〜玉袋筋太郎の万事往来
第16回「日本ナポリタン学会」会長・田中健介
全日本スナック連盟会長を務める“玉ちゃん”こと玉袋筋太郎が、新旧の日本文化の担い手に話を聞きに行く連載企画。第16回目のゲストは、ナポリタン発祥の地と言われる横浜を拠点に活動する「日本ナポリタン学会」の田中健介会長。かつては洋食屋や喫茶店の主役だったナポリタンも、おしゃれなパスタに覇権を奪われて久しい。そんなナポリタン復権を目指して発信を続ける田中会長のナポリタン愛に玉ちゃんが迫る!
(構成・撮影:丸山剛史/執筆:猪口貴裕)
ナポリタンは横浜のホテルニューグランドが発祥の地?
玉袋 「日本ナポリタン学会」という名前からしてすごいですね。
田中 大袈裟なネーミングなんですけど……。
玉袋 いやいや、俺も「全日本スナック連盟」の会長ですから。一般社団法人にしちゃいましたけど。
田中 我々は任意団体なので、本当に緩い活動です。
玉袋 全日本スナック連盟も緩いですけどね(笑)。そもそも、どういう風に始まったんですか?
田中 2009年まで遡るんですけど、横浜が開港150周年の年に、何か横浜を盛り上げる活動をしたいなと考えたんです。横浜といえば、外の人から見ると「みなとみらい」や「中華街」のイメージが強いですけど、洋食文化も歴史が長いんです。関内・伊勢佐木町には「ホテルニューグランド」(※1927年に開業した横浜を代表するクラシックホテル)のレストランから独立した人たちが開店した洋食屋さんが点々とあって、そこに目を向けてほしいなということが立ち上げるきっかけです。
玉袋 もともと会長も料理をやられていたんですか?
田中 飲食関係の仕事をしていたことはあったんですが、料理とは無関係でした。
玉袋 実際に活動を始めるにあたって、一緒に手を挙げてくれた人がいたってことですか?
田中 横浜の地域SNSがあって、そこで「ナポリタンは横浜発祥と言われている」と書いたら、それだけで同志が集まってきました。
玉袋 「横浜発祥と言われている」ってのがいいね(笑)。
田中 諸説あるんですけど、我々は横浜発祥という説を採用しました。ただ、いきなり日本ナポリタン学会を立ち上げたのではないんです。本日来ていただいた本部があるのは都筑区ですが、副会長の岩室晶子は都筑区で街づくりの活動をやってきたんです。ただ出身は名古屋なんですよ。
玉袋 名古屋といえば、あんかけスパじゃないですか。
田中 それもありますが、他にも鉄板に乗ったナポリタンがあるんです。名古屋では「イタリアン」と呼ばれているんですけど。
玉袋 イタリアン?
田中 西のほうでは、ナポリタンのことをイタリアンって呼ぶ傾向があるんです。そちらのほうが、副会長としては思い入れが強いと。じゃあ横浜と名古屋でナポリタン料理対決をして、それをイベントにしようという話になって。最初は小さなレストランを借りて、小規模でやるつもりだったのが、いつの間にか開港150周年事業の一環になって、数百人規模のイベントになりました。
玉袋 おー! ガチンコ勝負だね。
田中 そして勝負に負けた人が、「日本ナポリタン学会を立ち上げます」と宣伝するというルールになって。
玉袋 負けたほうが!?
田中 そうです。そういう約束で始めて、私が率いる横浜チームが勝ったんですけど、なぜか勝った僕が立ち上げることになったんです(笑)。
玉袋 そもそもナポリタンの歴史ですけど、横浜発祥の説としては、どれぐらい前に誕生したんですか?
田中 戦後、ニューグランドが接収されていた時期に、進駐軍がスパゲッティをトマトソースで炒めていたらしいんです。その後、ニューグランドの二代目総料理長だった入江茂忠さんという方が、ホテルでケチャップの料理を作るのは味気ないので、トマトソースベースで作ろうということで生まれたのがナポリタンと言われています。
玉袋 どうして名前がナポリタンになったんですか?
田中 ナポリはトマトの名産地としても知られていたので、そこから入江さんが連想したと言われています。その前に、初代料理長のサリー・ワイルという方が、「スパゲッティ・ナポリテーヌ」というメニューを戦前に出されていたらしいんです。それはトマトベースのシャバシャバした料理で、あまり当時は日本人受けしなかったらしく、どちらかというとスパゲッティだけど、フランス寄りのメニューだったらしいんです。そこからも入江さんはインスパイアされたそうです。
玉袋 ナポリタンがバーッと街に広がっていったのは、入江さんの下で働いていた弟子が次々と独立したってことなのかな。
田中 それもあるんですけど、当時の日本にはアルデンテという概念がなくて、うどんみたいにモッチリしたスパゲッティが好まれたんです。そこで入江さんは、スパゲッティを茹でて、冷蔵庫で一晩寝かせて、それから調理するという調理法を考案しました。茹で置きはサッと出せて、オペレーション的にも良いので、洋食屋だけではなく喫茶店などにも広がったんだと思います。
玉袋 確かに回転率がいいわな。あとケチャップというものに日本人は弱かったんじゃないですか。
田中 それはあるかもしれません。実は国産のケチャップも横浜が発祥と言われているんです。神奈川県の新子安に、「トマトケチャップ発祥の地」という石碑があるんですよ。
玉袋 国産で独自のトマトケチャップを作ったってことですか?
田中 そうです。明治時代に遡るんですけど、新子安に外国人居留地向けの畑があったらしくて。トマトを栽培していたんですが、思うように売れなくて、すぐに腐らせてしまうと。そこで海外にはトマトケチャップというものがあるということで、清水與助さんという方が「清水屋トマトケチャップ」という商品を開発したらしいんです。お店自体は一代で終わってしまったらしいんですけど、遺族の人たちにレシピを聞いて、十数年前に復刻させた商品が今も横浜にあります。
古き良き洋食屋さんや喫茶店を応援したい
玉袋 ナポリタンといえば具も重要だけど、会長にとって基本の具は何ですか。
田中 玉ねぎは必須だと思うんですけど、あとは緑も必要ということでピーマン。
玉袋 マッシュルームが入っているところもあるよね。
田中 マッシュルームはキノコのアミノ酸とトマトケチャップと肉系の具との相乗効果で味が良くなるんです。
玉袋 肉系と言えばウィンナーとかね。
田中 ハムやベーコンもありますよね。ニューグランドはロースハムです。
玉袋 俺はタバスコと粉チーズをかけるのが大好きなんだけど、日本ナポリタン学会としては邪道ですか?
田中 そんなことはないです。僕もタバスコ大好きですし。
玉袋 イタリアに行ってピザを頼んだときに、タバスコをくれと言ったら「ジャパニーズだ」って言われたんだけど、日本人しかタバスコをかけないって言われました。
田中 トッピングで言うと、「岩井の胡麻油」という150年以上の歴史を持つメーカーがあるんですけど、そこのラー油をナポリタンに垂らして食べると美味しくて、日本ナポリタン学会では推奨しています。
玉袋 言ってしまえば、ナポリタンって何入れても美味しくなっちゃったりするじゃない?
田中 けっこう何でも合うんですよね。
玉袋 温泉卵をかけてぐちゃぐちゃに混ぜても美味しいしね。
田中 結局、ケチャップが何とかしてくれるんですよ(笑)。
玉袋 ところで、俺はパスタって言うのが嫌いなんだけど、いつぐらいからスパゲッティって言わなくなったんだろうね?
田中 スパゲッティをパスタと呼ぶようになったのは、ここ30年ぐらいですよね。
玉袋 ズボンのことをパンツ、ジャンパーのことをブルゾンというのも嫌いなんだけど、それと同じだよ。日本ナポリタン学会としてはパスタと呼ぶのは許しているんですか?
田中 極力、スパゲッティと呼ぶようにしています(笑)。ただ、日本ナポリタン学会の認定店舗が約35店ほどあるんですけど、その中には「パスタ専門店」でやっているところもあります。
玉袋 認定店舗に選ばれるにはどういうルールがあるんですか?
田中 日本ナポリタン学会と名乗っていますけど、実際は横浜の中でのグルメ団体で、小さくローカルでまとまっているんです。なので横浜市内で認定店舗を進めています。洋食店、喫茶店といった古くから街で愛されているお店から、今はナポリタンを出すイタリア料理店や居酒屋のような業態の認定店舗もあります。
玉袋 俺らの世代からすると、やっぱりナポリタンといえば喫茶店だよね。
田中 玉さんもスナックや町中華の番組をやっていますけど、僕らも古き良き洋食屋さんや喫茶店を応援したいという思いが強いんです。
玉袋 喫茶店で食べるナポリタンは美味いもんなぁ。銀のオーバルの皿に盛られてさ、そこに粉チーズとタバスコだよ。うちは両親が雀荘をやっていたんだけど、お袋がお店でナポリタンを作って出していたんですよ。その残りが翌日、俺たちの朝飯になって、そこに粉チーズをかけてね。今も子どもたちにナポリタンは人気ありますか?
田中 ここ十数年でナポリタンを出すお店も少なくなって、ちっちゃい子たちも「ナポリタンって何?」って感じなのかなと思っていたら、意外と家庭ではナポリタンが根強い人気みたいですね。
玉袋 まだ箸なんて使えない子どもが、フォークでナポリタンを食べて口の周りを真っ赤にしている姿なんて可愛いもんなぁ。ちっちゃい頃からナポリタンを食べさせたら、それが原体験となって一生食い続けますからね。3歳の味覚は一生続くって言うし。今はレトロ喫茶ブームもすごいじゃないですか。ああいったところと連合を組んでも面白いだろうね。
田中 喫茶店も若い女の子のお客さんが増えていますからね。
玉袋 そうそう。前々から俺はスタバなんて行く必要ないって言ってるんだから。スポーツ新聞読みながら、ナポリタン食って、コーヒー飲んで、煙草を吸って。それが一番の娯楽だよ。
縁日の屋台がナポリタンを扱わない理由
玉袋 ナポリタンってスナックで出してるところもあるけど、たいていはデカい皿に盛られるんじゃなく、ちょっとしたサイズの小鉢に入っているんだ。定食屋なんかでも、ちょろっとナポリタンが添えられていることがあるじゃない。とんかつ屋でも、とんかつの脇にキャベツがあって、恥ずかしそうにナポリタンの姿があってね。あのナポリタンの立ち位置はどうですか?
田中 いいですよね。ナポリタンは主役も張れるし、脇役もこなせるところが広いなと思うんです。ハンバーグのソースと混ざったりすると、絶妙な汽水域ですよ。
玉袋 そうそう、浜名湖みたいなもんだね。そう考えるとナポリタンは強えーな! 対抗できるものと言ったらラーメンかな? まあラーメンも強いけど、あれは広がりすぎちゃったから。
田中 ラーメンはとんこつと鶏ガラでも全く味が違いますしね。ナポリタンは基本がケチャップですから。極端に言うと、カゴメかデルモンテの差を楽しむみたいな(笑)。けっこう狭い範囲で楽しんでいるんですよ。
玉袋 狭いけど、日本中への広がり方はすごいものがありますよね。
――値段も安いですしね。
玉袋 だいたい1000円以下でしょう?
田中 今はお店によって1000円を超えるところもあります。
玉袋 そんなにするのかぁ! 俺からしたら上限は850円ぐらい。俺はラーメン屋も一杯1200円とかすような専門店には行かないようにしたんですよ。それよりも町中華の、普通のラーメンでいい。まだワンコインでラーメンを食べられるところも多いからね。
田中 今でも古き良き喫茶店は850円ぐらいですね。それにコーヒーが付いちゃいますから。付けなくてもいいのにって思うんですけど、もてなしてくれるんですよね(笑)。
玉袋 スパゲッティ専門店と言えば、「壁の穴」なんかがあるけど、ナポリタン専門店はあるんですか?
田中 「スパゲッティーのパンチョ」というお店が東京を中心にあって、渋谷が1号店(※2009年に渋谷・道玄坂で第1号店をオープン)なんですけど、今は全国で30店舗ぐらいあります。以前、調理しているところを見させていただいたんですが、ちゃんと炒めているんですよね。
玉袋 それは大変だ!
田中 そこかしこに、茹で置きしたスパゲッティが積んでありました。1日に150kgぐらいの麺が出ると仰ってましたね。それだけの量のナポリタンを作るとなると、それなりの技術が必要になります。ロボシェフでやってみたこともあったらしいんですけど、上手くいかなかったみたいですね。炒めるだけじゃなくて、ソースと乳化させるのがナポリタンを美味しくする醍醐味ですから、やっぱり人の手じゃないとダメみたいです。
――家庭ではレトルトソースが重宝されています。ナポリタンもありますけど、それについてはどうお考えですか?
田中 我々は炒めるのを定義にしていますので、かけるだけではなく炒めたいですよね。
玉袋 ナポリタンと言えば、脂ぎった黒いフライパンで炒めるもんだよ。
田中 炒めているうちに鉄分が含まれてしまうようなフライパンですよね(笑)。
玉袋 そうそう。そういや縁日の屋台でナポリタンを見た記憶がないね。
田中 そうですね。実は日本ナポリタン学会で、横浜のお祭りで屋台を出したんです。実際売れたんですよ。ケチャップの匂いって、うなぎと同じで「煙を食わせる」みたいなところがありますから。でも茹でなきゃいけないので、仕込みが大変なんです。焼きそばって、あらかじめ蒸しあがっている麺が既製品としてあるから、炒めるだけでいいんですよね。ナポリタンは前の晩から茹でて置いとかなきゃいけない。屋台だと、いちいち茹でる訳にもいかないですし、それが露店で出てない理由なのかなと思います。
玉袋 露店でも手軽に調理できるような改革があれば時代は変わるかもね。日本ナポリタン学会が推奨する家庭でのナポリタンの作り方はあるんですか?
田中 特にないですが……ケチャップを惜しみなく使うこと(笑)。
玉袋 ケチャップの海で泳がせろってことだね。それが一番だよ。
日本のトマトケチャップの原点は「しょっつる」
――田中さん自身は、幾つぐらいからナポリタンにハマったんですか?
田中 今45歳なので、もともと世代的にナポリタンは普通に食べていたんですけど、ちゃんと外で食べるようになったのは確か25歳のときです。きっかけは中華街にあった「パンアメリカン・ホットドッグ・コーナー」というお店で、だいぶ前に閉店したんですけどクレイジーケンバンドも歌にしています。そこのナポリタンが本当に美味しくて。オーソドックスな味なんですけど、たぶん中華鍋でガーッと炒めているので、家で真似しようと思ってもできないんですよ。
玉袋 お店だと火力も強いですからね。
田中 そのときに、「ナポリタンって外で食べると、こんなに美味しいんだ」と気づいて、いろんなお店で食べ歩きするうちに、どうやらナポリタンは横浜発祥らしいと知って、どんどんハマっていきました。
玉袋 分かる分かる。そういう出会いってあるよ。釣りでたとえると、「フナに始まりフナに終わる」って言うけど、最初はフナから始めたのが、ブラックバスだ、トローリングだ、マグロだって、いろんな釣りを経験して、結局は年を取ってフナに戻る。ナポリタンもそれと同じで、パスタだなんだと言っても、結局は帰ってくるんじゃないですかね。だって、この味が俺たちに沁みついているんだもん。だからこそ子どもたちにナポリタンを広げるのは大事だよ。
――今どれぐらい日本ナポリタン学会に会員数がいるんですか?
田中 40人ぐらいで、幽霊会員も含めると50人ぐらいです。最近、田中康夫さんが入ったんですよ。
玉袋 そうですか。じゃあ俺も名前貸ししますよ(笑)。
田中 心強いです!
――会員になる基準はあるんですか?
田中 一応面接もするんですが、ナポリタンが好きであれば、思想とか国籍とか年齢とか関係ないです(笑)。
玉袋 多様性だよね。ナポリタンと書いて、多様性って読むんですよ。ちなみに外国人がナポリタンを食べたら、どんな感想を持つんだろうね。
田中 ナポリで「ナポリコミコン」という日本のマンガやアニメ文化を紹介するイベントがあるんですが、日本で人気の食べ物を紹介するブースがあって、2012年に我々も参加したんです。
玉袋 たいしたもんだよ。普通なら寿司とかてんぷらだろうけど、ナポリタンがそこに入ったんだからね。で、反応は?
田中 ナポリ市長も来てくださったんですけど、一応、「Buono!」と言ってくれました(笑)。でも向こうの人って、ほとんどケチャップを使わないみたいなんです。いろいろ食材を用意して飛行機に乗ったんですけど、税関で引っかかっちゃうからケチャップは現地で買おうということになって。でも現地には、ほとんどケチャップが売ってなくて、ウォルマートでちっちゃいケチャップを全部買い占めました。向こうではトマトに砂糖を入れること自体がありえないみたいです。
玉袋 日本独自にケチャップが進化したってことか。
田中 もともとは「しょっつる」から始まって、世界を一周するうちにトマトケチャップとして帰って来たと言われています。
玉袋 魚醤ですか!?
田中 イギリスやフランスだとマッシュルームのケチャップ、フィリピンのほうだとバナナのケチャップがあります。
玉袋 面白い! 国によって進化が違うんだね。
――これから日本ナポリタン学会は、どんな展開を考えているんですか?
田中 横浜は18区あるんですが、全区に一つずつ認定店舗を置きたいなと思っています。今は中区を中心に10区ぐらいなんです。
玉袋 一時期、ナポリタンが笑いの対象になっちゃったじゃない。ナポリタンの食品サンプルでフォークが浮いているだけで、みんなが笑ったんだよね。あれで「ナポリタン=古いもの」というイメージが付いた気がするんだけど、あれは悔しいね。だって、ナポリタンの食品サンプルって最高傑作だよ。よくぞフォークを宙に浮かせたというね。だから日本ナポリタン学会も、もう一度政権を奪い返してほしいね。昔は与党、今は野党でしょう。スナックもそうだけど、水商売のど真ん中にいたのに、キャバクラやガールズバーの台頭で野党になっちゃったのよ。それが悔しいから、またスナックをど真ん中に持って行きたいって気持ちで全日本スナック連盟をやっているんです。町中華もそうだけど、日本ナポリタン学会と理念は通じるなと。まだまだ、これからですよ。もっとナポリタンを伸ばしていきましょうよ!
【profile】
●日本ナポリタン学会
【活動内容などプロフィール】
2012年イタリア・ナポリ市長にナポリタンを振舞ったことで話題に 2014年第4回地域再生大賞優秀賞受賞 2021年現在ナポリタン発祥と言われる横浜市内を中心に洋食店・喫茶店など累計30店舗以上の認定事業を進めています。
玉袋筋太郎
生年月日:1967年6月22日
出身地:東京都
1987年に「浅草キッド」として水道橋博士とコンビを結成。
以来、テレビ、ラジオなどのメディアや著書の執筆など幅広く活躍中
一般社団法人全日本スナック連盟会長
スナック玉ちゃん赤坂店オーナー(港区赤坂4-2-3 ディアシティ赤坂地下1階 )
<出演・連載>
TBSラジオ「たまむすび」
TOKYO MX「バラいろダンディ」
BS-TBS「町中華で飲ろうぜ」
CS「玉袋筋太郎のレトロパチンコ☆DX」
夕刊フジ「スナック酔虎伝」
KAMINOGE「プロレス変態座談会」