『テルマエ・ロマエ』を描いたヤマザキマリさんが、彼女の母であるリョウコさんについて書いたエッセイ『ヴィオラ母さん』(文藝春秋・刊)を出版した。そこには、彼女の才能と運を信じ、伸ばし続けたシングルマザーの壮絶な格闘があった。親は子どもの天職をどこで見抜くのか、そのことについて考えてみた。
飽きずにやり続けていること
この記事を書いている私もシングルマザーで、娘も絵が好きで美大を目指している。とても無口な彼女は、絵を描くことで自分の感情を吐き出す女の子だ。なので私は娘が小さいころからお絵描き教室に通わせた。バレエもフラダンスも恥ずかしがって長続きしなかった娘は、このお絵描きだけは全く飽きずにもう10年以上習い続けている。
偉大な漫画家となったヤマザキマリさんも、小さなころから何かを描き続けていたという。保育園児のころより「クレヨンなどの筆記用具を見つけては、テーブルの上だろうが床だろうが壁だろうがところ構わず、絵だか文字だかわからぬものを書き殴っていたらしい」(本文より)というから、凄まじいパワーである。こうした「子どもが飽きずにし続けていること」こそ、本人の天分なのではないだろうか。
世界を目指せること
私は娘が16歳の時にヨーロッパに行かせた。美術館を巡る学生のツアーで、案内の方もいたので安心してまかせられた。海外に一度も出たことがない私にとって、娘を遠い国に行かせるのはあまりにも心配なことだった。けれど、娘が美大を目指すと言いだしたので、本物を若いうちに見ておいたほうがいい気がしてならなかったのだ。
ヤマザキさんは、14歳の時に一人でヨーロッパを1か月旅した。フランスとドイツに住むリョウコさんの知人を訪ねたのだそうだ。それは中学3年の三者面談で彼女が「絵描きになりたい」と言ったしばらく後のことだったという。子どもが世界的に活動する可能性がある分野の場合、その分野の本場を直接見学させるのは、とても有意義だと思う。
しげしげと眺めているもの
私の娘は物心ついたころからずっと『パリの朝市ガイド』(稲葉由紀子・著/文化出版局・刊)という写真集がお気に入りだった。それには色とりどりの花を並べる花屋など、いかにもおしゃれなフランスという感じの画像もあったけれど、娘が何度も繰り返して眺めていたのは、積まれた豚足だった。「ブタさんの足」と言いながら、しげしげと見る。彼女は今でも足先にこだわりがあり兄の汚れたスニーカーをデッサンする日もあるほどだ。
ヤマザキさんは何を見るのが好きだったかというと、当時家庭で禁止されていた漫画本を読むことだった。お小遣いをはたいて漫画を買い、それを見つけたリョウコさんに捨てられるというエピソードも本に出てくる。子どもが繰り返し眺めているもの、そうしたものにこそ、将来とつながる大きなヒントが隠れているのだと思う。
才能を伸ばすということ
ひとり親家庭に育ったヤマザキさん。家計は決して楽なものではなかったという話も随所に出てくる。そんな中からリョウコさんは娘のヨーロッパ行きのお金を工面した。それは彼女に若いうちから本物を見せてあげたいという親心だったに違いない。
子どもの才能を見出した瞬間、親は子どもが自分とは異なる生き物であるということを悟り、それに敬意を払う。そしてリョウコさんのように伸ばそうとする親も多いだろう。
そして、ただ外国に放り出せばいいというものでもない。私の知人にも娘さんを小学生の時にフランスに1か月行かせたという人がいる。彼女は幼いなりに現地に順応し、フランス語の発音が上手になって帰ってきた。けれど友達がいるのでただ行かせただけで、お子さんがフランスに関心を持っていたわけでもなんでもない。果たして意味があったのかどうか今でも疑問だ。
子どもを注意深く観察し、その子に今必要なことを必要な量与える。そんなリョウコさんのような母親こそ、子どもの才能の翼を大きく広げ、世界に羽ばたかせていけるのだ。
【書籍紹介】
ヴィオラ母さん
著者:ヤマザキマリ
発行:文藝春秋
「生きることって結局は楽しいんだよ」。音楽と娘と自分の人生を真摯に愛する規格外な母リョウコのまるで朝ドラのような人生!
楽天koboで詳しく見る
楽天ブックスで詳しく見る
kindleストアで詳しく見る