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2021/3/3 11:30

新快速として輝き放った国鉄近郊形電車「117系」を追う

〜〜国鉄形電車の世界その9 「117系」「211系」「213系」〜〜

 

スピードランナーといった風貌の117系、国鉄最末期に生まれた211系と213系。それぞれ、直流近郊形電車を代表する車両として長らく走り続けてきた。

 

今回は、“新快速”として東海道・山陽本線を走った117系を中心に、今も多くが活躍する211系、車両数は少ないながらもローカル線を走り続ける213系と、国鉄近郊形電車のいまに迫ってみよう。

 

【はじめに】JR西日本の117系にも徐々に引退の動きが

大阪出身の友人いわく「新快速はなあ、新幹線よりも速くて安くて便利なんやでぇ」。30年以上も前に聞いた言葉を、今も鮮明に覚えている。関西の人たちにとって、「新快速」は他所の人たちについ誇りたくなる電車ということだったのだろう。もちろん新大阪駅〜京都駅間のみならば、新幹線のほうが早い。だが、大阪駅〜京都駅間と広げて見れば侮れない速さと手軽さなのである。

 

友人が誇らしげに語った「新快速」の電車といえば、そのものずばり117系直流近郊形電車を指したものだったのであろう。1979(昭和54)年に登場、1986(昭和61)まで216両が製造された。117系が登場するまで、新快速には急行形電車の153系が使われていた。急行形ということで乗り心地は良かったものの、昭和30年台の誕生と古く、ボックスシートなどの車内設備が陳腐化しつつあった。

 

◆平行して走るライバル社との競争が117系を生み出した

東海道本線が走る大阪〜京都間には、阪急電鉄京都線と京阪電気鉄道京阪本線がほぼ平行して走る。古くから競争がし烈で、私鉄の2線ではすでに転換クロスシートを取り入れた車両が走り、好評を得ていた。そうしたライバル路線との競争に負けないようにと国鉄が生み出したのが117系だった。

↑クリーム色のベースにブラウンの細帯が入る117系登場時の原色カラー。現在、同色の車両は走っていない 2015年9月22日撮影

 

117系が誕生するまで、国鉄の通勤形電車、近郊形電車は全国で利用ができる標準的な車両を生み出す傾向が強かった。しかし、関西圏では競争が激しかったこともあり、乗りたくなる魅力を持った電車の開発に乗り出した。そうして生まれたのが117系だった。急行形を上回る乗り心地と、快適な室内設備をかね備え、同じ近郊形電車の113系の最高運転速度が100km/hに対して、117系は110km/h(西日本の117系は115km/h)とより速く走れるような造りだった。

 

登場以降、好評となり1999(平成11)年まで20年にわたり新快速として走り続けた。1982(昭和57)年には東海地区にも117系が導入されている。こちらは「東海ライナー」という愛称で走り始めた。

 

◆117系が残るのはJR西日本のみに

国鉄からJRに変わって以降、117系はJR西日本に144両が、JR東海に72両が引き継がれている。それから30年以上たった117系の現状は……? すでにJR東海では2013(平成25)年3月のダイヤ改正時に定期運用が終了、翌年1月で全車が引退している。

↑東海道本線の稲沢駅付近を走るJR東海の117系。白地にオレンジ色の帯が巻かれていた。左に愛知機関区が見える 2011年5月22日撮影

 

残るのはJR西日本の82両(2020年4月1日現在)となっている。まだ“大所帯”なものの、ここ数年、廃車や移動する車両がやや見られるようになってきた。例えば、2019年まで吹田総合車両所日根野支所・新在家派出所には117系は20両が配置(2019年4月1日現在)され、紀勢本線などを走り続けていた。オーシャンブルーに塗装された華やかな姿の117系だったが、翌年までに同車両基地の117系は、引退および、一部が別の車両基地へ移動となった。

 

今後、JR西日本では経年33年以上たった車両、すなわち国鉄時代に誕生した車両の置換えを行うとしている。そのうち車両置き換えが具体化しているが113系と117系で、約170両を新製車両に置換えるとされる。置換え予定の年度は2022〜2025年度とのことだ。

↑オーシャンブルーの華やかなカラーで紀勢本線などを走り続けてきた和歌山地区の117系。2020年で消滅している 2018年10月13日撮影

 

和歌山地区の117系がわずかな期間で消えたように、置換えが始まると、あっという間に、ということになる。40年にわたり活躍してきた117系も、徐々に消えていきそうな気配だ。最後の“職場”となりそうな2つのエリアの117系の活躍ぶりを見ていくことにしよう。

 

【関連記事】
残るは西日本のみ!国鉄近郊形電車「113系」を追う

 

【117系が残る路線①】渋い濃緑色で走る湖西線・草津線の117系

まずは117系が最も多く走る京都地区に注目してみよう。

 

◆車両の現状:京都地区に残る117系は“実質”52両のみに

京都地区を走る117系はすべて吹田総合車両所京都支所に配置されている。その車両数は56両(2020年4月1日現在)、後に新在家派出所に配置されていた2両が加わり58両になっている。そのうち6両は観光列車「WEST EXPRESS銀河」に改造された車両なので、普通の117系は52両と見て良いだろう。

 

その多くが300番台だ。300番台は福知山線用に改造された車両で、乗降時間をスムーズにするために、扉付近の転換クロスシートの一部をロングシートに変更していた。福知山線での運行が2000年で終了した後に京都地区へ移っている。

 

京都地区を走る117系は、以前はクリーム色にブラウンの細帯の117系の原色カラーに塗られた編成もあったものの、その後に地域色の緑色一色に塗り改められている。京都に宇治という茶の産地があるせいか、鉄道ファンからは“抹茶色”とも言われるカラーだ。

↑緑一色で走る京都地区の117系。同路線を走る113系に比べて重厚な印象に見える

 

◆運用の現状: 6両での運行が多いせいか朝夕の運用がメインに

京都地区を走る117系は湖西線の列車と、草津線の列車に使われている。湖西線の列車は京都駅〜永原駅間、草津線の列車は主に草津駅〜柘植駅(つげえき)間を走る。

 

運用の傾向を見ると、どちらの路線も朝夕の運用が目立つ。これは両区間を走る113系とのかねあいがあるためだ。113系は4両編成で、利用者が少なくなる日中は113系が4両編成で走ることが多い。また113系の場合に朝夕は2編成を連ねた8両で走る運用が多くなる。対して、117系は6両編成がメイン(1編成のみ8両編成)のため、どうしても利用者が多くなる朝夕の運用が増えている。

↑湖西線の近江高島駅〜北小松駅間を走る上り列車。朝8時少し前に通る列車で、このあと30分後にも117系運用の上り列車が1本走る

 

それぞれの路線の運用傾向を詳しく見ると。まず、湖西線は京都駅発の下りが6時台〜9時台まで各一本ずつ、以降は14時台〜17時台まで1〜2本ずつ、あとは20時台に2本が走る。行先は近江舞子駅行、または近江今津駅行が目立つ。上りは下りのほぼ折り返し列車だ。

 

一方の草津線では、113系の運用が多くなっていて、117系はこちらも朝晩の運行が多い。京都駅発(一部は草津駅発)、柘植駅行きは京都駅発16時23分以降のみと極端で、22時台までに計5本が走る。117系で運行される列車は夜の柘植駅行きの戻りは翌朝で、柘植駅を早朝5時40分発と、7時42分発、日中はなく、17時以降、21時まで3本の京都駅行き、草津駅行き列車がある。こう見ると、草津線で陽がある時間帯に走る列車は、柘植駅発7時42分、京都駅9時2分着ぐらいに限られるわけだ。

 

なお、これらの運用は、ダイヤ改正が行われる前日の3月12日までのものなので、ご注意いただきたい。

 

【117系が残る路線②】岡山地区を走る黄色一色の117系

◆車両の現状:2扉の3000番台が主力となって走る

瀬戸内海に面した山陽3県の中でも、岡山は国鉄近郊形電車がまだ主力として使われている。113系、115系、さらに105系、213系(後述)が中心だ。117系もその中では少なめながら岡山電車区に24両が配置されている。

 

岡山電車区の117系は、基本番台が4両×3編成と、100番台が4両×3編成という内訳だ。ちなみに100番台は循環式汚物処理装置付きのトイレを持つタイプだったが、当初に配置された岡山電車区に、同処理装置への対応したシステムが無かった。そのため山口地区へ一度、移動されていた。その後に、トイレの汚物処理装置がカセット式に取り換えられ、岡山へ再び戻ってきている。

 

塗装は「快速サンライナー」に利用されていたことから、2016年まで専用のサンライナー色で塗られていた。現在は全車が中国地域色の濃黄色に塗り替えられている。

↑岡山地区を走る117系は、全車が4両編成。2016年まではサンライナー色の117系も走っていた(右上)が、現在は全車が濃黄色一色だ

 

◆運用の現状: 今も「サンライナー」全列車に117系が使われる

岡山地区の117系の運用を見てみよう。岡山地区の117系は主に山陽本線を走っている。運用範囲は岡山駅〜三原駅が多い。また赤穂線(あこうせん)にも乗り入れる。そのために、赤穂線に分岐する東岡山駅までは山陽本線を走る。すなわち山陽本線の三原駅〜東岡山駅間の運用のみとなるわけだ。赤穂線内は、播州赤穂駅〜東岡山駅間で、その先の相生駅まで赤穂線を通り抜ける列車の運用はない。

 

117系の運用は朝と夕方・晩が多い。早朝から10時台まで下り列車(三原駅方面)が4本、上り列車(岡山駅方面)が4時台から11時台まで7本が走る。日中の運用はない。その後の運用は15時台以降からで、ここでは下り、上りともに快速「サンライナー」の全列車に117系が使われている。岡山地区を走る「サンライナー」は岡山駅〜福山駅間を走る快速列車だ。ここで117系は、普通車自由席の列車ながら、優等列車として走っているわけだ。「サンライナー」は117系が唯一、輝きを見せる列車と言って良いだろう。

 

ちなみに赤穂線での運用は朝晩のみで4往復が走る。東は播州赤穂駅まで走る列車が1往復あるものの、他は長船駅(おさふねえき)もしくは西大寺駅までしか走らない。赤穂線内の運用はごく希少となっている。

 

◆117系の今後はどうなるのだろう

前述したように、国鉄形電車の置換え計画がJR西日本からすでに発表されている。113系、117系の約170両が新製車両に置換えとあり、その期限は2025年度とされている。

 

どちらかに配置された113系、117系が消滅する。まずは京都地区からと見るのが妥当だろう。吹田総合車両所京都支社には113系が64両、117系が58両(うち6両は「WEST EXPRESS銀河」)が配置され、両形式合わせて計122両となる。

↑山陽本線や山陰本線などユニークな運行方法で走る「WEST EXPRESS銀河」。117系改造車両を活かした臨時特別急行列車だ

 

このうち「WEST EXPRESS銀河」に改造された117系だが、この編成は今後、かなりの期間、残ることになるだろう。計画では残り50両強が置き換えられるが、これはやはり岡山地区の113系か117系になるかと思われる。117系で最後まで残るのは観光列車の「WEST EXPRESS銀河」のみとなるのだろうか。

 

【すでに消えた形式】国鉄近郊形電車119系と121系

ここではやや寄り道となるが、国鉄形近郊列車として活躍し、消えていった電車を抑えておきたい。117系よりも数字が上の電車には119系と121系がある。両車両とも、消えたのが近年のことだった。

 

◆特殊な事情を持つ飯田線用に造られた119系

↑険しい飯田線を走っていた119系。飯田線のみならず、中央本線の上諏訪駅へも乗り入れていた 2011年1月30日撮影

 

飯田線は愛知県の豊橋駅と長野県の辰野駅を結び、距離は195.7kmにも及ぶ。険しい中部山岳を縫って越える山岳路線である。一方で、太平洋戦争前に複数の私鉄によって線路の敷設が行われた歴史を持つこともあり、駅間が短くなっている。

 

同線には旧形国電が長く使われてきたが、老朽化が著しかった。飯田線は勾配があり、距離も長く、また駅間が短いという特殊な事情があり、専用の電車が必要とされた。そこで生まれたのが119系だった。1982(昭和57)年から1983年にかけて57両が新造されている。編成は2両もしくは1両と、閑散区向けの構成だった。119系は飯田線導入後に新潟の越後線などへの導入を計画したが、計画は国鉄の財政悪化の影響もあり立ち消えている。

 

正面の姿は中央に貫通扉があり、左右に窓がある105系のデザインを踏襲したもの。3扉で外観も105系に近いものだった。当初は、路線が走る天竜川にちなみ水色ベースに淡い灰色の帯を巻いた。その後にJR東海の標準色のベージュ色にオレンジと緑色の2色の帯に変った。

 

長年、飯田線の顔として走り続けたが、ちょうど生まれて30年後の2012年3月に引退となっている。廃車となった一部は、えちぜん鉄道に譲渡されて、MC7000形として走り続けている。

 

◆国鉄最晩年に登場した四国向け121系

↑瀬戸内海を眺めつつ予讃線を走る121系。将来のJR四国の経営を考え、国鉄が最晩年に開発した近郊形電車だった 2017年7月15日撮影

 

四国は電化工事が最も遅く行われた地域だ。1987(昭和62)年3月23日に予讃線の高松駅〜坂出駅間、多度津駅〜観音寺駅間が直流電化されたのが四国初の電化区間となった。瀬戸大橋が誕生し、橋を利用した瀬戸大橋線(本四備讃線)が1988(昭和63)年春に開業の予定だった。そのタイミングに合わせて、四国の一部地域の電化が行われた。

 

合わせて誕生したのが121系だった。電化された1987年3月23日にデビューした近郊形電車で、わずか数日後の4月1日に四国の路線が国鉄からJR四国へ移管されている。121系は国鉄から、経営的な基盤が弱いと予想されたJR四国への最後の置き土産となったわけである。

 

121系は2両×19編成、計38両が製造された。車体は軽量ステンレス製で、正面は貫通扉を持つものの205系や常磐線用の207系にも近いスタイル。車体側面は3扉で211系(後述)と同様の姿をしている。いわば、国鉄晩年の標準的なスタイルを踏襲している。車体の帯は青色、もしくは赤色だった。

↑121系全車が7200系としてリニューアル改造された。高松近郊区間には欠かせない近郊形電車となっている

 

121系は長年にわたり走り続けてきたが、ちょうど生まれて30年を機会に2016年から大幅にリニューアル工事に着手。台車や客室の設備などを大幅に変更した。

 

このリニューアルを機会に形式名も7200系と変更した。2019年2月にリニューアルが完了、元となった121系という形式名が消滅している。121系が劣化の少ないステンレス車体となり、リニューアル化後も走り続けていることは、国鉄の遺産が、JR四国の礎に多いに役立ったと言えるのではないだろうか。

 

【残る国鉄近郊形電車①】今も大量に残る211系ながら

ここからは残る国鉄時代に生まれた直流近郊形電車2形式を取り上げておこう。両形式とも、廃車された車両も少なめで、今も多くが走り続けている。とはいえ、後継車両が取りざたされる時代となってきた。

 

◆近郊形電車の代表として今も主力の211系

↑東海道本線を走るJR東海の211系。後ろに313系を連結して走る。JR東海の211系は形式を問わず、運行できるように改造されている

 

211系は国鉄の晩年となる1985(昭和60)年に誕生し、翌年の2月から走り始めた。大都市の近郊路線区間には、長年にわたり113系、115系が走り続けてきた。1980年代となり、軽量ステンレス製の車体、ボルタレス台車、界磁添加励磁制御と呼ばれる制御方式が普及してきた。これらのシステムは当初、205系で採用されたシステムだったが、省エネにも結びつき、また使い勝手の良さから、211系という近郊形電車にも同様のシステムを取り入れたのだった。

 

211系が最初に導入されたのが東海道線の首都圏エリアで、1986年3月のダイヤ改正から走り始めている。後に名古屋地区、東北線などを走り出している。国鉄時代からJRになった後も製造が続き、基本番台、1000番台、2000番台、3000番台、5000番台、6000番台を含めて計827両が製造された。

 

そのままJR東日本とJR東海に引き継がれ、今もJR東日本に326両、JR東海に250両の計576両が残っている。今でこそ、首都圏では、東海道線など第一線を退いたものの、中央本線、高崎地区などのローカル線を走り続けている。車両数を見る限りはまだ盛況と言えるだろう。

 

とはいえ、後期に造られた車両ですら、すでに30年たつこともあり、後継車両の導入も取りざたされるようになってきた。JR東海の新型315系がその置換え車両にあたる。今すぐに消えることはなさそうな211系だが、数年後からは徐々に消えていくことになるのだろう。

 

【残る国鉄近郊形電車②】希少車のJR東海とJR西日本の213系

◆国鉄最後の新形式が213系だった

国鉄が最後に設けた形式が近郊形電車の213系だった。導入は国鉄最終年の1987(昭和62)年3月と、それこそ国鉄製造の車両としてぎりぎりの期限に走り始めている。基本となったのは211系で、大きく異なるのは211系が3扉であるのに対して、213系は2扉となっているところである。すなわち、大都市の近郊路線区間で211系が走ったのに対して、ややローカル線区での運用を念頭においている。

 

213系最初の基本番台は岡山地区へ導入された。今も3両×4本と、2両×7本の計26両が岡山電車区に配置され走り続けている。なお他に213系の2両1編成があり、こちらは観光列車「La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)」に改造され人気となっている。

↑伯備線を走る2両編成の213系。ステンレス車体に濃淡青色の帯を巻いて走る。ほか正面が真っ平らな切妻そのままの車両も走る

 

JR西日本の岡山地区以外にも213系を導入されている。導入したのはJR東海で、同社では並走する近鉄名古屋線に対向するために、関西本線の名古屋駅〜四日市駅間などに向けて導入した。こちらは5000番台とされるが、JRに移行後に導入されている。

 

2両×14本の計28両が新造され、当初は関西本線での運用が続けられたが、今は大垣車両区に配置されているものの、やや車両基地から遠い飯田線を走り続けている。

↑飯田線を走る213系。正面は211系とほぼ同じで、側面を見なければ213系と分からない

 

今回で国鉄が作った近郊形電車の現状紹介は終了とする。次回以降は今も残る国鉄が生み出した交直流電車や特急形電車などの紹介に話を移していきたい。