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2022/3/17 6:15

天才は天才を知る。将棋界のレジェンドが若き天才について語る『藤井聡太論 将棋の未来』

将棋に興味がない方でも、藤井聡太の名前を聞けば、「あ、あの若き天才ね」と、すぐに思い当たるでしょう。2022年3月現在、藤井聡太は竜王、王位、叡王、王将、棋聖と5冠のタイトルを保持しています。これだけでも驚きの快挙ですが、彼は今も現在進行形で進化を続けており、このコラムが配信されるころには、さらに記録を伸ばしているでしょう。

 

将棋を知らなくても

藤井聡太論 将棋の未来』(谷川浩司・著/講談社・刊)は、将棋界のレジェンド・谷川浩司が天才・藤井聡太に迫った本です。これは読まずにはいられません。とはいえ、私自身は将棋のことはさっぱりわかりません。駒の動かし方さえよくわからず、金と銀の違いもすぐにごちゃごちゃになります。けれども、子どものころから、将棋の世界にずっと興味を持っていました。自分では出来ないからこそ、知りたくてたまらなくなるのです。棋士達は私が一生かかってもまったく理解できない世界にその身を捧げ、盤上を俯瞰しながら生きています。頭の構造が違うとはいえ、一体、どうなっているのだろうと興味を持たずにはいられません。

 

将棋には詳しくないくせに、テレビ放送の対局をよく観ます。私にとって、スポーツを観戦するのに似た楽しさがあります。もちろん、表面上はスポーツをしているようには見えません。棋士は将棋盤をにらみながら、長時間にわたってじぃっと座っているでけです。たまにお茶を飲んだり、扇子を手にしたりはしますが、あとは体を揺らす程度で、かたまったように動きません。ところが、頭の中ではすさまじい勢いで何かがうごめき、激しく格闘しているのがわかります。その様子は、タイトル戦に挑むボクサーのようでもあり、相手の動きをさぐり合う柔道家のようでもあります。

 

今、将棋の世界は、かつてない変革のときを迎えています。AI(人工知能)が台頭し、ますます激しさを増しているからです。

 

将棋ソフトのポナンザ(Ponanza)が現役の名人に完勝したのは二〇一七年五月だった。(中略)現在、ほとんどの棋士が将棋研究にAIを取り入れ、AIの評価値(ある局面での形勢の優劣を示す数値)が棋戦のネット中継で表示される方式も定着している。AIの進化は棋士の研究方法や観戦スタイルを一気に変えたと言えるだろう。

(『藤井聡太論 将棋の未来』より抜粋)

 

「やはりそうだったのですね」と、大きくうなずかずにはいられません。私も、最近、将棋が以前とはまったく異なるものになってきていると実感しています。以前、テレビで観戦した名人戦は、真剣勝負ながらも、どこか牧歌的な雰囲気がありました。芸事としての色っぽさも残っていたように思います。ところが、近年の将棋は戦いの激しさが増すばかりで、芸事というより、どこにもゆるみのない数字が激しくぶつかり合っているように見えます。冷たい殺気を感じ、背筋が寒くなることもあります。

 

最近の若い棋士達は「将棋というゲーム」という言葉を頻繁に使います。私はこれまで将棋を「将棋道」ととらえていましたので、その差に驚いてしまいます。おそらく、今は将棋が大きく変わり、新世界が出来上がりつつあるときにあたるのでしょう。そして、その今までなかった世界を牽引しているのが、藤井聡太なのではないでしょうか。

 

谷川浩司と藤井聡太、二人の天才が出会ったとき

谷川浩司と藤井聡太が初めて出会ったのは、2010年11月、名古屋で開かれたイベントで指導対局をした時のことだといいます。藤井はまだ小学校2年生、飛車と角を落とす2枚落ちのハンデ戦での対局でした。その時の様子は以下の通りです。

 

私のほうが優勢の局面だったが、「引き分けということにしようか」と提案した瞬間、負けを察していた藤井少年は将棋盤に覆いかぶさり、火がついたように泣き始めた

(『藤井聡太論 将棋の未来』より抜粋)

 

びっくり仰天のエピソードです。優しい顔をした少年が、そこまで負けず嫌いだとは、想像していませんでした。まして、その時、谷川浩司はA級在籍の連続記録を伸ばしている最中で、多忙な毎日を送っているスター棋士です。そんな彼が名古屋まで出かけて行き、指導対局を行うことだけでも驚きです。まして、まだ小学校2年生の男の子が、将棋の天才に負けたのが悔しくて号泣するなんて、希有な場面だとしか言いようがありません。

 

その時、将棋盤を抱えて泣いた男の子が、今は将棋界を変革する存在となっているのですから、歴史的局面が始まるその瞬間だったのかもしれません。

 

天才のすごさ

『藤井聡太論 将棋の未来』には、谷川でなければ書くことのできない藤井のすごさが、他にも数多く紹介されています。年下の棋士を見つめ、分析し、賞賛するのは、誰もができることではありません。まして、谷川浩司はひとつの時代を築いた人物であり、今も現役の天才棋士なのです。引退したご隠居が、目を細めながら、後輩の活躍を褒めるというのとはわけが違います。そこがこの本のすごいところです。

 

『藤井聡太論 将棋の未来』で、谷川は藤井を天才だと証明する数々のエピソードが紹介しています。とくに印象に残った話を取り上げてみましょう。

 

まず、藤井の集中力についてです。彼は、幼い頃、将棋のことを考えながら歩いていて、溝に落ちてしまったことがあるそうです。一旦、将棋について考え始めると、他のことを考えることができなくなるのでしょう。棋士に限らず、スポーツ選手や囲碁の世界でも、「ゾーン」と呼ばれる集中力が極限まで高まった状態に入るときがあるといいます。それは独特な状態で、言葉で説明するのは難しく、意識が消失したと感じるほどの時間です。ゾーン状態になると、周囲の景色や音が消失してしまうといいますから、溝に落ちるのも仕方がないことかもしれません。天才ならではの時間でしょう。

 

集中力が高いだけに、棋士は対局前、緊張して眠れないに違いないと、私は勝手に思っていました。ところが、藤井はしっかり7時間は眠るといいます。緊張を飼い慣らすのがうまいのでしょう。それとも、タイトル戦を前にしても緊張しないということなのでしょうか。私にはよくわかりませんが、「むしろ対局後の方が難しい」という感想に人間性を感じます。燃えさかった頭脳を鎮めるのに時間がかかるのでしょう。さらに、藤井はメディアへの対応も見事です。

 

……将棋を指すために生まれてきたかは分からないですけど、将棋に巡り合えたのは運命だったのかなと思いますし、将棋を突きつめていくこと、強くなることが使命……使命までいくかわからないですけど自分のすべきことだと思います

(『藤井聡太論 将棋の未来』より抜粋)

 

二人の共通点

『藤井聡太論 将棋の未来』は、谷川浩司と藤井聡太、この二人の間に、意外な共通点があることも教えてくれました。

 

藤井は7段に昇段した時、扇子に「飛翔」と記したそうです。この言葉は、他でもない谷川浩司が、まだ若いころから現在まで、色紙や扇子に書き続けた言葉です。目指す将棋をつきつめると、二人とも「飛翔」という言葉に行き着くのでしょうか。

 

もうひとつ、読んでいて思わずにっこりしてしまう共通点がありました。それは二人が鉄道好きだということです。藤井は鉄道に乗るのが趣味の「乗り鉄」として知られ、棋士にならなかったら鉄道の運転士になりたかったほどだそうです。一方、谷川は時刻表を見るのが好きで、ダイヤ改正があると時刻表の全ページを読み尽くして日本中を旅した気分になるといいます。天才棋士同士が似た趣味を持つことを知り、私はなんだかたまらなくうれしくなりました。天才とはいえ、棋士も一人の人間であると感じるお話ではありませんか?

 

これから先、AIを越える将棋を目指して、棋士達はさらにしのぎを削るのでしょう。それは辛く、厳しい道のりに違いありません。けれども、やはり将棋は人間が指してこそ、その魅力を増すものです。好きな鉄道に乗り、たまにはほっと一息つきながら、さらに上を目指していただきたいと願わないではいられません。

 

【書籍紹介】

藤井聡太論 将棋の未来

著者:谷川浩司
発行:講談社

天才だけが知る若き天才の秘密。人間はどこまで強くなれるのか?現れた巨大な才能と、彼としのぎを削る高度な頭脳集団。レジェンドが大変貌する将棋界を解明する。

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