書評家・卯月 鮎が選りすぐった最近刊行の新書をナビゲート。「こんな世界があったとは!?」「これを知って世界が広がった!」。そんな知的好奇心が満たされ、心が弾む1冊を紹介します。
サーカスの思い出はありますか?
こんにちは、書評家の卯月 鮎です。みなさんはサーカスに行ったことはありますか? 私はまだ幼いころ、地元の大きな公園に来ていた木下大サーカスに連れていってもらいました。コミカルなピエロ、空中ブランコ、ライオンの曲芸に大興奮したのを覚えています。
ところが、このピエロ、本来は「ピエロ」じゃないというからビックリです!? 今回の新書『日本の道化師 ピエロとクラウンの文化史』(大島幹雄・著/平凡社新書)は、謎に包まれた日本のピエロという存在が明らかになる深くニッチな1冊。手軽に新しい世界をのぞける新書ならではの良さが光ります。
著者の大島幹雄さんはノンフィクション作家でサーカス学会学長。日本のサーカス研究の第一人者として知られています。著作『明治のサーカス芸人はなぜロシアに消えたのか』は、明治維新後の激動の時代、海を越えてロシアでサーカス芸人となった日本人たちに迫る非常に読み応えある内容でした。
道化師は「ピエロ」ではなく「クラウン」と呼ぶべきという大島さん。今回はさまざまな角度からクラウンにスポットを当てています。
クラウンとピエロの違いは?
第一章は「クラウンの歴史」。クラウンが最初にサーカスに現れたのは1780年のイギリス。テームズ川のほとりで行われた馬の曲乗りショーで、間をつなぐために道化役者が雇われたのが始まりとされます。
下手な曲乗りを披露し「ビリー・ボタン」と名付けられた芸は、本家の曲乗り以上に人気を得たのだとか。この道化たちが「田舎者」を意味する「クラウン」という名前で呼ばれるようになり、近代サーカスに定着しました。派手な衣装に赤毛のカツラ、白いメイクがサーカスのクラウンの定番となっていきます。
それではなぜ、日本でクラウンが「ピエロ」呼ばれるようになったのか。このあたりが解説されるのが第2章。ピエロはもともとイタリアの喜劇に登場する召使い役「ペドロリーノ」がルーツ。この喜劇がフランスに伝わって召使い役が「ピエロ」と呼ばれるようになりました。だぶだぶのひだ襟の服、小麦粉で白塗りの顔、間抜けな行動。ピエロは庶民の間に浸透していったのです。
イギリスのサーカスの道化師がクラウン、イタリアやフランスの喜劇に登場する道化役がピエロ、と本来は別物。それがどうして日本ではすべてピエロになってしまったのか……。これは本書を読んでのお楽しみですが、西洋文化受容のプロセスが見えて、知的ミステリーのようなカタルシスがありました。
そのほかにも、日本のクラウンの原型ともいえる、ひょっとこや歌舞伎の道化役の紹介、明治時代に来日したイタリアのチャリネ曲馬団のエピソード、さだまさしさんの歌「道化師のソネット」のモデルとなった栗原 徹さんの短くも鮮烈な人生……と話題は豊富です。
最終章で触れられているホスピタルクラウンにも興味をひかれました。映画『パッチ・アダムズ』で知られるようになった、病院に長期入院する人たちに笑いを届けるクラウン。クラウンは人を笑顔にし、気持ちを和らげる身近な存在。サーカステントから飛び出しても活躍しているのですね。
【書籍紹介】
『日本の道化師 ピエロとクラウンの文化史』
著者:大島幹雄
発行:平凡社
近代サーカスの誕生時から、本場のサーカスや舞台で道化を演じるのは“クラウン”と呼ばれてきた。だが、日本で道化師といえば“ピエロ”が一般的だ。日本ではなぜ“クラウン”ではなく、“ピエロ”が定着したのか。クラウンは日本でいかに受けとめられてきたか。サーカス研究の第一人者が、日本における「道化師」の歴史をたどる。
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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。