絶滅危惧種を守ろうという活動は、世界で行われている。すでに絶滅してしまった動物たちに関してはどうすることもできないが、絶滅しそうな動物たちに関しては、その種を守ろうと研究者や専門家たちがさまざまな研究を行っている。
『絶滅できない動物たち――自然と科学の間で繰り広げられる大いなるジレンマ』(M・R・オコナー・著、大下英津子・訳/ダイヤモンド社・刊)は、動物保護に関わる人たちのジレンマについてのドキュメンタリーだ。
「種の保存」にからみつくさまざまなしがらみ
本書は、どうやって絶滅の危機に瀕している動物の保護が行われているのかといった活動内容を紹介するとともに、その活動に関する「ジレンマ」について語られている。絶滅しそうな動物を保護したり、飼育下で繁殖させるなどの活動は、我々が思っているほど単純ではなさそうだ。
たとえば、本書で最初に登場する「キハンシヒキガエル」は、タンザニアの特定の滝壺にしか生息しないカエル。これが水力発電用のダム建設により激減。そこでキハンシヒキガエルを保護し、アメリカの2つの研究所で飼育・繁殖し、再度環境を整備した現地へ戻すという活動について記されている。
キハンシヒキガエルの飼育や繁殖が難しいことはもちろんだが、それ以外の要素のほうがやっかいだ。電力不足で悩むタンザニア政府は、そんな小さなカエルを保護するよりも国民全体に電気を行き渡らせることが大事だし、出資元である世界銀行との関係も気になる。研究者たちは、ただ単にキハンシヒキガエルを飼育・繁殖させても、その間に特性が変わってしまい自然に帰しても生きられないのではないかという疑問が湧く。
また、その動物がどうして絶滅寸前になってしまったのかを考えると、人間による環境破壊という原因がある。そうすると、「環境保護」まで考えて活動していく必要がある。というか、それが本質なのではないかという意見も生まれる。
いくらその種を保存しても、それが生きられる環境が消滅してしまったのでは、その種は一生水槽で生きていくしかない。
やがて地球は動物園になる
環境倫理学の父と呼ばれるホームズ・ロールストン3世はこのように語る。
今から100年後、150年後に地球温暖化の影響を受けていない土地などないし、手つかずの自然も残っていない。すべては巨大なひとつの動物園になる。
(『絶滅できない動物たち――自然と科学の間で繰り広げられる大いなるジレンマ』より引用)
ロールストン自身は、地球上に今ある自然を手つかずのまま残しておきたいと思っているのだが、もはやそんなことは不可能だと考えているようだ。
そうなると、行き着く先はさまざまな動物たちが檻の中で生活する動物園。100年、200年先の地球は、すべての種が人間の管理下で暮らすことになる可能性もある。
それはもう、地球全体が動物園と同じ状態ということ。もしかしたら、我々人間ですらその動物園で飼育されているかもしれない。
種の絶滅は受け入れるべきことなのか
著者はこう語る。
わたしたちが種として生きのびるのを支えるために天然資源を搾取する道を選ぶ以上は、絶滅はわたしたちが進化する代償ということになるのだろう。
(『絶滅できない動物たち――自然と科学の間で繰り広げられる大いなるジレンマ』より引用)
人間が今以上の進化を望むのなら、種の絶滅は受け入れなければならないこと。必要以上に種の保護をすることが、逆に環境破壊などにつながっている恐れもある。筆者は大きな声ではないものの、そう締めくくっている。
かといって、消えゆく動物たちをそのまま見過ごせないという気持ちもある(たとえその気持ちが科学的な好奇心から生まれていたとしても)。人間は、どうやって自然と向き合っていけばいいのか、考えさせられる書だ。
【書籍紹介】
絶滅できない動物たち――自然と科学の間で繰り広げられる大いなるジレンマ
著者: M・R・オコナー
発行:ダイヤモンド社
痛々しいほどに懸命な人間と、隔離された哀れな動物を前に、ふとよぎる禁断の疑問。「いっそ、絶滅してしまったほうがーー」人が介入すればするほど、「自然」から遠ざかっていく。答えのない循環論法に陥った
自然保護/「種の再生」テクノロジーの現場に迫る。
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