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歴史
2018/3/21 16:30

屏風の裏に潜む「魔」に魅せられる――屏風絵と狩野派の深遠なる世界

狩野永徳に痺れる人へ

狩野永徳は桃山時代に活躍した絵師です。祖父の狩野元信の指導のもと、幼い頃から画才を発揮して織田信長や豊臣秀吉に重用されました。安土城や聚楽第の障壁画を製作し、見事な作品を残した天才絵師だと言われていますが、残念なことにそれらは失われてしまいました。

けれども、災いを逃れ、生き延びた作品が、その圧倒的な表現を今に伝えています。日本美術史の上で、狩野永徳ほど天才の名を欲しいままにした人はいないのではないでしょうか?

 

素晴らしい屏風を観た後、私は狩野永徳のことを知りたくてたまらず、いくつかの研究書や小説を読みました。

 

洛中洛外画狂伝 狩野永徳』(谷津矢車・著/学研プラス・刊)は、狩野永徳の半生を描いた物語です。上下巻に別れた長い小説でしたが、面白くて、あっという間に読み終わりました。歴史的事実に裏打ちされた物語が目の前にあるスクリーンで上映されているようでした。

 

 

著者・谷津矢車が語る歴史にハマった理由

著者の谷津矢車は1986年生まれだといいます。ということは『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』を書いたとき、まだ27才だったことになります。その若さで、これほどの歴史小説を書くことができるとは!と、驚かないではいられません。

 

大学で歴史学を学んだとのことで、史料の扱い方をこころえているのでしょう。それになにより、昔語りが大好きなことが、作品に力を与えているのでしょう。

 

彼はインタビューで、「歴史にハマったきっかけ」について、以下のように述べています。

 

歴史にハマったきっかけを思い返すと、祖父母と一緒に見ていた「大岡越前」や「水戸黄門」が最初です。小学校3年生ぐらいで、池波正太郎の小説「鬼平犯科帳」にハマり、その後、いま映画化でも話題のマンガ『るろうに剣心』に5年生ぐらいで出会っています。そこで幕末に思いっきり入り込んでしまったんです。

 

思いっきり…。そう、思いっきり入り込むところに、著者の魅力があると思います。

 

 

物語の始まりは…

『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』は、その冒頭から不吉な波乱を暗示しています。物語は、まだ狩野永徳になる前、狩野家の若総領・狩野源四郎であった彼が、織田信長に出会うシーンから始まります。

 

天下人になるのに一番近い人物と言われる織田信長。その激しい気性によって「うつけ殿」と呼ばれた信長が、思わず「異形、よな」と、呟かないではいられなかったのが、この本の主人公・狩野源四郎です。

 

源四郎はその衣装からして異様です。右半身が白、左半身が黒の片身合わせでやってきたというのですから…。陰陽が交差し、まるで弔い装束ではありませんか。信長が怒りを覚えたのも当然でしょう。まして、その態度はふてぶてしく、謎に満ちています。

 

それだけではありません。屏風絵を献上する条件として、源四郎は長い長い物語を聞いて欲しいと、言い放つのですから、命知らずとしか言いようがありません。

 

しかし、そこは信長。「――聞いてやる。話してみい」と答え、源四郎の言葉に耳を傾けるのでした。

 

 

信長が聞いた物語

信長は約束通り、長い話をただ聞いてくれました。質問を浴びせることもなく、目を閉じたまま、言葉の流れるままを、ただ耳で追っていたといいます。

 

語り終えた後、源四郎も約束通り、まだ名前もついていない屏風を差し出します。
「金で縁取りされた京の町の六曲一双」が、それです。

 

この後、何が起こったか? については、言わぬが花でしょう。ただ、屏風には美しさ、残酷さ、そして、未来をも写し取る力があることを感じたことだけはご報告しておきたいと思います。

 

屏風にまつわる物語を、歴史の彼方から蘇らせ、表面からも裏面からも描ききったところに、『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』の魅力があると思います。

 

あなたも屏風の裏にもぐりこんで、物語を味わってみてはいかがでしょう。

 

【著書紹介】

 

洛中洛外画狂伝 狩野永徳

著者:谷津矢車
発行:学研プラス

その絵は、誰のために、何のために、描かれたのか? 狩野派の若き天才が挑んだのは、一筆の力で天下を狙う壮大な企てだった――。天才絵師・狩野永徳が「洛中洛外図屏風」完成に至るまでの苦悩と成長を描いた話題作文庫化。下巻に特別描き下ろし短編を収録。

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