キリンのクラフトビール「SPRING VALLEY(スプリングバレー)」から、ブランド3本目の柱となる「SPRING VALLEY JAPAN ALE<香>」が、10月24日に全国発売されました。特徴のひとつは、同社が品種開発した2種の日本産ホップ「MURAKAMI SEVEN(ムラカミセブン)」と「IBUKI(イブキ)」を一部使用していること。
GetNavi webは今回、この立役者となる重要人物にインタビューする機会に恵まれました。
長年、この2種をはじめとするホップの研究に心血を注ぎ、日本を代表するホップ博士として有名な、同社OBの村上敦司(むらかみあつし)さんです。第一線は退いたものの、村上さんはいまもキリンホールディングス飲料未来研究所の技術アドバイザーとしてホップ業界に携わり、週末はジャズ喫茶「BrewNote遠野」のマスターとして充実した日々を過ごしています。
ビールにおけるホップの存在感が年々高まるなか、今回は「BrewNote遠野」を訪れ、村上さんにインタビュー。なぜ近年ホップが注目されているのか、村上さんの名を冠した「ムラカミセブン」や「イブキ」はどのように生まれたのか、日本におけるホップの歴史などについて伺いました。
ビールの多様化がホップへの熱狂を生み出した
村上さんは、岩手県紫波郡紫波町出身。岩手大学農学部農学研究科修了後、1988年にキリンビールに入社し、1996年までは植物開発研究所(当時)でホップの品質改良に従事。その後、酒類技術研究所に異動し、ホップに焦点を当てた商品開発にも携わるようになります。
そんな村上さんにまず聞きたかったのは、なぜホップなのか? ということ。そもそも、ビールには麦も欠かせない主原料です。なぜビールに関しては、ホップがやたらとクローズアップされるのでしょうか?
「もちろん麦も大事です。でも、ホップは苦みや香りを大きく左右しますし、味の多様性に関しては麦以上に振り幅が大きいんですよ。そのうえホップは麦より種類が多く、新品種がどんどん生み出されています。種類が多ければ多いほど組み合わせも増え、未知なる味の可能性も広がりますよね。だからホップのほうが注目されやすいのだと思います」(村上さん)
期待されて入社したと思っていたのに空回り
では、村上さんはどのような経緯でキリンビールに入社したのでしょうか?
「のちに私の師匠にあたる方が、残り4年でキリンビールを定年退職することになっていたんですね。同時に後継者候補を探しているということで、私が通っていた岩手大学に声がかかり、その縁で採用してもらったのがきっかけです」(村上さん)
大学では植物育種学を専攻していた村上さん。「ホップはまだ誰もやったことがない領域もあるし、これは品種研究の余地があるぞ!」と、ワクワクしながら取り組み始めたものの、入社した1988年は、やっと海の向こうでブルックリン・ブルワリー(米国NYを代表するクラフトブルワリーで、ブームの火付け役に数えられる一社)が産声を上げた時期。
35年前の日本におけるホップは、風味付け以前に「苦味の付与に必要なもの」といった認識しかされていなかったそうです。加えて、ホップを取り巻く環境は受難の時代を迎えていました。村上さんは、その歴史を次のように話します。
「日本では昭和30(1955)年代から国産ホップが急激に普及していきました。一番の理由は為替ですね。輸入ホップが高額だったため、大手ビール各社が日本産ホップを作り始めたんです。加えて高度経済成長とともにビールの消費量も伸びて好循環だったんですけど、昭和40年代からは為替が変わり始めちゃって。さらに昭和50年代になると、むしろ国産が高価になって減反政策に転じていきました。
期待されて入社したと思っていたんですが、実はそうでもなかったんです。輸入ホップのほうが安くて品質も変わらなければ、それに越したことはないですから。私も、より香り高くて生産者さんが収穫しやすいホップに、と品種改良を重ねたんですけど、海外からも良質な品種が続々出てくるんですよ。国際競争力ではなかなか勝機が見出せず、シビアでしたね」(村上さん)
フレッシュホップがもたらしたパラダイムシフト
1996年には、研究対象を農作物(植物開発研究所)から醸造(酒類技術研究所)へと移した村上さん。転機となったのは1999年、実験で造った“生ホップ”のビールが放つ香りでした。
「それはまさに、フレッシュなホップの芳醇な香り。生で使う手法は海外のビールマニアが自家栽培で試していたという噂は聞いていましたが、決して美味しいという話ではなかったと思います。また、ビール醸造の最高学府のひとつである、ドイツ・ミュンヘン工科大学の研究でもフレッシュホップビールのレポートがありましたが、美味しくないという結論だったようなんですね。でも、私が造ったビールは手前味噌ながら美味しくて、香りの善し悪しは品種によるんだなと実感しました」(村上さん)
一方、社内では「ホップ臭が強すぎるのでは?」「いや、このホップ香は魅力だ!」と賛否両論。それでも「村上が面白いビールを造ったらしい」という噂は賛同者を増やすことに。そして、当社は難しいと思われていた大量生産のハードルも、仲間の協力でどんどん下がっていったとか。
「たとえば、原料調達部がホップ収穫用の巨大なカゴを一生懸命探してくれたり、ホップを凍結粉砕してくれるパートナーを見つけてきてくれたり。工場のメンバーもやる気満々でしたね。特に通常のホップ添加は機械で行うのですが、生のホップは水分が多いので、手作業で巨大な煮沸釜の麦汁に投入しなきゃならないんです。そこは手作業の経験が豊富なベテラン勢が『任せろ!』と中心になって、好意的に取り組んでくれました。とにかく関係者が一丸になって、商品化を阻む課題を一つひとつクリアしてくれて。そうして2002年に発売されたのが『キリン 毱花一番搾り』です」(村上さん)
「キリン 毱花一番搾り」のときから、フレッシュホップには遠野産が用いられています。その理由は設備的な環境にあります。東北では秋田の横手などもホップの一大産地ですが、一か所に集めて処理できる大型施設があるのは遠野だけ。フレッシュホップは鮮度が命なだけに、収穫や配送の拠点が点在していては非効率なため、遠野が最も適していたのです。
収穫時の鮮烈な香りを閉じ込めた「キリン 毱花一番搾り」は大ヒット。2004年からは「一番搾り とれたてホップ生ビール」と名称を変えて、毎年期間限定発売されるように。同時に、この成功事例は社内外に日本産ホップの可能性を知らしめていくきっかけとなりました。
「たとえば、麦芽をたっぷり使った『キリン秋味』とはまた違う価値ですよね。しかも、それまで主役になることがなかった日本産ホップの、さらには生という新奇性。なおかつ遠野という地域性を前面に出すという。いまでは珍しくありませんが、ホップで稀少性とテロワールをうたう、新しい価値の打ち出し方だったんです。また、生のホップを使う手法は海外でも面白がってもらえました」(村上さん)
フレッシュホップを使ったビールが商品化された噂は、やがて海外に伝播。あるとき村上さんは、ドイツの醸造家から「少量のホームブリューイングならまだしも、大量に造って販売するなんて、キリンはクレイジーだね!」と言われたとか。
「キリンのなかでも『とれたてホップ』の取り組みがひとつの転換点になったと思いますし、ホップ研究が見直されたきっかけともいえるでしょう。そのあと日本でも少しずつクラフトビールが浸透していって、ホップの重要性も徐々に知られるようになりましたよね。一方で、アメリカをはじめとする海外ではホップ栽培がどんどん盛んになって、品種の数も増えていきました。いまや世界に300種以上もありますから」(村上さん)
博士の秘蔵っ子「ムラカミセブン」のデビュー秘話
村上さんが「とれたてホップ」の可能性に気付いてから「キリン 毱花一番搾り」が誕生するまでの間には、もうひとつ大きなティッピングポイントがありました。それが2000年、農学博士号を取得した論文「ホップの品質改良と品種分化に関する育種学的基礎研究」です。そしてこの研究成果が、のちの「ムラカミセブン」誕生へとつながっていくことになるのです。
「1991年から基礎研究の材料として交配させ、保存していた品種があったんですけど、2000年ごろになると、ホップを管理していた方が高齢のため引退すると。危うく廃棄寸前だったんですけど、ならばと約900あった個体から20種類だけ選別しました。学術的におかしくならないようランダムに抜き取って、それを遠野の隣町にある、キリンが管轄する岩手ホップ管理センターの裏庭に移し替えてね。そしたら、1本目の畝(うね)の7番目にすごく個性的な子がいたんです!」(村上さん)
村上さんがその個体を見つけたのは2006年のこと。放つ香りはいちじくやみかんのような、和のニュアンスを漂わせる印象的な果実感。ただ、日本産ホップの生産者が年々減ってくなか、新品種を積極的に開発することは難しいと思い、商品化までは考えていませんでした。
しかし、2011年に起きた東日本大震災を期に、村上さんが考えた故郷への恩返しが、「とれたてホップ」に続く新品種の商品化でした。当時、醸造研究所の副所長であり、現在はマスターブリュワーとして活躍する田山智広さんに相談したところ「ぜひやろう!」と即決。増産が始まりました。
「ムラカミセブン」の「ムラカミ」は、村上さんの苗字から。「セブン」は7番目の個体だったことから、スプリングバレーブルワリー初代社長の和田 徹さんが命名しました。村上さんは「恥ずかしいから別の名前にしません?」と言ったそうですが、「みんなリスペクトしてるんだからさ」となだめられてしぶしぶ納得したそうです。ホップの株はすぐに増えないため約5年の歳月がかかりましたが、2016年に実を結び「MURAKAMI SEVEN Fresh Hop 2016」としてデビューとなりました。
独自の香りが魅力の「ムラカミセブン」ですが、優位性はほかにもあります。それは、少しでも生産者さんの負担を減らしたいという想いから村上さんが研究を重ねていた、収穫のしやすさ。「蔓下げ(つるさげ)」の必要がなく、省労力で単位面積当たりの収穫量が多いという利点があり、日本産ホップのスター品種としても期待されています。
ホップ、ステップ、スウィンギング!
キリン時代は勤務地だった横浜に長年住んでいた村上さんでしたが、定年退職を機に地元の岩手へ戻りジャズ喫茶を開業。学生時代はジャズ系のサークルではなく岩手大学合唱団で活躍していたそうですが、音楽はジャズに傾倒。じつは、岩手県は知る人ぞ知るジャズ喫茶の聖地。一関の「ベイシー」を知らないジャズファンはいないでしょう。
「『ベイシー』はいまちょっとお休み中ですけど、最初に行ったときの感動は忘れられません。やっぱり憧れですね。私自身も若いころからジャズのレコードやCDを少しずつ集めていって、気が付いたら数千枚の量になっていました。アンプやスピーカーも、元々持っていたサウンドシステムをこの店に設置しましたから、自分の部屋が引っ越してきたような感じです」(村上さん)
昔から、「たくさんのレコードや貴重な機材は、浪費じゃなく投資だから」と周囲によく言っていたと村上さんは振り返ります。
「でもこの前後輩から『村上さんはいつかジャズが流れるお店をやりたいって話してましたもんね』って言われました。『ああそうだったっけ? じゃあ夢が叶ったんだなぁ』としみじみ思いましたね」(村上さん)
ホップ研究者として名を残し、ジャズ喫茶のマスターとしての夢を叶えた村上さんですが、まだまだやりたいことは尽きないと笑います。そのひとつが、ホップの名産地である遠野をいっそう盛り上げていくこと。
キリンは2015年から「ホップの里からビールの里へ」をスローガンとした遠野活性化の取り組みをスタートしましたが、村上さんはこの活動に協力しています。また、遠野ではさらなるホップの新品種が誕生しており、その開発にももちろん携わっています。地元のブルワリーでは試験醸造も始まっており、商品化もそう遠い話ではないでしょう。
遠野は有名観光地や郷土料理が多彩で旅行も楽しく、ふるさと納税の返礼品もビールを筆頭に充実しています。村上マスターに会いに行くもよし。ぜひ今度、訪れてみませんか?
【SHOP DATA】
BREW NOTE 遠野
住所:岩手県遠野市中央通り2-11
営業時間:11:00~18:00
休業日:月~金曜
アクセス:JR「遠野駅」徒歩6分
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