本・書籍
2021/1/5 6:15

手に汗を握るピカソの絵をめぐるアートサスペンス——『暗幕のゲルニカ』

「芸術は、飾りではない。敵に立ち向かうための武器なのだ。」パブロ・ピカソの名言だ。

 

そのピカソの代表作といえば「ゲルニカ」。「ゲルニカ」は、1937年、パリ万博のスペインパビリオンの目玉として作成された。当時、パリのアトリエに運び込まれた縦349cm×横777cmの真っ白な大きなキャンバスを前に何を描くか考えていたピカソ。そこに内戦状態にあった祖国スペインのゲルニカ空爆の報が届く。ピカソはスペイン共和国政府を支持していたが、フランコ将軍率いる反乱軍に加担していたナチスドイツ軍によりゲルニカが都市無差別攻撃にあったのだ。爆撃を受けた街の悲惨な状態を表したモノクロームの画面は、以来、反戦のシンボルとして世界中の人々を惹きつけることになる。

 

 

国連のゲルニカに暗幕が!

「ゲルニカ」は現在、スペイン・マドリードのソフィア王妃芸術センターにある。そして、アメリカ・ニューヨークの国連安保理のロビーにもゲルニカがあるが、こちらはタペストリーだ。絵画のゲルニカと同じ構図とサイズでタペストリー職人のデュルバックがピカソの監修のもとに1955年に完成させ、1985年から国連に展示されている。

 

そのゲルニカに緞帳のような暗幕がかけられた事件が実際にあった。2003年、アメリカのブッシュ政権はイラク攻撃をしようとしていた。その時期パウエル国務長官は、国連安保理のロビーで記者会見を開いたが、背後にあるはずのゲルニカのタペストリーになんと暗幕がかけられていたのだ。空爆による悲劇を表したものはまずいと誰かが幕をかけたのだろう。作家であり、キュレーターでもある原田マハさんは、その映像を見て衝撃を受け、そして書き上げたのが、今日紹介する『暗幕のゲルニカ』(原田マハ・著/新潮社・刊)なのだ。

 

見る人を呆然,佇立させるゲルニカ

目の前に、モノクロームの巨大な画面が、凍てついた海のように広がっている。泣き叫ぶ女、死んだ子供、いななく馬、振り向く牡牛、力尽きて倒れる兵士。それは、禍々しい力に満ちた絶望の画面。瑤子は、ひと目見ただけで、その絵の前から動けなくなった。真っ暗闇の中に、ひとり取り残された気がして、急に怖くなった。目をつぶりたいけれど、つぶってはいけない。見てはいけないものだけれど、見なくてはいけない—。

(『暗幕のゲルニカ』から引用)

 

ゲルニカを前にしたとき、大半の人が同じ状態になるであろう一文で本作ははじまる。文庫版の解説を担当したジャーナリストの池上 彰氏もこう書いている。

 

「ゲルニカ」と対面しました。が、壁画の前で動けなくなります。呆然と佇立するとは、こういう状況を指すのでしょう。いななく馬、茫然とする牛。のたうつ人々。言葉を失いました。

(『暗幕のゲルニカ』解説から引用)

 

どこまでが史実でどこからがフィクションなのか?

さて、原田マハさんの描くアートを巡る小説のおもしろさは、史実に基づいてはいるが、そこに架空の人物や出来事が巧妙に加えられ、読者をグイグイ引き込んでいくところだ。

 

本書はおよそ70年の時を隔てた二人の女性の視点で描かれている。一人はピカソの恋人であり、ゲルニカ作成過程を撮影した実在した女流写真家ドラ・マール。彼女は「泣く女」モデルでもあった。ドラ・マールの写真は見たことがあったが、どんな女性だったのかは正直ピンとこなかった。が、この本を読み進むうちに私の頭の中で彼女がイキイキと蘇っていき、いつの間にか、私はドラ・マールのファンになっていたのだ。想像力を刺激してくれる原田さんの力量には本当に脱帽だ。

 

そして、もう一人、21世紀パートは架空の人物で、ニューヨーク近代美術館(MoMA)のキュレーター、八神瑤子の視点で描かれている。瑤子は9・11でアートコンサルタントだった最愛の夫を亡くしたという設定だ。そして「ピカソの戦争」と銘打った展覧会を企画し、「ゲルニカ」を再びMoMAに呼び戻し、展示すべく奮闘するという展開だ。

 

「ゲルニカ」はなぜNYに渡ったのか

ゲルニカはある意味、問題作だった。人々に与えるインパクトがあまりにも強烈だからだ。当時、もしもヨーロッパに留めておきナチスの手に渡っていたら、引き裂かれ焼かれていただろう。本書の中で、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の初代館長・アルフレッド・バーとピカソのやり取りが描かれている。

 

「どうか、お願いです。<ゲルニカ>を、ニューヨークへ——私たちの美術館へお貸しください」

ピカソは、黒曜石のように輝く瞳でアルフレッドをみつめていた。しばらくの沈黙のあと、厳かな声で画家ははっきりと答えた。

「君のもとに<ゲルニカ>を送ろう。——ただし、ひとつ条件がある」

——展示会が終わったあとも、そのまま、あの作品をMoMAに留めてほしい。スペインが真の民主主義を取り戻すその日まで、決してスペインに還さないでほしい。それだけが、たったひとつの条件だ。

(『暗幕のゲルニカ』から引用)

 

こうしてゲルニカは海を渡った。戦後、回顧展でヨーロッパに一時的に戻ったことはあったが、1981年スペインに返還されるまで、ゲルニカはMoMAによって守られてきたのだ。そして、ピカソ自身は二度とゲルニカと対面することはなかったという。

 

反戦の意思を絵で表そうとするパブロ・ピカソ、その傍らに寄り添い、ピカソを支え、製作過程を撮影し続けるドラ・マール。その約70年後、ピカソの絵画を愛するキュレーターの八神瑤子は、反戦のシンボルである「ゲルニカ」をニューヨークで展示すべく奮闘する。物語は時を隔てつつ、同時進行していく。

 

海外旅行ができず、また名画を観に美術館に行くことができないコロナ禍の今こそ、読んでおきたい一冊といえる。

 

 

【書籍紹介】

暗幕のゲルニカ

著者:原田マハ
発行:新潮社

ニューヨーク、国連本部。イラク攻撃を宣言する米国務長官の背後から、「ゲルニカ」のタペストリーが消えた。MoMAのキュレーター八神瑶子はピカソの名画を巡る陰謀に巻き込まれていく。故国スペイン内戦下に創造した衝撃作に、世紀の画家は何を託したか。ピカソの恋人で写真家のドラ・マールが生きた過去と、瑶子が生きる現代との交錯の中で辿り着く一つの真実。怒涛のアートサスペンス!

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