996(平成8)年に鹿児島車両センターに転籍し、以降、宮崎地区での運用が続けられている。この移動と共に、車体の色は鮮やかな赤色ベースに変更され、また車両の愛称も「サンシャイン」とされた。
運用区間は日豊本線の延岡駅〜西都城駅間と、宮崎空港線となっている。宮崎駅のお隣、南宮崎駅の構内に宮崎車両センターがある。気動車が配置される車両基地だが、713系も宮崎地区専属の車両ということもあり、運用がない時間帯にはこの駅構内の側線に停められていることが多い。
【記憶に残る交直両用電車】“食パン列車”に急行形交直流電車
◆寝台特急583系を普通電車に改造した419系電車
今回は、最後に記憶に残る交直両用電車を2車両とりあげておきたい。交直両用電車は、国鉄晩年に造られた車両が多いせいか、個性的かつ、悪い言い方をすれば“間に合わせ”的な車両が目立つように感じられる。変動期だった時代ということもあり、さまざまな電車がこの時代に生まれ使われた。今から見ると玉石混合の車両が走った時代で、非常に面白い。
419系という国鉄近郊形電車をご存知だろうか。特急形寝台電車583系もしくは581系を改造した近郊形電車だった。特急形寝台電車というユニークな発想で造られた583系は、日中は座席車、夜間は座席を寝台に代えて走らせる電車だった。まさにCMではないが“24時間戦えますか”というような“猛烈”時代の申し子的な電車だった。
とはいえ、時代は変っていく。座席は快適とは言えず、また寝台も3段式。座席から寝台へ変更する方法も複雑で、専用スタッフが必要になるなど問題もあった。583系は434両も製造されたのだが、新幹線網が拡大された時代でもあり、1980年代に入ると大量に余剰車両が出てしまった。
この寝台電車を改造して生まれたのが交直両用電車の419系であり、また交流専用に改造された715系だった。419系は45両、そして715系は108両も改造されている。いずれも国鉄末期の1984年、85年に改造されている。財政悪化の時代で、低コストで、改造が可能なようにと計画され、2回の全般検査を行う8年程度と短期間の使用を目処に生み出された車両だった。
“間に合わせ”的な発想というか、元となった583系にしても新幹線路線の計画を考えれば、場当たり的に大量に造ってしまったように感じられる。振り返ってみると、国鉄の現在のような民間企業でない太っ腹さが裏目に出た車両だったといってもいいかも知れない。改造元の583系としても12両編成と長い編成が多く、それを3両編成と小分けにし、しかも乗降扉を2つ設けるなど大改造をしているわけで、改造費が安く済んだとは言いがたかったろう。
そんな583系を改造した419系、715系だったが、JRになった後にも使われ、交流専用機の715系は1998年と引退が早かったものの、419系にいたっては2011年までは北陸本線で使われ続けた。国鉄時代に8年程度もたせられればというプランで造られた419系も、改造後に30年近く走り続けたわけである。
それこそ“場当たり”的な改造電車も、583系の丈夫さが活かされ、長く使うのに適した車両だったということなのかも知れない。
◆北陸をつい最近まで走った急行形交直流電車475系
最後まで残った419系が北陸地区を走ったように、同地区にはつい最近まで交直両用の急行形電車が残っていた。国鉄の急行列車は、特急の下にランク付けされた優等列車で、急行券を購入して利用した。特急に比べてスピード、快適さは劣るものの、大量輸送時代、鉄道旅のスタイルとして確立されていた。筆者も幼いころに、両親につれられて、よく急行の旅を楽しんだ。
そんな急行形電車もJRとなり急行列車自体が、減るにつれて活躍の場がなくなり、その後に全廃された。そのため急行用に造られた電車は、近郊形電車と同じ使われ方をされるようになっていく。
475系は交直両用の急行形電車の一形式である。形式名の異なる仲間が多く造られた。まず生まれたのが交流50Hzに対応の451系と、60Hz対応の471系だった。この2タイプは電動機出力が100kWと弱かったこともあり、その後に120kWの電動機に変更した50Hz対応の453系と60Hz対応の473系が生まれている。さらに453系と473系に勾配抑速ブレーキを積んだ455系と475系が生まれている。
交直両用の急行形電車は大半が2000年代で消えたが、北陸の金沢総合車両所には長らく配置され、使われ続けていた。電動車はモハ475やクモハ475で、制御車はクハ455、また増結用にはサハ455という、数字の異なる編成でいささか分かりにくかったが、クハ455を含めて475系と見て差し支えないだろう。すでに電動車は2017年で消えている。だが、実は413系と編成を組んでいるクハ455が2両のみ残されていた。
すでに電動車が消えているため、形式消滅と思われている475系なのだが、編成を組んでいたクハ455は制御車として目立つことなく走り続けていたのである。このクハ455も3月12日でその長かった役目を終えることになる。ちょっと寂しい春の訪れである。