本・書籍
2020/2/29 20:00

『僕の心のヤバイやつ』から『教育格差』まで――年1000冊の読書量を誇る作家が薦める「格差」を知る5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「格差」です。

 

【関連記事】
『あれよ星屑』から話題の『独ソ戦』まで――年1000冊の読書量を誇る作家が薦める「戦争」を知る5冊


わたしは中途で貧乏になってしまった家庭に育ったのだが、親の理解もあって大学を出ることができた。おかげでサラリーマン時代は地元優良企業に勤めることができたし、小説家となってからも(調べ物などの面で)非常に得をしている身分である。

 

と、今でこそそう思っているのだが、昔はそうではなかった。親からは「大学は出た方がよい」と聞かされ育ってきたから、世の中の親というものは「大学まで行ったほうがいいと口にするものなのだ」という前提がわたしの中にあったのである。そうした状況を指して、Twitterで知り合ったある友人が「谷津さんは学歴の面で恵まれていると思う。そもそもそういう選択肢すら提示されない人だっていますよ」と指摘してくださったのが、わたしの意識転換の始まりである。

 

すごくお恥ずかしい話をここでしたが、これが「格差」と呼ばれるものなのだ。

 

編集者から選書のテーマとして「格差」を挙げられた際、ちょっと後ろめたい思いにも駆られたのは正直な思いなのだが(結構最近まで格差の何たるかを分かっていなかったし、正直、今の自分が十全に理解できているかと言えば怪しい)、もしかしたらそんなわたしだからこそ、選書できる面もあるかもしれない。

 

ややシリアスな書き出しになってしまったが、今回のテーマは「格差」である。しばしお付き合いいただきたい。

 

 

スクールカーストを超えた奇跡の恋愛

まずは(シリアスな空気を和らげる意味でも)こちらをご紹介しよう。『僕の心のヤバイやつ』 (桜井のりお・著/秋田書店・刊)である。本書は少女山田と少年市川の織りなすラブコメである。

 

本書の何が格差? と訝しみの向きもあるだろうが、しばしわたしの話を聞いていただきたい。山田はモデル業をこなしながら学校に通う眉目秀麗な美少女であり、クラスの中でも相当目立つ位置にいる。一方の市川はクラスの中で地味、というより、陰キャと蔑まれ、中二病をこじらせてしまっている少年なのである。二人の間には学内カーストという格差が存在し、それが少なくとも市川の側には大きな障壁となって山田との間に立ちはだかっている。

 

ありていに言おう。学生時代のわたしは市川を地で行く存在だったのである。だからこそ、二人の奇跡のような恋愛未満の関わり(最近は未満どころか……なのだが)にやきもきさせられる。かつて市川だった皆に刺さるはずの漫画である。

 

 

厳然として存在する「格差」の行きつく先は?

次にご紹介するのは『幼な子の聖戦』(木村友祐・著/集英社・刊)である。こちらは表題作の他、別の事情で有名になった「天空の絵描きたち」も所収している。が、どちらも色濃く社会の格差を感じさせる物語である。

 

「幼子の聖戦」は青森のある村を巡る選挙戦が描かれた作品なのだが、主人公である村議の<おれ>は、県議に脅されることによって渋々ながら友人の選挙運動を妨害することになる。そうした主人公の行動を通じて、県議――村議という権力の格差や、村の中で長い時間をかけて作られた序列の姿が見えてくる。本作が浮き彫りにしているのは、村の中に累積され、異臭を放つ格差の姿なのである。

 

そして「天空の絵描きたち」、こちらはビルの窓を拭く清掃員たちの話なのだが、そこに描かれるのはビルの窓一つの内と外に厳然と存在する格差なのである。この二編の格差の行き着く先は……。ぜひとも作品を手に取ってご確認いただきたい。

 

 

日本を覆う教育格差の闇

次は新書から。『教育格差』(松岡亮二・著/筑摩書房・刊)である。

 

日本は学歴社会である。すなわち、初等教育から高等教育までの過程において個々人の能力が査定され、かなり強固な選別として機能する社会であるということだ。この学歴社会において学力選抜は「全員のスタートラインが同じであり、かつ本人の努力のみが成績の差をつける平等なシステム」という暗黙の了解が横たわっている。しかし、この暗黙の了解は実体を捉えたものなのかと問いかけているのが本書である。

 

様々なアプローチによる調査により、やはり我々の社会には重大な教育格差があることが明らかにされる。生まれ育った地域や親の収入や学歴といった要素が有意なレベルで一人の人間の将来を決めてしまっている。そして、高学歴の親の築いた社会的な位置はより子に伝達されやすくなり、結局ある種の階級化が起こりつつある様子が見て取れるのである。この傾向がさらに進行すれば、国内の格差はよりくっきりとした階級化へと移行することだろう。

 

教育改革というと「ゆとり教育」「脱ゆとり教育」などとふんわりとした議論がなされ、実際に改革されているのだが、もしかするとわたしたちが本当になさねばならぬのは、教育による社会階級固定化の回避なのではないか……。そう思わせる一冊である。

 

 

その格差を生み出したのは誰なのか?

次は小説から。『希望が死んだ夜に』 (天祢涼・著/文藝春秋・刊) である。

 

十四歳の少女、冬野ネガが同級生の春日井のぞみを殺害したとして逮捕されたものの、ネガが殺害は認めながらも動機を口にしない「半落ち」状態になるところから始まるこのミステリー作品は、送検のために事件のディティールを固めようとする二人の刑事と、ネガの回想がサンドイッチになる形で展開されていく。そうした中で、予想だにもしなかった様々な事実が浮かび上がっていくのだが――。

 

ミステリー作品であるため何を言ってもネタバレになってしまいそうで恐ろしいのだが、本書もまた、現代に横たわる格差の結果、社会の矛盾を引き受けざるを得なかった人々が多数登場する。そして、その人々の行動は自ら選んだように見えながら、実際には極端に狭められたどうしようもない選択肢の中からましなものを選ばされていることも明示されている。

 

では、登場人物たちから選択肢を奪っているのは誰なのか――本書を手に取って、想いを馳せていただきたい。

 

 

格差の構造を抽象化して物語に反映した歴史小説

最後は歴史小説から。『童の神』 (今村翔吾・著/角川春樹事務所・刊)である。

 

歴史小説は現代に存在する問題を、ある面ではビビッドに、ある面ではマイルドに提示することができると思っている。本書はまさにそうした歴史小説の醍醐味を味わうことができる。

 

時は平安時代、都の人々はその外に棲む人々を化外の者として扱い、「童」と呼んでいた。それに反発し都人との和合を目指す「童」たちと都人たちの相克を描いている。しかし、通り一遍に二者の対立を書くだけでなく、「童」でありながら都人についた登場人物(有名な人物なのだが、ネタバレを避けるために伏せる)や、「童」であった妻を娶り家庭を作った男なども登場しているところに本書の工夫がある。

 

都人と等しい存在であり、二者の和合を認めてほしいと願う「童」たち、それを拒む都人たち、これは現実に存在する何かを写し取ったメタファーであるというよりも、格差の構造を抽象化し、物語の中に反映させたものと見るべきだろう。それだけに、本作は古びることのない普遍性を有していると言える。

 

 

格差とは何なのか。五冊の本をご紹介し終えた後でも、わたしには今一つその正体がつかめずにいる。だが、前掲『教育格差』にこのような一文がある。引用したい。

 

活力漲る個人で溢れる社会を望むのであれば、まずは現状と向き合うことが求められるのだ。

 

格差はいつどこでも発生する。そしてそれが人の障害となるからこそ文学作品でも語られ、エンタメ作品の材料ともなり、そして研究もなされる。言うなれば、格差はわたしたちの影なのだろう。そしてわたしたちは、どこまで行ってもついてくる影と戦い続けなければならないのかもしれないのである。

 

 

【プロフィール】

谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新作は「桔梗の旗」(潮出版社)。

明智光秀の息子、十五郎(光慶)と女婿・左馬助(秀満)から見た、知られざる光秀の大義とは。明智家二代の父子の物語。