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2022/12/31 21:00

鉄道ゆく年くる年…新幹線開業、災害、車両引退ほか2022年の10大トピックをふり返る

〜〜2022年 鉄道のさまざまな話題を追う〜〜

 

2022(令和4)年もあとわずかになった。今年は1872(明治5)年に新橋〜横浜間に鉄道が開業して150周年という節目の年にあたる。西九州新幹線の開業というおめでたい話題があった一方で、毎年のように起こる自然災害により複数の路線が被害を受けた。登場した新車、引退していく車両などの情報も含め、どのようなことが起きた年だったのかをふり返ってみよう。

 

【その1】北海道内の複数の駅が廃止される(3月12日)

今年も各地で新駅が誕生する一方で、廃止される駅が目立った。特に多かったのは北海道内である。3月12日に函館本線の池田園駅、流山温泉駅(ながれやまおんせんえき)、銚子口駅(ちょうしぐちえき)、石谷駅(いしやえき)、本石倉駅、さらに根室本線の糸魚沢駅(いといざわえき)、宗谷本線の歌内駅(うたないえき)と7つの駅が廃止となった。

↑函館本線の砂原支線にあった池田園駅。跨線橋が架かる駅で、周辺の風景が北海道らしく絵になった(左上)

 

筆者が訪れたことのある駅も多く残念に思う。廃止になった池田園駅、流山温泉駅、銚子口駅はいずれも函館本線の通称・砂原支線の駅となる。函館本線は大沼駅と森駅の間で、北海道駒ヶ岳の西側を走る本線と、東側を走る砂原支線に分かれている。砂原支線は戦時下、輸送量を増強するために設けられた迂回路線だった。

 

池田園駅にはかつて大沼電鉄(鹿部駅〜大沼公園駅間)という私鉄路線が走っていたが、砂原支線が開業した同時期に運転終了している。

 

函館本線に並行して、北海道新幹線の札幌への延伸工事が進んでおり、新線は2030(令和12)年度末に開業予定とされている。並行する函館本線の長万部駅〜小樽駅間はほぼ廃止の予定となっており、函館駅〜長万部駅間を第三セクター化するかどうかの目処は立っていない。

 

同区間は北海道内と本州を結ぶ鉄道貨物輸送のメインルートであり、北海道駒ヶ岳の西を通る本線は残されると思われる。だが、砂原支線の沿線は一部に民家が建つものの、乗車する地元の利用者が少ないため存続が難しいように思われる。複数の駅の廃止はその伏線なのかもしれない。

 

【その2】福島県沖地震の影響で東北新幹線が脱線(3月16日

3月16日23時36分、マグニチュード7.4の「福島県沖地震」により、宮城県と福島県で最大震度6強の揺れを記録した。この地震により200名以上の死傷者とともに、5万棟近くの住宅が被害を受けた。鉄道にも大きな被害を出ている。なかでも東北新幹線の被害は深刻で、福島駅〜白石蔵王駅間を走行していた下り「やまびこ223号」が脱線してしまった。負傷者は若干名だったものの、新幹線としては2例目の脱線事故となった。この地震により高架橋の損傷、架線柱の傾きなどの被害が多く見つかり、東北新幹線は不通となった。

 

1か月以上にわたる復旧工事が必要と見られていたが、工事は順調に進み4月14日に全線運転再開を果たした。一部の徐行運転を続けていたが、5月13日には通常ダイヤの運転に戻っている。

 

一方で、脱線したH5系第2編成とE6系Z9編成はいずれも「高速走行に耐えられない」「営業列車への使用には適さない」ということで廃車されることになった。H5系はJR北海道が北海道新幹線、新函館北斗駅開業に合わせて新製した車両で、4編成(計40両)しか配置されていない。希少だった車両が運悪く地震の被害にあってしまったわけだ。後に同編成の一部は北海道へ海上輸送され、今後、函館総合車両基地で教習用に使われることになっている。

↑古川駅〜仙台駅間を走るH5系+E6系の編成。写真のH5系第2編成が運悪く地震の影響を受け廃車となることに

 

在来線への被害も大きかった。なかでも第三セクター・阿武隈急行線では計94か所の被害を受け、3か月以上にもおよぶ復旧作業により6月27日に全線の運転再開を果たしている。ちなみに阿武隈急行線は2019(令和元)年10月12日、「令和元年東日本台風」により大きな被害を受けていて、この時には翌年の10月31日にようやく全線復旧を果たしていた。一部の路線に度重なる自然災害が襲いかかる厳しい現状には、痛ましさを禁じ得ない。

 

【その3】ローカル線の廃止論議がより高まることに(7月25日)

7月25日、国土交通省の「鉄道事業者と地域の協働による地域モビリティの刷新に関する検討会」からいくつかの〝提言〟が発表された。ローカル線の今後に大きな波紋をもたらした同提言をふり返ってみよう。

 

提言ではまず、「JR各社は、大臣指針を遵守し、『国鉄改革の実施後の輸送需要の動向その他の新たな事情の変化を踏まえて現に営業する路線の適切な維持に努める』ことが前提」と〝廃止ありき〟の提言ではないとしている。

 

一方で、ここ数年の利用者減少に対しては「危機的状況にある線区については、鉄道事業者と沿線自治体は相互に協働して、地域住民の移動手段の確保や観光振興等の観点から、鉄道の地域における役割や公共政策的意義を再認識した上で、必要な対策に取り組むことが急務」とする。また「守るものは鉄道そのものではなく、地域の足であるとの認識のもと、廃止ありき、存続ありきという前提を置かずに協議」と地元自治体と鉄道会社間の協議を進めるように提言した。

 

要はなかなか進まないローカル線の廃止に向けて、より協議しやすくなるように道筋が示されたわけだ。

↑芸備線と木次線の接続駅、備前落合駅。両線とも輸入密度が低く、JR西日本でワーストの路線区間となりつつある

 

こうした提言に応えるように、これまで路線ごとの収支を発表してこなかったJR東日本も「ご利用の少ない線区の経営情報を開示します」として、赤字ローカル線の状況を発表した。JR東海をのぞくJR各社がこうした状況を発表しているが、1987(昭和62)年に国鉄が民営化してJRとなった当時と比べても、地方の〝鉄道離れ〟は深刻になっている。コロナ禍の影響を受けてここ数年、状況がさらに悪化したこともあり、国土交通省がローカル線の廃止に向けての道筋をスムーズにすべく乗り出したと見るべきなのだろう。

 

毎年のようにローカル線の廃止という話題が出てきているが、今後はさらに増えることが予想される。

 

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【その4】複数の路線が大雨で大きな被害を受ける(8月3日〜)

地球温暖化のせいなのか、毎年のように起こる自然災害のなかで豪雨災害の影響が深刻になりつつある。一部の地域に降り続く大雨による川の氾濫、地滑りなどで鉄道路線も傷ついていく。

 

「令和4年8月3日からの大雨」と名付けられた大雨災害では、今も東北地方を中心に複数の路線が不通となっている。一部の路線は復旧工事が進み、12月に入ってようやく復旧を遂げた路線もある。

 

12月12日に復旧を果たしたのが秋田内陸縦貫鉄道で、8月12日に不通になって以降、ちょうど4か月後に復旧を果たした。筆者は7月末に現地を訪れ、本サイトで同路線を紹介したすぐ後に不通となっただけに心苦しく感じていた。風光明媚な路線が復旧したことをうれしく思う。

 

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↑針葉樹林帯の中を走る秋田内陸縦貫鉄道の列車。森と渓谷に囲まれて走る美しい路線でもある

 

次に8月の大雨の影響を受けて、今も不通となっている区間を見ていこう。下記はすべてJR東日本の路線だ。

不通区間復旧予定
津軽線 蟹田駅〜三厩駅(みんまやえき)間復旧を含め路線の今後を協議する予定
花輪線 鹿角花輪駅(かづのはなわえき)〜大館駅間2023年4〜5月頃復旧の見込み
米坂線 今泉駅〜坂町駅間復旧方法検討中
磐越西線 喜多方駅〜山都駅(やまとえき)間2023年春ごろ復旧見込み

 

被害を受けた路線は河川沿いに線路を敷設したところが多く、増水による影響で路盤の流失、橋梁の被害が目立った。協議予定または検討中の津軽線、米坂線は利用者が少ない路線だけに、そのまま廃線となる可能性も出てきた。

↑米坂線今泉駅に取り残された気動車。路線が不通となり車両基地まで戻ることができず郡山まで11月下旬に陸送された 11月6日撮影

 

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【その5】西九州新幹線開業&新D&S列車が誕生(9月23日)

暗い話題が続くなかで今年の明るい出来事といえば、西九州新幹線の開業であろう。九州新幹線の西九州ルートとして建設が進められていた西九州新幹線の武雄温泉駅〜長崎駅間が、9月23日に開業を果たした。5駅66.0kmと国内で最も短い新幹線路線となったが、福岡市方面からの到達時間の短縮により、長崎県の観光客の増加が期待されている。

↑大村市内を走る西九州新幹線「かもめ」。大村湾を遠望しながら走る。同線内で最も車窓が楽しめる区間だ

 

西九州新幹線の開業に合わせて嬉野温泉駅(うれしのおんせんえき)と新大村駅が新しく誕生した。嬉野温泉駅は嬉野市にとって初の鉄道駅となる。駅名となった嬉野温泉は駅の西側1.5kmと距離があるが、「日本三大美肌の湯」とされる嬉野温泉にとってありがたい新駅誕生となったようだ。また、諌早駅(いさはやえき)、長崎駅も新しい駅舎が設けられ、新幹線の開業に合わせた街造りが進められている。

 

だが、新幹線開業を歓迎する声ばかりではない。九州新幹線の新鳥栖駅から武雄温泉駅間の新設区間は、今も敷設計画がまとまっていない状態で、博多駅〜武雄温泉駅間は特急「リレーかもめ」などの連絡列車の運行で対応する状況となっている。

 

西九州新幹線の建設が進まない理由としては、佐賀県の多くの人たちが新幹線を必要としていないからにほかならない。佐賀市に住む市民の多くが、長崎本線を走る特急列車や高速バスを使う。新幹線の建設では地元自治体が応分の負担を強いられることもあり、この先、建設を進められない状況が続きそうだ。

↑西九州新幹線の開業に合わせて新たに開業した嬉野温泉駅。温泉街までやや距離があるため、路線バスの利用が必要となる

 

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西九州新幹線の開業とともに、新たなD&S(デザイン&ストーリー)列車が登場した。「ふたつ星4047」と名付けられた観光列車で、武雄温泉駅から有明海沿いを走る長崎本線を通り長崎駅へ。長崎駅からは大村湾沿いを走り、ハウステンボス駅を経て武雄温泉へ戻る。海景色がきれいな路線を走るとあって、運転開始以来、観光客に人気の列車となっている。

 

ちなみに「ふたつ星」は、走る佐賀県と長崎県をふたつの「星」にたとえ、「4047」は列車の元になったキハ40形とキハ47形の形式名の数字の組み合わせと、凝った列車名となっている。

↑有明湾を背景に走る「ふたつ星4047」。長崎本線の同区間は電化が取りやめられ非電化区間となっている

 

【その6】只見線が11年ぶりに運転再開(10月1日)

西九州新幹線と並ぶ明るいニュースといえば、只見線の運転再開のニュースであろう。2011(平成23)年7月の豪雨災害の影響で、長年にわたり不通となっていた福島県の会津川口駅〜只見駅間の復旧工事が完了し、10月1日から運転が再開された。

 

不通区間に列車が走ったのは実に11年ぶりのことだった。会津川口駅〜只見駅間は只見川に架かる複数の鉄橋の崩落があって特に被害状況が深刻で、JR東日本も復旧工事を見合わせていた。2017(平成29)年に上下分離方式により只見線を復活させる話し合いがまとまり、ようやく工事が始められたのだった。上下分離方式とは、福島県が第三種鉄道事業者となって線路や施設を保有し、JR東日本が第二種鉄道事業者となって、列車の運行を行うというもの。線路の使用料は福島県に払うものの、赤字にならないように減免される。

↑豪雨被害を受け崩壊した第七只見川橋梁も復旧した。臨時快速「只見線満喫号」が橋上を走る

 

復旧した区間を走る列車は1日に3往復と少ないものの、当初は秋の行楽時期と重なり列車は予想を上回る利用客で賑わった。臨時観光列車を走らせたこともあり、沿線を訪れる観光客が増えた。

 

一方、只見地方は豪雪地帯でもあり、雪に閉ざされる冬期以降もブームが続くか気がかりである。とはいえ只見線の復旧が新たな観光需要を掘り起こし、観光客が絶えることなく訪れるようになれば、廃線が取りざたされる全国のローカル線の維持に一石を投じるかもしれない。只見線の今後に注目したいところである。

 

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↑只見駅9時7分着の下り列車が到着。ホームには多くの人が降り立った 10月15日撮影

 

【その7】鉄道150周年の記念列車も走った(10月14日)

今年は新橋駅〜横浜間に列車が走り始めて150周年にあたる。10月14日の記念日に合わせて記念切手や、記念硬貨、記念の交通系ICカードなどが発売されたのだが、筆者は盛り上がりをあまり感じなかった。鉄道ファン以外は意識しないままに記念日が過ぎ去ったように思う。

 

今から50年前、鉄道100周年だった1972(昭和47)年10月14日を少しふり返ると、まずC57形2号蒸気機関車が牽引する記念列車が汐留駅〜東横浜駅間を走って大きな話題を集めた。テープカットには当時の人気歌手も加わり、催しを盛り上げたほか、記念切手も販売され郵便局前に長蛇の列ができた。他の地域でもこうしたSL列車が運行され、それぞれが注目を浴びた。ちょうどSLが消えつつある時期と重なったことも大きかったのかもしれない。

↑旧新橋停車場の復元駅舎(右下)には、ここから線路が始まったとされる「0哩標識」がある。双頭レール呼ばれる線路も敷かれている

 

実は今年の記念日に、JR東日本の「鉄道開業150周年記念列車」号をはじめ、JRや複数の鉄道会社でこうした記念列車を走らせていたが、多くが注目されなかったようだ。ふだんから観光列車が全国を走っているだけに、鉄道150周年をうたっても、一部の鉄道ファンしか知らなかったということもあるだろう。むしろローカル線廃止問題のほうが注目を浴び、素直に喜べなかったのかもしれない。

 

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↑山手線を12月末まで走る予定の「黒い山手線」は、1号機関車をイメージしたラッピングで、正面に鉄道150周年のヘッドマークが付く

 

【その8】JR東海で目立った新車両の投入

ここからは、今年導入された新型車両、そして引退していった車両を見ていくことにしよう。JRグループが発足してから35年が経つ。国鉄時代に生まれた車両とともに、JR移行直後に導入された車両の引退が多くなり、それに合わせて新型車両の導入も増えている。新車両の導入に積極的なのがJR東海で、今年2タイプの新型車両を導入した。

 

◇JR東海315系電車 

3月5日に登場したのが315系で、中央本線の名古屋駅〜中津川駅間で営業運転が開始された。315系の車体はステンレス鋼製、先頭部分のみ鋼製となっている。カラーはJR東海のコーポレートカラーでもあるオレンジ色を正面と側面に大胆に入れたスタイルで、鮮やかさを印象づける。315系は352両が製造され、JR移行期前後に造られた211系、213系、そして311系の置き換えが図られる予定だ。

↑中央本線を走る315系。導入に合わせて211系0番台の引退と旧ホームライナー用313系が静岡地区へ移動が行われた

 

◇JR東海HC85系気動車

HC85系気動車は、JR東海が初めて導入したハイブリッド式特急形気動車で、既存のキハ85系特急形気動車の置き換え用に開発された。特急「ひだ」として走るキハ85系の一部列車を置き換える形で、7月1日から走り始めている。

 

車両の増備も進み12月1日からは当初の1日に6本から8本に増やされ、高山駅から富山駅まで走る列車にも使用されている。なお高山本線の北側、猪谷駅(いのたにえき)〜富山駅間はJR西日本が管理する区間となっていて、HC85系の初の他社への乗り入れとなった。

 

来年3月18日のダイヤ改正後には、特急「ひだ」の全列車がHC85系で運行されることが発表された。特急「ひだ」の下り25号と、上り36号は大阪駅まで走っており、岐阜駅〜大阪駅間でもHC85系の走行が始まることになる。

 

このようにJR東海は、新車両の導入スピードが迅速である。数年後には特急「南紀」もキハ85系からHC85系へ置換えが行われることになりそうだ。

↑東海道本線を走るHC85系特急「ひだ」。外装は「漆器の持つまろやかさや艶のある質感」をテーマにしている

 

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【その9】公営地下鉄の新車両の投入

今年は公営地下鉄の路線でも新型車両を導入する動きが目立った。まずは東京都交通局の新型車両から。

 

◇東京都交通局6500形電車

東京都交通局が都営三田線用に導入した6500形。既存の6300形以来、22年ぶりに導入される新車両となった。登場は5月14日、8両編成で東急目黒線への乗入れも行われている。

 

車両はアルミニウム合金を使用、ダブルスキン構造で、強度を高めるために「レーザー・MIGハイブリッド溶接」という技術を使って組み立てられている。カラーは正面が黒に路線のラインカラーでもある明るめの青色の縁取り、側面の窓部分にも同色のカラーが施された。

↑東急目黒線を走る6500形。正面が黒に青い縁取りでかなり目立つ。来年3月18日から東急新横浜線にも乗入れる予定だ

 

◇横浜市営地下鉄4000形電車

横浜市営地下鉄ブルーラインに導入された新型電車で、5月2日から走り始めている。ブルーラインを走る電車は4000形以外、みな3000形で、3000A形、3000N形、3000R形、3000S形、3000V形の5種類が使われてきた。このうち3000A形の置き換え用として新造されたのが4000形である。既存の3000形とは外観を大きく変更したこともあり、4000と数字を改めている。来年度までに8編成48両が導入の予定で、3000A形の置き換えが完了する。

↑地下鉄ブルーラインの新車4000形。正面に「4000DEBUT」とラッピングが施されて走り始めた

 

◇京都市交通局20系電車

京都市を南北に走る地下鉄烏丸線(からすません)の新型車両として、3月26日にデビューしたのが20系である。同線が開業した1981(昭和56)年から走り続ける10系初期型9編成の置き換え用として開発された。10系が平面的な正面デザインなのに対して、20系は「前面の造形に曲面を多用」「近未来的なイメージのデザイン」とされた。確かに10系に比べて柔らかい印象となった。

 

烏丸線の竹田駅からは近鉄京都線に乗入れ、京都府内だけでなく、奈良県内でも京都地下鉄の新しい車両を見かけるようになっている。

↑近鉄奈良線を走る烏丸線20系電車。近鉄奈良駅まで走る急行電車にも利用されている

 

【その10】国鉄形車両が徐々に姿を消していく

今年は一時代を彩った名車両の引退が目立った。やはりJRとなって35年という年月がたてば、それ以前に造られた車両の引退も仕方ないことなのだろう。まずは旅客用車両から見ていこう。

 

◇485系「リゾートやまどり」

485系電車といえば交直流特急形電車として一世を風靡した名車両である。走り始めたのは1964(昭和39)年12月25日とかなり古い。当初は東海道本線を走った特急「こだま」と同じくボンネット型の車両として登場し、交流50Hz/60Hz対応の485系以外にも、交流60Hz対応の481系、50Hz対応の483系、信越本線の横川〜軽井沢間でEF63形電気機関車と協調運転が可能な489系も登場し、全国の路線で活躍し続けてきた。

 

近年は485系で運用される特急列車が次々に姿を消し、残るのはジョイフルトレインとして改造されたJR東日本の485系のみとなっていた。今年の10月30日にジョイフルトレインの「華」が運行終了、最後の一編成となっていた「リゾートやまどり」が12月11日で運行が終了し、引退。これで485系は形式自体が消滅することになった。

 

485系の引退で、残る国鉄形特急電車は岡山駅〜出雲市駅を結ぶ381系特急「やくも」のみとなった。同列車も273系という新車両が2024年春以降に導入とのことで、国鉄形特急電車の終焉がいよいよ近づいてきた。

↑2011(平成23)年にジョイフルトレインとして改造された「リゾートやまどり」。群馬地区を中心に走り続けてきたが引退となった

 

◇JR東日本115系電車

国鉄が1963(昭和38)年1月に近郊用電車として投入した115系電車。111系をベースに電動機を強化し、勾配区間などの運転に対応した形式だった。今年引退したのはJR東日本の115系のみで、最近まで群馬地区、中央本線などの主力車両だったが、次々に廃車になり、新潟県内の越後線、弥彦線などでの運用となっていた。新潟地区の115系も今年の3月11日をもって定期運用から離脱した。

↑定期運用最終日まで走った湘南色の115系N38編成。同編成は、信越本線からえちごトキめき鉄道乗入れ列車として運用された

 

ちなみに115系はJR西日本に多く残存していて、岡山県や山口県などを走り続けている。JR西日本では国鉄時代に生まれた近郊形電車がまだ多く残っているが、まず岡山地区に新型車両227系が導入されることが発表された。この流れに合わせて岡山地区に残る115系、そして113系、117系が引退していくことになりそうだ。

 

◇東京地下鉄(東京メトロ)7000系電車

1974(昭和49)年の有楽町線開業に合わせて登場したのが、東京メトロ7000系だった。千代田線用に造られた6000系が、当時の帝都高速度交通営団(東京メトロの前身)の標準車両とされたことから、スタイルや装備も6000系とほぼ同じ仕様で造られた。前面が平面的なスタイルで、前面非常口にガラス窓がない個性的な姿で親しまれてきた。

 

1989(平成元)年までに34編成340両と大量の車両が製造されたが、製造から30年以上の年月がたち、10000系、17000系が新造されたことから、今年の4月で営業運転終了となった。同じスタイルの車両で残るのは半蔵門線の8000系のみとなっている。2018(平成30)年に引退した千代田線6000系の「さよなら列車」が混乱を招いた苦い経験から、運転終了日が公表されず静かに消えていったのが残念なところである。

↑7000系は有楽町線・副都心線のほか西武池袋線や東武東上線、東急東横線と乗入れ路線が多く、首都圏ではなじみの電車だった

 

最後に貨物用機関車で今年引退した車両について触れておこう。

 

◇EF66形式基本番台 直流電気機関車

EF66形式基本番台は、国鉄が1968(昭和43)年から1974(昭和49)年まで製造した直流電気機関車で、貨物列車だけでなく、ブルートレイン寝台列車を牽いた機関車として長年、活躍してきた。高性能に加えて汎用性の高さからJR移行後もJR貨物によって100番台が33両増備されている。今年、消えていったのは基本番台で、製造された55両中の残り1両となっていた。

 

最後の車両はEF66の27号機で、鉄道ファンからは「ニーナ」という愛称で親しまれてきた。製造されたのは1973(昭和48)年、49年間走り続けてきた車両で、地球を約230周分にあたる距離を走ったとされる。最後の本線運用は7月31日で、10月に検査切れとなり正式に引退となった。

↑武蔵野線でコンテナ列車を牽くEF66-27号機。49年にわたり活躍してきた古参だが最後まで力強い姿が見られた 2月17日撮影

 

◇EF67形式電気機関車

EF67形式と聞いても一部の鉄道ファン以外はぴんとこないかもしれない。非常に限られた区間しか走らなかった機関車だった。山陽本線の広島地区には、通称「瀬野八(せのはち)」の22.6パーミルという上り急勾配区間がある。1200トン以上の重量の貨車をつないだ貨物列車にとって、この勾配は1両の機関車のみでの牽引は難しく、古くから後ろに補機を連結し、押してもらって勾配をクリアしてきた。

 

この後押し用の機関車として生まれたのがEF67形式だった。1982(昭和57)年に導入された基本番台と、1990(平成2)年に導入された100番台が使われた。その後にEF210形式300番台が同区間の補機用に開発され、また列車の牽引も可能なことから増備が進み、EF67は徐々に引退となり105号機のみが残っていた。この最後の1両も2月13日で定期運用を離脱し、この形式が消滅となった。国鉄形機関車は毎年のように減り続けている。あと数年で消滅ということになるのかもしれない。

↑「瀬野八」の上り貨物列車の後押しを行ったEF67形式。100番台はEF65形式を改造したもので5両が製造された
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