作家・村山由佳さんは4匹の猫と暮らしている。オスのメインクーンの・銀次、オスのラグドール・青磁、オスの黒のハチワレ・サスケ、そしてメスの三毛・楓。じつは、もう1匹、3年前に天に召された特別な猫がいた。それがメスの三毛・もみじだ。17年と10か月間共に人生を歩んできた盟友だった。
『猫がいなけりゃ息もできない』(村山由佳・著/ホーム社・刊)は、もみじが病に冒され、残された時を慈しむように送り、そして看取るまでの日々を綴ったもので、WEB連載時から猫好きたちの間で大反響となったエッセイだ。
猫だって家ではなく、人につく
ものごころつくころにはすでに家に猫がいて、何匹もの猫を飼ってきた村山さんだが、中でも”もみじ”は特別な存在だったという。旦那さん一号と暮らしていた房総・鴨川の家を村山さんはある日突然ひとり飛び出した。都内に棲家を見つけるまでの1か月間はやむを得なく、もみじと離れ離れになった。
何しろ、生まれ落ちた時に私が取り上げ、私なしには夜も日も明けない子だったから、いきなりの不在はとんでもなく寂しかったのだろう。迎えに行くと、顔を見るなり足もとから胸まで爪を立ててよじのぼり、それきりどれだけなだめても、引き剥がそうとしても、しがみついて離れようとしなかった。(中略)誰かにそこまで切実に帰りを待たれたのも、そんなに強く求められたのも、生まれて初めてのことだった。
(『猫がいなけりゃ息もできない』から引用)
もみじの分離不安はその後も変わらず、村山さんが机に向かって仕事をしている間中、彼女は村山さんの膝の上にうずくまり、ときどき顔を向けてひたむきに見つめてきたそうだ。
犬は人につき猫は家につく、とよく言われるが、猫だって飼い主が大好きで、やっぱり人につくのだと思う。
もみじが、癌!
村山さんともみじは、その後も転機と転居を重ね、軽井沢に終の棲家を見つけることとなった。愛猫たちとの穏やかで輝くような毎日。しかし、ある日、もみじが癌におかされていることが発覚。口に違和感があったようで、前足で口の横をこすっては首を振ったり、ギシギシと歯ぎしりをしていたので獣医師に診てもらった。すると腫瘤が見つかり、病理検査の結果、扁平上皮癌であることがわかった。この病にかかった猫の平均余命は3か月、村山さんは衝撃を受け、ひとしきり泣いたあとで決意する。
せめてここから先の一日一日を、彼女にとってできるだけ心地よいものにしてやりたい。(中略)病気という運命はゆるやかに受け容れつつ、生きる気力や体力を保つためにできることを手助けする。食いしん坊の彼女が、できるだけどこも痛まない状態で好物の缶詰やカリカリを食べられる状態を保てるように、口の中の腫れ物が大きくなった時だけ先生に切除してもらい、症状に応じたお薬を最低限処方してもらって、あとは、もみじ自身の意思に任せる
(『猫がいなけりゃ息もできない』から引用)
その後、もみじは12回もの手術を受け、3か月をはるかに超えて元気に生き続けたのだ。
人間の言葉は動物にも通じている
言葉が通じていると思いたいのは人間のほうだけで、動物はせいぜい声のトーンで判断しているに過ぎないという意見が多い。けれども、もみじに関してはこちらの言葉がわかっている、そうとしか思えないと感じることがたくさんあったそうだ。
村山さんの現在のパートナーに「とーちゃんは今忙しいからな、かーちゃんの膝へ行っとけ」と言われればその通りに動く。「お風呂に入るよ来る?」と訊けば、いそいそと先に風呂場に直行。「もみじさんはほーんまに美人さんやねえ」と褒めれば鼻面をつんと上げて横を向く。などなど偶然にしてはいつもいつもそうだったのだという。
親ばかと笑うなかれ。何しろ十七年間もずっと一緒にいて、朝昼晩ひっきりなしに話しかけてきたのだ。言葉、というものの捉え方は人間と違うかもしれないけれど、意味については、かなりのところまで理解していて当然なんじゃないか。おそらくは、こちらが思っているよりもはるかに正確にわかっていて、ただ口や舌の形状が人の言葉を発音するようにはできていないから喋れないだけなんじゃないか。というか。私たちのほうこそ、彼らの伝えようとしていることを百分の一もわかっていないんじゃないか。そんなふうにさえ思う。
(『猫がいなけりゃ息もできない』から引用)
もみじの言いぶん
もしかしたら18歳の誕生日を迎えられるかも……、村山さんはそう願ったが、もみじは永遠のセブンティーンのまま家族に看取られ旅立った。
本書の巻末には、ネコだから喋ることができないもみじに代わって、村山さんが”もみじの言いぶん”を記しているので、その一部を抜粋してみよう。
いま、かーちゃんは、うち以上に愛せる猫なんかおるわけない、て思てるはずや。うちが一生でいちばんやった、て。うちにそのまんま生まれ変わってきて欲しい、て。(中略)せやけどな。いつかもし、縁あって次のコを迎えることになった時は、うちの代わりやのうて、そのコとして可愛がったって欲しいねん。(中略)なんでってそれは、この世に、うちとおなじくらい幸せな猫が一匹増えた、というこっちゃねんから。そのことを、忘れんといてな。
(『猫がいなけりゃ息もできない』から引用)
きっと、飼い主に心から愛されて天寿を全うした猫たちはみな、こんなふうに思っているのかもしれない。
現在、猫を飼っているひとだけでなく、これから猫を飼いたいと考えている方もこの”もみじの物語”をぜひ読んでほしいと思う。
【書籍紹介】
猫がいなけりゃ息もできない
著者:村山由佳
発行:ホーム社
房総・鴨川での暮らしを飛び出して約十五年。度重なる転機と転居を経て、軽井沢に終の住まいを見つけた著者。当初二匹だった猫は、気づけば五匹に。中でも特別なのは、人生の荒波をともに渡ってきた盟友“もみじ”、十七歳ー。大反響のWEB連載が、読者の熱望を受けついに書籍化! 愛猫とのさいごの一年。リアルタイムで綴られた奇跡のエッセイ。