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2023/6/14 21:30

特殊設定ミステリから海外文学の名作まで—— 歴史小説家が「ある基準」でオススメする「歴史時代小説」の5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「歴史小説」。ただし、①歴史時代小説家ではない作家による、②広義の歴史時代小説、という条件が。普段「歴史時代小説」を敬遠している人にもオススメできる5冊を参考にして、あなたも新しい読書の扉を開けてみませんか?

 

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この書評に目を通してくださっている多くの方はご存じないでしょうが、と予防線を張りつつ申し上げるのだが、わたしは歴史時代小説家である。

 

歴史時代小説は、大衆文芸の母胎の一つとなった伝統ある小説ジャンルである。歴史小説は現代でこそ退潮傾向にあるものの、多くの書店さんに置かれている書き下ろし時代小説の棚は今でも隆盛を誇り、読書界を賑わしている。

 

とはいえ、よく他のジャンルの本をお読みの方から、「どの作品から歴史時代小説に手を出せばいいか分からない」というお問い合わせを頂くことがある。ジャンル小説の常で、なんとなく敷居が高そうに見えてしまうのだろう。

 

歴史時代小説の定義を煎じ詰めると「過去を舞台にした小説」でしかなく、インサイダーであるわたしなどはそんなに構えなくてもいいのに……と思ってしまうのだが、ジャンルの壁は分厚く高いのは間違いがなかろう。かくいうわたしだって、不案内なジャンルについては先達が欲しくなるところである。というわけで、今回はいつもと趣向を変え、①歴史時代小説家ではない作家による、②広義の歴史時代小説、を取り上げようと思う。

 

<昭和>と<現代>を往き来しながら紡がれる「女性」たちの物語

まず、ご紹介するのは『世はすべて美しい織物』(成田名璃子・著/新潮社・刊)である。桐生の養蚕農家の娘として生まれた芳乃と、東京でトリマーとして働く詩織、二人の一見すると無関係にも見える物語が並列されるこの物語は、昭和初期と現代を視点が行き来する中で、二つの時代それぞれの女性の戦い、二人の願いがやがて一つの糸に縒られていくところに読みどころがある。

 

過去パートで描かれる願いが現代パートにも影響を及ぼす仕掛けとなっていながら、本書は現代パートにすべてを背負わせることをしない。過去に過去の生活があったように、現代にも現代の生活がある。そんなシビアな現実を描きつつも、大事な何かが過去パートから現代パートに受け渡されていくラストは必見である。

 

かつて、E・H・カーという歴史家が歴史について「過去と現在の対話」と言った。本書もまた「過去と現在の対話」によって構成された、広義の歴史時代小説なのである。

 

ミステリファン必見! 江戸を舞台にした「特殊設定ミステリ」

次にご紹介するのは『煮売屋なびきの謎解き仕度』(汀こるもの・著/角川春樹事務所・刊)シリーズである。ミステリ作家を多数輩出しているメフィスト賞出身作家によるこの作品は、江戸の煮売り屋を切り盛りする十四歳の女将、なびきを主人公に据えた時代小説である。

 

そう書くと、時代小説にお詳しい方は、最近流行の「ごはんもの×人情小説」か、と早合点なさることだろう。2023年現在、食べ物をモチーフに、人と人の縁を描き出す人情作品が人気で、数多の人気シリーズがあるのである。しかし、本書はそういった作品とは一線を画している。なんと本作は、なびきやその周囲を探偵役にしたミステリーなのである。

 

本書で描かれる事件や謎はごくごく些細な、小首を傾げてしまうような性質のもので、謎の真相も江戸時代ならではの事象が深く絡んでいる。本作は、江戸を舞台にした特殊設定ミステリ(その名の通り、特殊な設定下で展開されるミステリのこと)として構築されている節があるのである。そのため、本書は普段ミステリを読んでおられる方が時代小説に手を出すに当たり、これ以上ない水先案内人を務めてくれるだろう作品なのである。現在二巻と書き下ろし時代小説としても手を出しやすい。その点においてもおすすめの一冊である。

 

男の供述から浮かび上がるファシスト政権下における時代の閉塞感

次にご紹介するのは、『供述によるとペレイラは…』 (アントニオ・タブッキ・著、 須賀敦子・訳/白水社・刊)である。ファシズムの嵐がじりじり近づくポルトガル、リスボンの小さな新聞社で働く中年記者ペレイラを主人公にした小説である。

 

本書は始終、ペレイラの供述により本文が形成された事実が示唆され続ける。しかし、読み始めの段階では、なぜペレイラが供述を受けるような立場に陥っているのか、読者には伏せられている。ペレイラは毒にも薬にもならないはずの文芸欄を担当している新聞記者だからであり、プライベートも寂しく、本書の記述によれば、心身共に健康そうではない。かつては社会部の記者だったようだが、劇中年間においてはのんびりと働いているように見受けられる人物なのである。

 

こんな人物がなぜ?−−この「なぜ」に突き動かされるようにページを繰るうちに、ペレイラの直面する人々、時代、そして閉塞感が浮き彫りになっていく。次々に失われていく日常の中で、ペレイラは何を選び取り、供述を取られる立場となってしまうのか。それは、本書を読んでご確認いただきたい。いつも海外文学、海外文芸をお読みの方に。

 

王妃と市井の女性、複眼的視点で描かれる日本の植民地支配

次にご紹介するのは 『李の花は散っても』(深沢潮・著/朝日新聞出版・刊)である。戦前期、朝鮮王家に嫁いだ梨本宮方子(のちの李方子王妃)を主人公に置いた歴史小説である。李王朝家の王太子妃、王妃としての視座から、日本の朝鮮併合史、戦後史を描き出し、日本の植民地支配という歴史を間近に描き出している。

 

また本書がユニークなのは、方子の視点の他に、諸般の事情から朝鮮に渡り、朝鮮人として生きねばならなかったマサという女性の視点が存在することである。このマサの視点によって、上流階級の物語である方子の物語を相対化し、当時の時代相を多面的に再構築し、読者に提示することに成功している。このまったく境遇の違う二人の人生がどのようにリンクしていくのか――。歴史小説においてもっとも大事な「歴史へのパース感」を損なうことなく、いや、それどころか増幅させつつ、小説としての雅趣、面白みに寄与する視点構築を果たしていると言えよう。

 

架空の町を舞台にしながらも歴史の趨勢を見事に描いた「歴史小説」

最後にご紹介するのは『地図と拳』(小川哲・著/集英社・刊)である。直木賞受賞作であるから既にお読みの方もおられるだろうが、この選書テーマにあっては是非とも紹介したい一冊であるため、あえて紹介する。

 

本作は中国東北部(当時の言葉に直せば満洲)の架空の町を舞台にした年代記である。寒村に過ぎなかった地が開け、帝国主義の波に巻き込まれ、急ピッチで姿を変えていく町を活写しつつ、その町に生きる人々の群像を描く本作は、「歴史時代小説」という軸から眺めた際、史実が物語に深く関わる「歴史小説」なのか、それとも過去を舞台にした架空の物語である「時代小説」なのか、判断に困る作品でもある。

 

わたしの見解を申し上げるなら、架空の町、架空の物語が展開されていつつも、本作の銃口はあくまで「帝国主義」ひいては「近代」に向いており、架空の存在を書くことで歴史の趨勢を描き出そうという野心に満ちていることから、歴史小説として紹介しておきたい。見事な歴史小説である。

 

わたしは、一応歴史時代小説のインサイダーである。インサイダーというのは往々にして厄介ファン、厄介作者になりがちである。そして「これは歴史時代小説ではない」とジャンルの純粋性を叫び、煙たがれるのである。もちろん、そういう風な老害ムーブをぶちかましたい時もなきにしもあらずだが、それでも、歴史時代小説というジャンルの外側から新たな書き手がやってくるということは、それだけ斯界に求心力があり、面白いジャンルなのだと思われているのだ、とも言える。

 

これだけ歴史時代小説のアウトサイダーたちが面白いものを書いておられるのだ。インサイダーの端くれであるわたしも、もっと面白いものを書かねば。今回ご紹介した書籍を拝読しつつ、わたしはそう決意を新たにしたのである。

 

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【プロフィール】

谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新刊は『ええじゃないか』(中央公論新社)