今からおよそ30年前、夢中で読んでいた本がある。それは沢木耕太郎氏の『深夜特急』。香港をスタート地点に、インド、ネパールからシルクロードを辿って、トルコ、ギリシャへ、そして欧州を横断して最終目的地のイギリスのロンドンまで、基本バスだけを乗り継いで一人旅をした沢木氏の紀行小説だ。このシリーズはベストセラーとなり、バックパッカーの若者たちの手引書にもなった。臆病な私には絶対に真似できない旅だから、せめて疑似体験がしたくてページをめくりつつ、乗り合いバスに揺られていたのだ。
その沢木氏の最新刊『旅のつばくろ』(沢木耕太郎・著/新潮社・刊)は、世界各地を縦横無尽に歩いた彼の、初の国内旅エッセイ集となった。
初めての一人旅は東北一周
本書は、JR東日本が発行している車内誌「トランヴェール」の連載エッセイを単行本化したものだ。これからは、もう少し日本国内を旅してみようかと沢木氏が考えていたところに、エッセイの依頼があり、それを絶好の機会と見なし受けたのだそうだ。
思い起こせば、私が初めてひとりだけの「大旅行」をしたのが、十六歳のときの東北一周旅行だった。小さな登山用のザックを背に、夜行列車を宿に、十二日間の旅をしたのだ。このときの経験が、その後の私の旅の仕方の基本的な性格を決定したのではないかと思われる。いや、もしかしたら、それは単に旅の仕方だけでなく、生きていくスタイルにも深く影響するものだったかもしれないと、いまになって思わないでもない。
(『旅のつばくろ』から引用)
ここ数年の北への旅は、自身の16歳の旅を確かめ直すものであり、また、日本を旅することの新しい驚きの発見にもなったと沢木氏は語っている。
龍飛崎への思い
あの沢木氏が怖気づいて行くことができなかった場所があるという。それが津軽半島の「龍飛崎」。
高校一年が終わった春休み、沢木氏は、当時の国鉄が発行していた均一周遊券を使って一人旅を計画。行き先は東北。手にした東北周遊券は急行、準急など乗り放題だったので、所持金はわずか3千円くらいだったそうだ。
ガイドブックを買う余裕がなかったので、小さな時刻表と簡単な地図だけを見て、気に行った土地の名前を選んでそこに向かうというスタイルの旅をすることになった。津軽半島の龍飛崎もそうやって決めた目的地だった。が、しかし、16歳だった沢木少年は列車内で不安に襲われる。
列車には行商のおばあさんたちが大勢乗っていた。リュックひとつで旅をしている少年の姿が珍しかったのか、盛んに話しかけてきてくれるが、何を言っているのかわからない。本当にひとこともわからないのだ。(中略)心細くなってきた私は、自分はどんなところに連れて行かれてしまうのだろうという不安に苛まれるようになった。そして、ついに、怖気づいた十六歳の私は、途中の駅で飛び降り、青森行きの列車を待って逆戻りしてしまったのだ。
(『旅のつばくろ』から引用)
沢木氏が怖気づいて行けなかったのは、後にも先にも、龍飛崎だけだそうだ。本書では、当時を取り戻すべく50年ぶりに龍飛崎に向かった話を「風の岬」というタイトルで記している。
山形県「遊佐」への旅
沢木氏はある日偶然つけたテレビで、日本地図にダーツを投げ、突き刺さったところに取材に向かうという番組を観た。そのとき彼は、これぞ私にとって「夢の旅」と思ったという。
ダーツこそ投げていないものの、これに近い旅をしたことがあるそうだ。地図を見ながら、ふっと眼に留った地名、そこは山形県の日本海に面した町「遊佐」。小説の主人公の出身地をどこにしようか地図を眺めているとき見つけた場所だ。
私の目に留った理由は二つある。ひとつは、何と言ってもその字が美しいことである。軽やかで楽しげでスマートだ。もうひとつは、かつて私が一九三六年のベルリン・オリンピックについて調べたとき、日本選手団の中に、この珍しい字を姓に持った人が二人もいて強く印象に残っていたということがあった。水泳選手の遊佐正憲と馬術監督だった遊佐幸平の二人である。人の姓ではユサであるのに対し、山形の町はユザと発音するらしい。
(『旅のつばくろ』から引用)
その後、沢木氏は、その遊佐に行ってみることにした。風光明媚なところで、ホテルの窓からはきらめく日本海が見え、反対側には雪を頂く鳥海山がそびえていた。沢木氏の初の「夢の旅」は予想以上にすばらしいものになったそうだ。ガイドブックなどに頼らず、こんな旅先の決め方も一度はやってみたい気がする。
山手線の旅
今のコロナ禍で遠くには行かれない人も多いだろう。けれども遠くに行くだけが旅ではない。近場にも新しい発見があるものだ。
本書では「初めての駅、初めての酒場」と題した、山手線の旅が紹介されている。東京の城南地区で育った沢木氏にとって城北地区や城東地区は馴染みが薄いそうだ。山手線で考えてみると、渋谷を中心にして内回りは上野まで、外回りは池袋まではどの駅でもかなりの頻度で乗り降りしたことがあるものの、上野から池袋までの駅はあまり利用したことがないという。
とりわけ、日暮里となると、ひょっとしたら一度も駅の外に出たことはないのではないかという気がするくらいである。そこで、いや、なにが「そこで」なのか自分でもよくわからないが、春の盛りの、好天のある日、日暮里に行ってみることにした。
(『旅のつばくろ』から引用)
ただ駅で乗り降りするだけではもったいないので、日暮里出身の作家、吉村 昭の記念文学館を訪ねたそうだ。そして、帰りには日が傾きはじめたので、居酒屋と小料理屋の中間のような店に入ると、常連客らしき人々も、店のおかみも、見かけない客の登場が気になってしかたない風だったと記している。そして、何者に思われているのか想像すると、内心なんとなく楽しくなったとも。都内の一日、いや半日のこんな旅も、意外と楽しいかもしれない。
この他、東日本各地を列車で旅した話はどれもとてもいい。やはり沢木耕太郎の紀行文は最高だとページを閉じたとき、そう思った。
【書籍紹介】
旅のつばくろ
著者:沢木耕太郎
発行:新潮社
つばめのように軽やかに。人生も旅も−−。沢木耕太郎、初の国内旅エッセイ。旅のバイブル『深夜特急』で世界を縦横無尽に歩いた沢木耕太郎。そのはじめての旅は16歳の時、行き先は東北だった。あの頃のようにもっと自由に、気ままに日本を歩いてみたい。この国を、この土地を、ただ歩きたいから歩いてみようか……。JR東日本の新幹線車内誌「トランヴェール」で好評を博した連載が遂に単行本化!
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