毎日X(Twitter)で読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「青春」。全力真っ只中か、はたまた遠い日の追憶か。それぞれに「青春」との距離感はありますが、谷津さんの選んだ5冊を読んで、「アオハル」な体験をしてみませんか?
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気づけば37歳になってしまい、慄然としている。
十年ほど前、40歳くらいの方が「大人になると、精神年齢は20くらいのままで止まる」と言っていたのを聞き、そんなわけあるかと鼻で笑っていた当時27のわたしだったが、いざ四十手前に至ってみると、確かに自分も20歳くらいの感覚で生きていることに気づく。とはいえ、最近白髪も増えてきたし、以前ほど無理も利かない体になってきた。人は体から老いていく生き物なのだなあとぼやく今日この頃である。
なぜかこの選書、いつも悲しい書き出しで始まっている気がするが、気にしないでほしい。
というわけで、もはやわたしにとっては遠い彼方になりつつある、「青春」が今回の選書テーマである。なにとぞお付き合いいただきたい。
主人公の成長と、その父のやり直しの物語で、2度美味しい王道青春小説
まずご紹介するのは、『14歳の水平線』(椰月美智子・著/双葉社・刊)である。親の離婚に伴い父、征人についていった加奈太だったが、親に相談せずサッカー部を辞め、反抗期まっしぐらの14歳となっていた。そんな加奈太は夏休み、征人の故郷の島へ帰省し、中二男子限定のキャンプに参加することになる。そして、この経験の中で、少しずつ加奈太は変化していく――、そんな枠組みを持った、王道青春小説である。
しかし、加奈太の青春小説という視座から眺めると、本作には異物が挿入されていることに気づく。父、征人の物語である。児童文学者の征人は、色々あって妻に愛想を尽かされ、息子との距離感を摑み損ねていたが、故郷に身を置く中で自らを省みるようになる。その過程で、征人の青春時代の光景も語られていくのである。加奈太の成長と、征人のやり直しの物語が同時に展開されることで、本書は「青春小説」という枠組みを有しながらそれ以上の広がりを持ち、異物の存在がまるでスイカにかける塩のように働き、青春小説の甘みを引き立てているのである。
加奈太の14歳の気づき、そして、征人の大人になってからの気づき。人はいつからでも変わることができる。読者の背中をぽんと押してくれる、優れた青春小説であると言えよう。
昭和初期を舞台にした、優しさが広がる青春物語
次にご紹介するのは漫画から。『うちのちいさな女中さん 』 (長田佳奈・著/コアミックス・刊) である。時は昭和初期、翻訳家として働く蓮実令子の元に、14歳の女の子、野中ハナが女中としてやってくる。女中としては完璧ながら四角四面なところがあるハナと、穏やかな性格で朗らかながら時に翳を背負った令子の心の交歓が主題となった昭和日常系漫画である。
本作の魅力で最初に挙げるべきは、なんといっても緻密な考証に裏打ちされた日常描写だろう。昭和初期のモダンな生活空間の中で働く女中の日常が、丁寧に切り取られている。また、ハナが田舎から出てきたという設定のために、東京の新しい文物にいちいち戸惑ったり驚いたりしているのもよい。
しかし、本書最大の魅力は、ハナの青春物語だということだろう。女中であるハナは、女中として完璧であるがために自分のために時間を使おうとしない。雇い主である令子はそれを汲み、ハナにできうる限りの青春を与えようとしている。そんなふたりの関係がじんわりと行間に滲み、優しい世界が読者の眼前に立ち現れている。少なくとも単行本掲載分では令子の過去がすべてつまびらかになっていない(この書き方をしているのはわたしが単行本派のため)のだが、もしかして令子にも過酷な青春があったのだろうか、そんなことを想像しながら読むのも楽しい。
「僕」から見えてくる、松下村塾の青春とは?
次にご紹介するのは新書から。『自称詞〈僕〉の歴史』 (友田健太郎・著/河出書房新社)である。皆さんは、「僕」という自称詞をお使いだろうか。わたしは書き言葉の場面での自称詞こそ「わたし」だが、日常の、やや改まった場では「僕」を用いている。男性にとっては割とポピュラーだろうし、一部の女性にとっても身近な自称詞といえる「僕」の歴史をつまびらかにしたのが本書である。
「僕」という自称詞がどこで生まれ、どのように日本語圏内で受け入れられ広がっていったのか。そしてその中で、どういう文脈を獲得、喪失しながら現代にまで至ったのかを総覧する本書には、かなりの読み応えがある。そんな本書の中でも特に紙幅が割かれているのは、自称詞「僕」を好んで使っていたとされる吉田松陰とその弟子たちについてである。吉田松陰が「僕」にある種の思想的な意味を付与し、弟子たちがその思想をどのように受け止めていったのかを「僕」の自称詞から描き出していくプロセスは、そのまま師匠と弟子の青春を描き出しているとも言えるのである。
大人世代と青春世代の調和/不調和を描く傑作漫画の新シリーズ
次にご紹介するのは漫画から。『るろうに剣心─明治剣客浪漫譚・北海道編』 (和月伸宏・著/集英社・刊)である。当時の子どもたちの人気をさらったジャンプ漫画の続編で、北海道の水面下で繰り広げられる〝大乱〟に、不殺を誓った伝説の人斬り緋村剣心を始めとした本作の人気キャラたちが挑むという筋書きの物語である。
わたしにとっては青春ど真ん中でぶち当たり、それこそ人生を変えてしまったとすら言える漫画(『るろうに剣心』のおかげで歴史小説を書いているといっても過言ではない)なのだが、これを理由に今回選書したわけではない。
本作は、主人公である剣心、人気キャラの斉藤一など、幕末をくぐり抜けた猛者たちが登場するのだが、彼らには意識的に「老い」の影が付与されている。本作の随所には、彼ら幕末組の思想や正義、あり方を相対化し、疑問符を投げかけるような展開がそこかしこで用意されている。
その一方で、旧時代の悪弊に引きずられながらも新しい時代を夢見る少年少女、長谷川明日郎、井上阿爛、久保田旭が剣心のパーティに加わっており、剣心たちの意のままにならない不安定な存在として、時に事態を打開し、ときに事態を混迷化させていく。実は本作は、大人世代と青春世代の調和/不調和を描いた作品であるとも言えるのである。
「青春との決別の仕方」を描く反青春小説
最後にご紹介するのは小説から。『青春をクビになって』 (額賀澪・著/文藝春秋・刊)である。35歳の若手万葉集研究ポストドクター、瀬川は、ある日、大学から非常勤講師の雇い止めを宣告される。そんな折、瀬川と似たような立場だった先輩研究者が、貴重な資料を持ったまま行方不明になる。先輩の足跡を探す瀬川は、自分の生活を立てるため、ひょんなことから紹介された人材派遣アルバイトに勤しむことになる……というのが本書の導入である。
既に降りている立場だからこそ言えるが、青春は呪いである。キラキラしなければならない。夢を持たねばならない。夢を叶えなくてはならない。あわよくば恋をしなければならない。誰でもない自分にならなければならない……そんな圧力に満ちている。いや、その真っ只中にいるときはなんだか凄く楽しい。だが、そんな楽しさに幻惑されてずっと青春という板の上に乗っているうちに、自分の大事にしていたはずのものが腐れ落ち、自分の足を縛る枷になっている……。
本書の著者は数々の青春小説を世に問うてきた青春小説家である。だからこそ、青春の持つ磁力をよくご存じなのだろう。本書は、「青春との決別の仕方」を描いた反青春小説でありつつ、青春の終わりを描いた青春小説なのである。
青春っていいよね、と思う。
あの、ハイウェイを時速百キロで飛ばしていくあの感じは、たぶん一生わたしの元にはやってこない。
わたしの目の前にあるのは、舗装すらされていない砂利道である。ゴトゴトと揺れながら、日々、少しずつ前進している。まあ別にそれはそれで楽しいから満足はしているのだけど、時折、ハイウェイを飛ばしていたころの自分を思い返したい日もある。
そういう日のために、きっと青春をモチーフにした本があるのだろう。というわけで、わたしは今の生活にちょっと疲れたら、青春の本を読むようにしている。
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【プロフィール】
谷津矢車(やつ・やぐるま)
1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新刊は『ぼっけもん 最後の軍師 伊地知正治』(幻冬舎)