高齢者にこそペットは必要なんだろうなと常々思ってきた。フランスで犬育てをしていた時代、ドッグランや森の散歩道で友だちになったのは、おじいちゃんやおばあちゃんとその飼い犬たちがほとんどだった。
ひとり暮らしの人が多く、愛犬だけが相棒だとみんな言っていた。犬がいるからこそ毎日外に出て、たくさん歩くから健康にもいい。犬たちにとっても一日中離れることなく飼い主と過ごせるわけで、どのワンコもとても幸せそうな笑顔をみせていた。聞くと引退してから犬を飼いたいと考えているフランス人はとても多いのだそうだ。
もちろん高齢になってからペットを飼い始めた場合、犬や猫の寿命も延びているから最後まで面倒をみることができるのか?という問題は残るわけだが……。
ペットと共に入居できる老人ホームがあった!
飼い主に介護の手が必要になったとき、飼い犬や飼い猫を手放すことなく一緒に引き受けてくれるホームがあれば、それがいちばんの幸せだ。それを実現したのが横須賀市にある特別養護老人ホーム「さくらの里山科」。
『看取り犬・文福の奇跡』(若山三千彦・著/東邦出版・刊)は、このホームを舞台に本当に起こっている奇跡のようなドラマを綴った一冊だ。
ここはショートステイ用も含め全120床があり、完全個室制・ユニット型になっている。1ユニットには居室10室とリビング、キッチン、3か所のトイレ、お風呂がある。10LDKのマンションと考えるとわかりやすいだろう。このうち犬と暮らせるユニット、猫と暮らせるのユニットがそれぞれ2つある。犬ユニット内、猫ユニット内では、犬も猫も行動自由で入居者のベッドにも好き勝手に入れるとのこと。また犬たちのためには庭にドッグランも設けられていて犬ユニットから直接出入りできるようになっているそうだ。
入居者の最期を予知し、寄り添う犬・文福
「さくらの里山科」では飼い主と共に入居して来る犬ばかりではなく保護犬も暮らしている。文福もその一匹。保健所で翌日には殺処分になる予定だったという、まさに死の直前で動物保護団体に救われホームにやってきた犬なのだ。柴犬系の雑種で推定年齢は9~10歳。この文福には不思議な能力があり、なんと入居者の死を予知し、看取りの行動をとるのだという。
ホームでは100名の入居者のうち、年間で30名ほどが逝去する。重度の状態で高齢者が入居してくる特別養護老人ホームではこれは標準的な数字だそうだ。
文福は入居者が亡くなる2~3日前になると、その部屋の外で扉にもたれかかるようにうな垂れ、悲しそうな表情で座るのとだという。普段は陽気で元気いっぱいにユニットを自由に動き回る文福が、看取り体制に入ると動かなくなる。自分で扉を開けることができるのにこの段階では居室には入らない。半日が経過し、介護職員が居室に入るとこの時は一緒に入り、ベッド脇に座り、入居者をひたすら見つめる。そして、そのまま見守りを続け入居者がひとりで旅立つことがないように側に寄り添うのだ。
翌日、文福はベッドに上がると、井上さんの顔を慈しむようになめた。井上さんの表情が緩む。ワンコユニットに入居を希望したのだから、井上さんも大の犬好きである。意識はなくても喜んでいるのだろう。そこから文福は、ぴたりと寄り添った。離れるのは、トイレやご飯のときだけで、ずっと寄り添い続けた。翌日、井上さんは穏やかに旅立たれた。文福は井上ヤスさんの最期を看取ったのだ。
(『看取り犬・文福の奇跡』から引用)
文福は他の入居者の逝去に際しても、まったく同じ行動をとっているそうだ。かつて人間に捨てられ、命を失いかけた文福が、このように高齢者の最期を見守るとは、なんとも感動的だ。犬はやはり人間にとって最高のパートナーなのだとしみじみ思う。
猫も家につくのではなく、人につく
私が最初にこの本を手にしたのは表紙のイラストに引きつけられたからだ。文福がにっこり笑っている絵はそれだけで人を幸せにしてくれる。さらに、驚いたことにイラストはプロによるものではなく、ホームの猫ユニットで暮らす後藤さんという女性入居者が描いたものだというのだ。本書には入居者と犬や猫の様子を描いた作品が何点かあり、どの絵もほのぼのとしてとても素敵だ。
犬も猫も大好きな後藤さんは捨てられる運命にあった子猫を保護し、祐介と名付けて暮らしていた。しかし後藤さんには持病があり、ある日倒れてしまった。祐介の尋常ではない叫び声に民生委員が家に駆け込み一命を取り留めることができたのだそうだ。
入院中は祐介と離れ離れだったが、のちに「さくらの里山科」に一緒に入居できることとなった。”犬は人につき、猫は家につく”と言われるがそれは間違いだそう、猫だって人につく。大好きなお母さんがいる場所、それが猫の祐介にとっても我が家となったのだ。絵を描いたり、手工芸を楽しむ後藤さんの居室は老人ホームの雰囲気はまるでなく、まるでひとりのアーティストのアトリエのようだという。
老春を楽しんでもらうために
老春とは、高齢者が青年のように若々しくしていること。「さくらの里山科」では、認知症が進んでいたり、あるいは末期がんで余命いくばくもない入居者に対しても、老春を楽しんでもらうためのさまざまなイベントや外出を計画し、実行している。
たとえば、ガンで余命3か月の宣告を受けていた伊藤さんは愛犬のポメラニアンのチロと一緒に入居。職員は伊藤さんに最後の春を謳歌してもらおうと、犬の散歩も可能な限りしてもらい、また遠出の外出行事にも出席してもらったのだそう。人間は楽しいと寿命が延びるのかもしれない。伊藤さんは入居から10か月も生きることができたそうだ。
「俺が死んだら、ここでチロの面倒をみてやってくれよ。ここがチロの家だからな」(中略)
「もちろんですよ。チロちゃんのことは、ここでずっとお世話しますから、安心してくださいね」
(『看取り犬・文福の奇跡』から引用)
伊藤さんが旅立ってから3年が経ち、チロは13歳の老犬になったが、今もホームで他の犬たちと元気に暮らしているそうだ。
愛する犬や猫と離れて暮らすことなど絶対にできない、そう思っている高齢者は大勢いるはずだ。今後、『さくらの里山科』のような老人ホームが日本全国にたくさんできることを願うばかりだ。
【書籍紹介】
看取り犬・文福の奇跡
著者:若山三千彦
発行:東邦出版
“愛”とは? “優しさ”とは? 最高の幸せは、犬・猫とともに。号泣必至、いま横須賀で本当に起きているペットと人の感動ドラマ。