本・書籍
2020/7/22 21:45

山村美紗とふたりの男−−「ミステリーの女王」謎の私生活の真実

京都に女王と呼ばれた作家がいた』(花房観音・著/西日本出版社・刊)は、作家・山村美紗の半生を活写した作品です。

 

山村美紗といったら、ミステリ界の女王と呼ばれ、日本のアガサ・クリスティとしてたたえられた人気作家です。

 

京都を舞台にした作品は、次々とテレビ化されています。本も売れに売れ、長者番付の上位にランクインされ続けました。独特な髪型や華やかなファッションも注目の的でした。

 

まさにレジェンドと呼ぶべき存在感を放つ作家だったといえましょう。

 

 

花房観音、山村美紗に迫る

『京都に女王と呼ばれた作家がいた』の著者は花房観音。京都に住み、京都の女を描き続けている作家です。

 

それだけではありません。自身のプロフィールにあるように、「京都観光文化検定2級を所持する現役のバスガイドでもある」というのですから、京都への愛は半端ではありません。

 

そんな彼女が、山村美紗に迫り、その半生をガイドしてくれるのです。つまらないはずがありません。どんな作品だろうと楽しみでたまらず、私は本が届くのを待ちかねていました。

 

そして、読み終わった今、なんだか呆然としています。あまりにも意外な山村美紗の素顔に触れて、ぼんやりしてしまったのです。

 

私は山村美紗について、何もわかっていませんでした。華やかさのかげで、これほどつらい思いをしていたとは……。

 

山村美紗が大変な苦労を重ねて作家になったことも知りませんでした。才能の赴くがままに、書きたいことを書きたいように書き、それがどんどんドラマ化されていると、勝手に思っていたのです。けれども、それは大きな間違いでした。

 

ベストセラー作家になった後でさえ、売れなくなったらどうしよう、もっと書かなきゃ、もっと頑張らなくてはと、自分を追い込んでいたといいます。

 

 

驚きの連続

山村美紗が年齢を偽っていたことにも、驚きました。公式プロフィールによると、1934年に京都で出生となっていますが、実際は、1931年生まれだというのです。

 

作家が年を偽る必要があるのでしょうか。そもそも3歳だけさば読んだところで、意味があるとは思えません。同級生もいるのですから、すぐにばれてしまうはずです。それなのに、亡くなるまで、山村美紗は1934年生まれだと言い続けました。

 

さらに、驚きは続きます。幼いころから体が弱く、ほぼ寝たきりの少女時代を過ごしたのだそうです。作家になってからも、喘息や慢性盲腸炎に悩まされ、苦しみながらの執筆だったといいます。
満身創痍の体を華やかなドレスで包み、お姫様のようなヘアスタイルをウィッグで保ちながら、締め切りに次ぐ締め切りをこなしていたなんて……。夢にも思いませんでした。

 

山村美紗が、帝国ホテルのスイートルームで心臓発作のため急死したこともよく覚えていませんでした。まして、ずっと体調が悪く、東京まで移動する体力がないので、ベンツのキャンピングカーで横になったまま上京し、それでもなお書き続けていたとは……。

 

九月五日、美紗はいつものように、スイートルームのテーブルに原稿用紙を広げ、執筆していた。連載している小説が二本あった。

午後二時三十分、具合が悪くなり、主治医を呼ぶ。痛みなのか、お手伝いさんが美沙の叫び声を聞いている。

主治医が急いで訪れるが、美沙は午後四時十五分に息を引き取り、心不全と診断された。

( 『京都に女王と呼ばれた作家がいた』より抜粋)

 

あまりにも突然に、女王はこの世を去ったのです。仕事をしながら……。叫び声と書きかけの原稿を残して……。

 

 

二人の男性

山村美紗の死は、周囲にとてつもない悲しみをもたらしました。二人の娘はもちろんのこと、二人の男性が魂をもぎとられたような状態で、この世に取り残されます。

 

一人は作家の西村京太郎。山村美紗をしのぐベストセラー作家ですが、彼は美紗の隣の家に住み、パートナーとして暮らし、作品を書き続けたといいます。

 

『京都に女王と呼ばれた作家がいた』には、二人の出会いから、共に励まし合って作家として成長していく姿が詳しく描かれています。

 

そういえば、以前、京都に行ったとき、タクシーの運転手さんが「お客さん、ここは山村美紗の家で、隣が、ほら、なんというのか、西村京太郎の家や」と、教えてくれたときのことを思い出しました。

 

驚く私に運転手さんは、「そんなことも知らないの? 常識や〜」と、逆に驚いていました。西村京太郎は後に「山村美紗さんはボクの女王だった」という追悼文を残し、彼女への思いを吐露しています。

 

もう一人、山村美紗の死後、ひっそりと悲しみに沈んだままとなっていた男性がいます。その名は山村巍。他でもない、美紗の夫です。

 

周囲からは、まるで存在しないかのように扱われていましたが、実は作家になる前から、彼は美紗の夫であり、二人の娘の父親なのです。

 

巍は彼女を愛するが故に、日陰の存在に甘んじ、ひたすらに美沙を助け、闘病につき合い、必死に支えていたといいます。彼がいたから、山村美紗は数々の名作を生み出すことができたのです。

 

二人の男性は、美紗の死後に新しい伴侶を得て穏やかな生活を送っています。けれども、彼女の思い出を捨てることはありません。ミステリー界の女王は、周囲の男性をとらえて離さない、猛烈にモテる女性でもあったことを思い知ります。

 

山村美紗がとろかしたのは、男性の心だけではありません。この本の著者・花房観音も、山村美紗に取り憑かれたひとりだと感じます。

 

山村美紗という人の熱量に、呑み込まれてしまうのだ。そうして話を聞くたびに、疲労が蓄積しながらも、また山村美紗のことが頭から離れられなくなる。

(『京都に女王と呼ばれた作家がいた』より抜粋)

 

花房観音は周囲には「出版は無理だろう」と言われながら、どうしてもあきらめることができず、紆余曲折を経て、ついに『京都に女王と呼ばれた作家がいた』を上梓しました。

 

しつこいまでのその情熱……。なんとかして、本にしたいという狂気のような願い……。私はそこに打たれます。

 

ものを書くというのは、これほど魅惑的でつらいものなのかと思い知らされ、再び呆然とするしかありません。

 

【書籍紹介】

京都に女王と呼ばれた作家がいた

著者:花房観音
発行:西日本出版社

京都に住み、京都の女を描き続ける花房観音が迫る、京都に住み、京都を描き続けた山村美紗の生涯。歴史と情念、ミステリアスな京都の横顔は、美紗の小説とドラマ化された作品からきていると言っても過言ではない。

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