本・書籍
2020/9/3 21:45

「日本一当たらない予想屋」が語る競馬の悲喜こもごも−−『競馬妄想辞典 言いたいのはそこじゃない』

新型コロナウイルスの感染拡大防止のために、多くのスポーツ開催が中止、あるいは、無観客で行われるという事態になっています。残念なことではありますが、困難を乗り切るためです。仕方がありません。

 

無観客開催の競馬観戦

我が家は、35年近く、ほとんどの週末を競馬場で過ごしてきました。夫婦共通の趣味が競馬だからです。20年ほど前に競馬のコラムを書くようになってからは、競馬は趣味から仕事となり、競馬場に行くのは半ば義務となりました。

 

ところが、日本中央競馬会(JRA)も2月29日から無観客競馬の開催を決定し、私たち夫婦もテレビでの観戦となりました。最初はライブじゃないと物足りない気持ちがしていましたが、やがて、それはそれで楽しく、懐かしいと思うようになりました。競馬を始めたころはもっぱらテレビで観ていたので、過ぎ去った日々を思い出すのでしょう。

 

今まで何度も読んだ『競馬妄想辞典 言いたいのはそこじゃない』(乗峯栄一・著/あおぞら書房・刊)をもう一度手にとり読み直したのも、競馬場での思い出が蘇ってくる一冊だからです。

 

著者の乗峯栄一は、筋金入りの競馬ファンで、『いつかバラの花咲く馬券を』など何冊かの競馬関係の著書があります。なかでもこの『競馬妄想辞典 言いたいのはそこじゃない』は、競馬の魅力に取り憑かれた著者の思いが満ちたものとなっています。

 

本当の姿は繊細な少年

『競馬妄想辞典 言いたいのはそこじゃない』は、著者が長年連載したものから60本のコラムを選び、そこにスポーツ新聞やウェブサイトなどに書いた原稿、さらに、新しい書き下ろしを加えたものです。結果として77の選び抜いたコラムが並び、渾身の一冊となっています。著者もその覚悟で出版したようで、自らこう述べています。

 

ちょっと大げさに言えば、競馬ライター乗峯栄一の集大成だと思っている

(『競馬妄想辞典 言いたいのはそこじゃない』より抜粋)

 

ところで、著者は自分を面白おかしく語ろうとします。

 

読者からは「日本一当たらない予想屋」と言われ、調教師からは「あんたに本命にされたら勝てへん」とからかわれた

(『競馬妄想辞典 言いたいのはそこじゃない』より抜粋)

 

こうして、自虐的に自らを紹介し「酔っ払いのおっさん」として周囲をなごませたりします。けれども、実は恥ずかしがり屋で、繊細で、傷つきやすく、「おっさん」どころか、少年のようなヒトだと私は思っています。この世を生き抜くために、もう少し図太くなってほしいと、願うほどです。

 

生まれながらの先生

『競馬妄想辞典 言いたいのはそこじゃない』には、面白いエピソードがたくさんあります。有名人も登場します。誰だかわからないままに出た電話の相手が、武豊ジョッキーだなんて、普通はあり得ない話です。

 

「すごいな〜〜」と感心しながらも、私が一番面白いと思うのは、競馬のことを知らない人に競馬のなんたるかを教えようと必死になる乗峯栄一の態度です。「何もそんなに頑張らなくてもいいのに」と言いたくなるほど、彼は頑張ります。頑張って頑張って頑張り抜きます。そして、頑張っているうちに、「はて、競馬とは何なのだ? 俺、何、考えていたんだっけ?」と、自問自答したりしています。その姿が、たまらなく面白く、そして、哀しいのです。

 

だってそうでしょう? 誰かに頼まれたわけでもないのに、お給料をもらえるわけでもないのに、競馬の魅力について語ろうとするのですから。彼はきっと生まれながらの「先生」なのでしょう。教えたいと願うのは、もちろん「競馬」という特別科目です。

 

すべりにすべる二人の競馬場

例えば、「歓迎される客はどっちだ?」というタイトルのコラムがあります。競馬ライターの「おっさん」が、競馬を知らない女の子を競馬場に伴ったときのエピソードです。女の子の設定は「時々行くスナックに女子大を出たばかりの愛想のいい子が入ったとする」となっています。

 

ある日、二人は連れだって京都の淀競馬場に向かいます。淀は、豊臣秀吉の側室である淀殿のゆかりの地であり、歴史上、大変意味があるところです。当然、彼は女の子に歴史学的な講義をしたくなります。京都競馬場で淀殿を語るなんて、時を越えて今も続く愛を教えるようで、素晴らしい講義ではありませんか!

 

ところが、しかし……。女の子は、淀殿にも、壮大な歴史にも、肝心の競馬にも興味を持とうとしないのです。若いということは、時に残酷なものです。彼女にとって大事なことは、「目の前にある池の白鳥が可愛いね」だったり、「騎手は1日に何度も馬に乗るのに、なぜ馬は1日に1回しか走らないの〜〜」です。

 

当然、二人の話はかみ合わず、彼の話はすべりにすべります。そこがたまらなく面白いのです。

 

一緒に笑うしかない。誰も聞かない熱烈講義というのは大きな疲労を呼ぶ

( 『競馬妄想辞典 言いたいのはそこじゃない』より抜粋)

 

ずれていく感覚

『競馬妄想辞典 言いたいのはそこじゃない』には、長年にわたる乗峯栄一の競馬人生が詰まっています。まるでバウム・クーヘンのように、77のエピソードが層になっています。ある層は面白く、ある層はちょっと怖かったり、悲しかったりするのですから、とても不思議な本だと思います。

 

タイトルに「言いたいのはそこじゃない」と、あるのも不思議です。「では、あなたは何を言いたかったの? そこじゃないとしたら、どこなの?」と聞きたくなりますが、すぐには答えが出ません。著者の言いたいことを探しているうちに、つい笑ってしまい、自分が何を探していたのかわからなくなるからです。

 

そして、ふと気づくと、少しずつズレてしまっている自分自身に気づきます。この奇妙なズレ感こそが、『競馬妄想辞典 言いたいのはそこじゃない』の魅力だと、私は考えています。

 

【書籍紹介】

競馬妄想辞典 言いたいのはそこじゃない

著者:乗峯栄一
発行:あおぞら書房

読者からは「日本一当たらない予想屋」と言われ、調教師からは「あんたに本命にされたら勝てへん」とからかわれた。それでも明るく競馬を愛し続けた競馬コラムニストが、地の底・宇宙の果てからレース結果を左右する究極の競馬原理を追究。歴史、文学、生物学、物理学、心理学……怪しい知識を駆使したユーモア・コラム77 本。年季の入った競馬ファンから初心者まで、たっぷりお楽しみいただけます。

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