おもしろローカル線の旅105〜〜JR東日本・烏山線(栃木県)〜〜
烏山線は栃木県の宝積寺駅(ほうしゃくじえき)〜烏山駅(からすやまえき)間を結ぶ。今年で開業100周年を迎えるこのローカル線は、日本で初めて蓄電池駆動電車が営業運転に使われた路線でもある。
20.4kmの路線はのどかそのもので、田園地帯を走り列車と滝が一緒に撮影できる観光スポットもある。冬の一日、烏山線でのんびり旅を満喫した。
*2011(平成23)年9月8日〜2022(令和4)年12月25日の現地取材でまとめました。一部写真は現在と異なっています。
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【烏山線の旅①】紆余曲折あった開業までの歴史
烏山線は東北本線と接続する高根沢町の宝積寺駅を起点に那須烏山市の烏山駅が終点となる〝盲腸線〟だ。まず路線の概略を見ておこう。
路線と距離 | JR東日本・烏山線:宝積寺駅〜烏山駅間20.4km 全線非電化(一部に電化設備あり)単線 |
開業 | 鉄道省の官設路線として1923(大正12)年4月15日、宝積寺駅〜烏山駅間が全通 |
駅数 | 8駅(起点駅を含む) |
今年の4月で100周年を迎える烏山線だが、路線を巡る歴史には紆余曲折があった。ポイントを簡単に触れておこう。
路線の歴史をたどるにあたっては、まず烏山(現・那須烏山市)の歴史に触れておかなければいけない。烏山は烏山城が15世紀前半に築城されたことから歴史に登場するようになる。城主はたびたび替わったが、江戸時代に烏山藩が設けられ、1725(享保10)年に譜代の大久保常春が3万石に加増され城主となり、その後、幕末まで大久保家の城下町として栄えた。町の東側に那珂川が流れていて、この川が交易に使われたことも大きい。
鉄道開業を求める運動は明治時代の終わりから高まりを見せたが、なかなか成就しなかった。地元資本により1921(大正10)年にようやく工事に着手し、その後に鉄道省が引き継ぎ1923(大正12)年4月15日に路線開業となったものの、皇族が亡くなられたこともあり開通式は5月1日と半月ほど引き伸ばされている。
その後、国鉄烏山線となり、1987(昭和62)年に国鉄分割民営化によりJR東日本に引き継がれ現在に至る。昨年11月にJR東日本から発表された経営情報によると、2021(令和3)年度の収支データは運輸収入が5900万円に対して営業費用は6億6300万円とマイナス6億300万円の赤字。1kmあたりの平均通過人員は1140人と、1987(昭和62)年度の2559人に比べて55%減少といった具合で状況は厳しい。ただ、JR東日本の路線には烏山線よりも経営状態が悪い路線区間が多いので、今すぐ廃止とはならないように思われる。
【烏山線の旅②】実用蓄電池駆動電車EV-301系の導入
次に走る車両に関して見ておこう。現在は下記の車両が走っている。
◇EV-E301系
EV-E301系電車は直流用蓄電池駆動電車で「ACCUM(アキュム)」という愛称が付けられている。日本初の営業用の蓄電池駆動電車として2014(平成26)年に導入された。電化区間ではパンタグラフを上げて架線から電気を取り入れて走る一方、非電化区間ではリチウムイオン電池に貯めた電気を使って走行する。
導入当初、1編成でテスト運転を兼ねての営業運転が行われ、順調な成果をあげたことから2017(平成29)年2月まで3編成が増備されている。烏山線の営業運転以降、JR九州で2016(平成28)年10月19日から交流電化用蓄電池駆動電車BEC819系が筑豊本線(若松線)に、2017(平成29)年3月4日からJR東日本の交流用蓄電池駆動電車EV-E801系が男鹿線(秋田県)に導入されている。
画期的なシステムの電車でもあり、環境への負荷が少ないことから車両数の増備が期待されているが、蓄電池の容量が限られていて充電に時間が必要なこともあり、現在は短い路線での運用に限定されている。
新型蓄電池電車の導入が行われた一方で、それまで走っていたキハ40形1000番台は2017(平成29)年3月3日をもって運用が終了となった。関東地方で最後のキハ40系が運用された区間であっただけに、鉄道ファンの間では惜しむ声が強まったが、山口県を走る錦川鉄道へ1両が譲渡され観光列車として運用され、また3両は「那珂川清流鉄道保存会」(栃木県那須烏山市白久218-1)で保存されている。
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【烏丸線の旅③】夕方を除きほとんどの列車が宇都宮駅発に
ここからは烏山線の旅を楽しみたい。烏山線の列車は1日に14往復が走っている。そのうち夕方の3往復を除き、11往復が宇都宮駅の発着となる。宇都宮市と周囲の市町を結ぶ郊外電車という役割も担っているわけだ。
列車の運行間隔は朝夕ほぼ1時間に1本で、日中の10時から14時までは2時間おきとやや時間が空くので注意したい。なお宝積寺駅以外は交通系ICカードが使えない区間で、ワンマン運転のため運転席後ろにある精算機での現金清算となる。
宇都宮駅から烏山線の起点となる宝積寺駅までは約11〜14分と近いが、駅前に気になる建物を見つけたので降りてみた。
【烏山線の旅④】起点となる宝積寺駅はお洒落そのもの
宝積寺駅(高根沢町)の歴史は古く、1899(明治32)年10月に日本鉄道の駅として開業。駅舎と東西口を結ぶ自由通路は、2008(平成20)年に建て替えられた。隈研吾建築都市設計事務所の設計で、自由通路の外観、内装、特に天井部など、時代の先端を行くデザインのように感じる。ちなみに、この駅のデザインは国際的な鉄道デザインコンペティション「ブルネル賞」で奨励賞を受賞した。
筆者は駅舎だけでなく東口前の「ちょっ蔵広場」も気になった。こちらも隈研吾氏が「光と風が通り抜けるイメージ」として設計した広場で、壁に大谷石が波状に組み込まれていてる古い米蔵が目を引く。広場にはカフェもあり、元米蔵の「ちょっ蔵ホール」ではライブも開催されている。路面は籾殻(もみがら)を使用して舗装されたそうで、足に優しい感触が伝わってくる。非常に手間をかけて造られた広場ということがよく分かった。
【烏山線の旅⑤】パンタグラフを下げて烏山線へ入線していく
宝積寺という駅名は高根沢町大字宝積寺という字名が元になっているが、木曽義仲の御台所(みだいどころ)だった清子姫が開山した宝積寺に由来するとの説もある。なお宝積寺という寺はすでに現存していないそうだ。
宝積寺駅へ到着した烏山線の電車はここで一つの作業を行う。ホームに到着したらパンタグラフを下げるのだ。架線はこの先の烏山線が分岐するポイントまで敷設されているのだが、走行中にパンタグラフの上げ下げはできないため、烏山行き列車は駅でパンタグラフを下げることになる。運転士は下がったことを目視で確認してから列車を出発させる。
宝積寺駅を発車した烏山線の列車は、しばらく東北本線の線路を進行方向左手に見ながら走る。右カーブを描き分岐していくが、この先で列車は急な坂を下っていく。左右はのり面(人工的な斜面)となっていて、路線が設けられた際に線路を通すために切り通しにされたことが予測できる。
坂を下りると広い平坦な田園風景が目の前に広がっており、この極端な地形の変化が興味深い。調べてみると、宝積寺駅付近は宝積寺段丘という舟状の形をした台地の上にある町ということが分かった。この段丘は現在、宝積寺駅の西側を流れる鬼怒川の流れが造ったと予測されている。太古の鬼怒川は宝積寺段丘の東側を流れていたそうで、烏山線が走る平坦な平野は太古の鬼怒川の流れが造り出したものだったわけだ。
宝積寺駅を発車して5分あまりで下野花岡駅(しもつけはなおかえき)へ着いた。この駅とその先、仁井田駅(にいたえき)の間の広大な空き地が気になった。
【烏山線の旅⑥】下野花岡駅〜仁井田駅間の不思議な空間
下野花岡駅を発車するとすぐ右手に見えてくる空き地は、烏山線の南に並行する県道10号線(宇都宮那須烏山線)まで広がっている。古い地図などを見ると大きな建物が何棟も建っていたことが記されているが、この空き地は何なのだろう?
ここにはかつてキリンビールの栃木工場があった。31年にわたりビールの生産を続け、今も空き地の西にはキリン運動場という施設が残っている。周囲は木々に囲まれて緑豊かな工場だったようだ。かつて烏山線に沿うように木々が立ち並び、烏山線の車両を撮るのに最適な場所でもあったのだが、1年ほど前に訪れると木々は伐採され、工場の跡地が整地されていた。
ビール工場の跡地は長い間そのままになっていたが、この跡地に栃木県に本社を持つ医療機器製造販売メーカーが関連施設の移転を発表している。2024(令和6)年度を目標にしているとされ、烏山線の沿線も大きく変わりそうだ。
鉄道ファンとして気になるのは、次の仁井田駅までの区間、右手に残る引込線の跡であろう。これはキリンビール栃木工場の製品出荷用に設けられたもので、工場から仁井田駅近くまで側線が設けられ、1979(昭和54)年から1984(昭和59)年にかけて宝積寺駅〜仁井田駅間の鉄道貨物輸送が行われていた。今は線路も取り外されているが、古い橋梁の跡や車止めなどの施設がわずかに残されている。
【烏山線の旅⑦】北関東の緑に包まれて走る烏山線
朝の列車に乗車すると仁井田駅で驚かされることがある。下車する高校生が非常に多いのだ。駅の北側にある栃木県立高根沢高等学校の生徒たちだ。降り口は先頭のドアのみなので、都会の電車のように効率的な乗降とは言えないが、通学する高校生たちにとって烏山線が欠かせないことがよく分かる。降車にだいぶ時間がかかるが、乗客や運転士にも焦る様子はうかがえない。ローカル線らしい日常の風景に感じた。
烏山線はほとんどが平野と丘陵部を走り険しい区間がないものの、仁井田駅を発車すると、この線では数少ない勾配区間にさしかかる。次の鴻野山駅(こうのやまえき)まで最大25パーミルの上り下りがあるのだ。キハ40形が走っていた当時、勾配のピーク区間で列車を待ち受けると、エンジン音を野山に響かせ、スピードを落として坂を上る様子が見うけられた。キハ40形はそれほど非力ではない気動車だったが、やはり勾配は苦手だったようだ。
現在運行しているEV-E301系の最高時速は65kmだが、速度を落とさずに勾配をあっさりとクリアしていく。蓄電池駆動電車とはいえ、登坂力は強力で電車の強みが遺憾なく発揮されているわけだ。
鴻野山駅から大金駅(おおがねえき)まで、田園と木々に囲まれての走りとなる。このあたりは烏丸線の人気撮影地でもあり、訪れる人が多いところだ。
到着した大金駅は烏丸線で唯一、上り下り列車の交換施設があるところで、朝夕には列車の行き違いが行われる。金に縁がありそうな駅名のため、以前は乗車券を求めて訪れた人もいたそうだ。今は乗車券の自動販売機がなくなったこともあり、大金駅の名入りの乗車券を購入できない。なお駅の横には、JR東日本宇都宮地区社員が建立し、出雲大社から大黒様をお迎えした大金神社がある。
【烏山線の旅⑧】途中下車するならば滝駅で
烏山線はホーム一つという小さな駅が続く。宝積寺駅、烏山駅以外は駅員不在の無人駅で駅も含めて人気(ひとけ)のない駅が目立つ。滝駅(たきえき)もそんな駅の一つだ。烏山線の6つある途中駅の中で、途中下車するならばこの駅をおすすめしたい。
滝駅という駅名のとおりに、駅から徒歩5分、約450mという距離に滝がある。滝の名前は「龍門の滝」。那珂川に流れ込む江川にある滝だ。高さは約20m、幅は約65mという規模を誇る。おもしろいのは、烏山線の列車が滝の上を通る様子が展望台から眺められ、また撮影できること。春には桜、秋には紅葉を入れての写真撮影が楽しめる。
この龍門の滝という名前は、大蛇伝説にちなむものとされる。展望台の入口にある太平寺は、作家・川口松太郎の小説「蛇姫(へびひめ)様」のモデルとなった藩主大久保佐渡守の娘、琴姫の墓もある。琴姫を亡きものにしようとした悪い家老から姫を守る黒蛇(琴姫を守り殺された侍女の化身とされる)にまつわる逸話も、地元那須烏山市に残っている。
【烏山線の旅⑨】宝積寺駅から約30分で終着の烏山駅へ到着する
そんな龍門の滝近くを通り過ぎ、列車は大きく左カーブし、烏山の街へ入っていく。起点の宝積寺駅を出発して約30分、終点の烏山駅へ列車は到着した。
烏山駅からは路線バス便が市内区間のみと限られていて、他エリアへ足を延ばすことが難しい。そのせいか列車で訪れた観光客は、そのまま折り返し列車を利用して宇都宮方面へ戻る人が多いようだ。列車の折り返し時間はたっぷりとられていて、最短16分から最長で48分という具合だ。筆者は折返し時間を利用して駅周辺を歩いてみた。
今は電気施設が設置されているため、ホームの先20mほどで線路は途切れているが、以前は200m先付近まで線路が延びていた。その線路の跡地らしき空き地が確認できる。昭和中期までは、烏山駅の先を真岡鐵道の茂木駅や水郡線の沿線まで延伸する計画もあったとされる。駅の先に残る跡地は、鉄道最盛期だった時代の夢物語の残照と言ってよいだろう。
【烏山線の旅⑩】帰路のための充電をして発車準備を整える
列車の折り返しまで少なくとも16分の時間を設けている烏丸線の列車だが、これには理由がある。蓄電池電車EV-E301系の充電時間なのだ。烏山駅に到着したEV-301系はすぐにパンタグラフを上げて、駅の設備を使って充電を行う。ホームに設けられた充電設備を「充電用剛体架線」と呼ぶ。
運転台には「剛体架線」と記された画面がモニターに映し出され、蓄電池にどのぐらいの電気が充電できたか表示される。充電中にモニターには95%という数字が記されていた。この数値は蓄電池への充電の割合を示す値で、発車待ちをする運転士に尋ねると75%以上の値を示せば走行に問題はないそうだ。
帰りの非電化区間を走るための充電が完了したEV-E301系。烏山駅のホームに地元のお祭りのお囃子「山あげ祭り」の発車メロディが鳴り終わると、間もなく列車は静かに走り出した。
帰りの非電化区間を走るための充電が完了したEV-E301系は、烏山駅のホームに地元のお祭りのお囃子「山あげ祭り」の発車メロディが鳴り終わると、静かに走り出した。
ちなみに、烏山線の7駅(宝積寺駅を除く)には、それぞれ縁起のよい「七福神」が割り当てられている。烏山駅は毘沙門天(びしゃもんてん)、滝駅は弁財天という具合で、各駅にはそうした七福神の案内板が掲げられている。この七福神の割り当ては宝積寺、大金という縁起の良い駅名があることから行われた。次に烏山線を訪れたときには大黒天が割り当てられた大金駅に下車して、駅に隣接する大金神社に参拝し、金に縁のある神との良縁を願おうと誓った筆者であった。