『守教』(帚木蓬生・著/新潮社・刊)は300年間にわたるキリスト教徒たちの悲しみと苦悩を描いた作品です。読むのを楽しみにしていたのに、なぜか手に取らないまま本箱のいちばん良い場所に陣取ったままになっていました。
上下2巻の長編小説です。時間の余裕のあるときに、一気に読むつもりだったのに、何かと気ぜわしい毎日が続き、つい「今週は締め切りだ」とか「今日はなんだか眠たい」と、時ばかりが過ぎていました。
3つの執筆動機
ところが、ふと「今、読まずしていつ読むのか」という問いが心の中にわきました。そこで、「今こそそのとき」と読み始めると、著者・帚木蓬生の情熱ががんがん響いてきて、ボクシングをしているような気持ちになりました。次々とパンチが繰り出されるように物語はずんずん進みます。
帚木蓬生は、この作品を書くにあたって3つの執筆動機を持っていたといいます。
ひとつは、九州の筑後を舞台にした歴史小説を久留米藩三部作として完成させたかったから。著者はこれまで、筑後を舞台に『水神』『天に星 地に花』というふたつの作品を書いており、『守教』を3作目として、完結したかったのでしょう。
ふたつめは、今まで歴史小説であまり扱われずにいたキリシタンや隠れキリシタンにスポットライトをあて、その姿を描きたいと考えたから。日本人は歴史小説ファンが多いことで知られますが、主人公には戦国時代の武将などの豪傑が好まれます。外国人宣教師や日本人神父、そしてキリシタンについては、その姿を浮き彫りにした作品はあまりありません。
3つめの理由は、隠れキリシタンの人々が福岡にもいたということを書きたかったから。確かに、隠れキリシタンと聞くと、長崎や五島列島を連想します。福岡にも潜伏して信仰を守った人々がいたことを私は知りませんでした。
翻弄される人々
著者は、作品の舞台を筑後領にある高橋村と定めて物語を展開していきます。主人公は、大友宗麟に大庄屋となるよう命じられた一万田右馬助とその養子である米助です。彼らはキリシタンとして、一生をまっとうしようと決心しています。イエズスの教えを守ることは、生きることそのものでした。
ところが、豊臣秀吉が突如として外国人宣教師たちを国外に追放すると決めます。いわゆる伴天連追放令です。このあまりに急激な政策変更は人々の運命を変転させます。信者たちは、悩み、迷い、悲しみの中で祈りを唱えるしかありません。昨日まで信じる者は救われるはずだったのに、急転直下、信じると捕らえられ、拷問の末に殺されてしまうのです。
『守教』で描かれるのは、1569年から1867年まで300年の長きにわたります。歴史小説としてはあまりに長いと感じる方もいるかもしれません。けれども、著者はそれぞれの時代を生き抜いた一家を追いかけるのです。
守ろうとしたものは何か?
『守教』の主人公は歴史的に有名な人物ではありません。ごく普通の村人で平凡な人生を送っていました。しかし、キリスト教の信仰を選び取ったために非凡な毎日に突き落とされてしまったのです。
『守教』には、キリスト教の歴史を勉強した人なら必ずや興味を持つであろう人物も登場します。たとえば、アルメイダ修道士、フロイス神父、大友宗麟夫人のジュリア、そしてペドロ岐部神父などです。彼らは実在の人物ですから、小説でありながらドキュメンタリーのようでもあります。それが『守教』のもうひとつの魅力となっているのではないでしょうか。
人々が命がけで守ろうとしたのは、何か? その答えは『守教』の中で探すことができると、私は信じるようになりました。だから、読み終えた上下2巻はまだ本箱の良い位置に置いたままです。くり返し読みたいと思うからです。
【書籍紹介】
守教
著者:帚木蓬生
発行:新潮社
九州の筑後領高橋村。この小さな村の大庄屋と百姓たちは、キリスト教の信仰を守るため命を捧げた。戦国期から明治まで三百年。実りの秋も雪の日も、祈り信じ教えに涙する日々。「貧しい者に奉仕するのは、神に奉仕するのと同じ」イエズスの言葉は村人の胸に沁み通り、恩寵となり、生きる力となった。宣教師たちは諸国を歩き、信仰は広がると思われたが、信長の横死を機に逆風が吹き始める。吉川英治文学賞他受賞作。