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2018/4/12 16:30

『オトナの短篇シリーズ03「食」』――『注文の多い料理店』のシェフは、どんな料理を作るつもりだったのか?

グルメ漫画にすこし飽きたら、口直しに「グルメ文学」はいかがでしょうか。

 

グルメ文学アンソロジー『オトナの短篇シリーズ03「食」』(オトナの短篇編集部・企画編集/学研プラス・刊)から、坂口安吾・林芙美子・宮沢賢治の3作品を紹介します。

 

坂口安吾『餅のタタリ』


お雑煮の作り方は土地ごとに大そうな違いはあるが、お餅を食べ門松をたてて新春を祝うことだけは日本中変りがなかろうと誰しも思いがちである。

(『オトナの短篇シリーズ03「食」』から引用)

 

元の文章は、終戦の直後(昭和29年)に発表された『餅のタタリ』という小説です。古き日本の農村における「同調圧力」をテーマとして扱っています。

 

正月三が日なのに、お餅を食べずに「うどんを食べる」という村がありました。そんな村で、大晦日の夜おそくに鯉(こい)が盗まれる事件が発生します。

 

鯉ドロボウは逃がしたものの、ドロボウが落としたと思われる「餅」が現場に残っていました。それをもとに犯人探しが始まります。

 

 

食卓にまつわる同調圧力


「ですが、新年のお餅でしょうから、この村の人じゃアありませんね。村の者はこんな悪いことはしませんよ」
「なるほど、そうだ。この村の者は新年に餅なんぞ食いやしねえな。だが、まてよ。フム。泥棒は、わかったぞ。あの野郎ときまった。ふてえ野郎だ」

(『オトナの短篇シリーズ03「食」』から引用)

 

村には、餅好きの「助六」という人物がいました。餅を禁忌としている村のなかで、いつもひとりだけ餅を食っていたので、みんなから罰当たりもの、村の厄介者として扱われていました。

 

村の伝統を守らずに正月に餅を食べるのは「助六」だけでした。つまり、餅を落とした=鯉ドロボウという連想が働きます。「餅が好き」という理由だけで証拠が無いにもかかわらず、助六は鯉ドロボウの濡れ衣を着せられます。悪しき風習が生み出した「えん罪」です。

 

時代は変わっても、おなじことが繰り返されます。一家団欒の食卓にて、ひとりだけ「ふりかけ」を白飯かけて怒られた経験はないでしょうか?

 

「ふりかけ」で怒られないとしても、いつも和食の朝ごはんの家庭で、ひとりだけ「パン食」を選ぼうとしたら不穏な空気になる……そのような家庭は、いまでも多いのではないでしょうか。

 

芸術家たるもの、日本的な同調圧力に屈することはありません。ある偉大な小説家が愛した朝食メニューは、わたしたち日本人の常識にとらわれない自由奔放なものでした。

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