本・書籍
2021/6/17 6:15

「となりのトトロ」の「となり」って? ジブリ映画の見方を変える『ジブリアニメで哲学する』

夏が近づくと観たくなる映画のひとつにジブリアニメがあるのではないでしょうか?

 

最近では再放送されるたびにSNSではさまざまな考察も行われていますが、そこまで深く考察しなくとも「なるほど、こんな見方もあるのね!」と、新しい視点を与えてくれるのが『ジブリアニメで哲学する』(小川仁志・著/PHP研究所・刊)です。今回は、この一冊をご紹介します。

 

「アニメ哲学」ってどういうこと?

「哲学」と聞くと「難しそう……」「色々考えすぎて眠れなくなりそう……」などネガティブなイメージあって、きっとこの本も難しいんだろうな〜なんて思っていました。しかし面白いくらいにズンズン読み進めてしまい、素直に「面白かった〜!」と楽しめました。

 

『ジブリアニメで哲学する』は、哲学を全く知らない私のような人間でもサラリと読めますし、ジブリアニメを観たことがある人なら「そういう考え方もあったか!」と新しい発見ができる一冊になっています。しかし、アニメ哲学とは一体……。どんな哲学なのでしょうか?

 

アニメは本と違って、文字ではなく動画で表現されます。動画は本を読むのと異なり、自分のペースで読み進めていくことができません。映像が映し出されるがままについていくだけです。たとえば100分間のアニメ映画を観るときは全員がそれを100分かけて、同じペースで観るのです。

このとき私たちは、やはり何かを考えながら鑑賞しています。そこは哲学書を読んで思考するのと同じなのですが、違うのは「自分のペースではない」という点です。そのため私たちは、理性よりも、どちらかというと感性を働かせて思考しているのです。

(『ジブリアニメで哲学する』より引用)

 

ジブリアニメを哲学書のように捉えて、アニメに登場するセリフや情景から感じたことを考えて言葉にしてみよう! としたのがこの本。個人的にはジブリアニメを観た後に読むと、「そういうことだったのか!」と思えることが多かったので、まだジブリ作品を観たことのない人は、ぜひ観てから読んで欲しいです。

 

「となりのトトロ」のとなりってどこ?

『ジブリアニメで哲学する』は、「風の谷のナウシカ」から「風立ちぬ」までの10作品を取り上げ、アニメ哲学しています。例えば、「天空の城ラピュタ」に出てくる『バルス』という呪文。どうしてシータは知っていたの? とか、石は人間にとってどんな存在なの? と、アニメに出てくるキーワードなどから考えを深めていきます。

 

私がこれまで20回以上は見ている「となりのトトロ」。『ジブリアニメで哲学する』に「なぜトトロは、前でも後ろでもなくとなりにいたのか?」と書かれてあり、ハッとしました。タイトルの「となり」が一体どこだったのかなんて考えたことがなかったからです。この本には唯一の正解が書かれているわけではなく、問いがあり「ある一つの答え」として著者の小田さんの考えが掲載されているのですが、以下のように書かれてありました。

 

80年代末、バブル崩壊の直前に、それへの代替案のような形で公開されたこの田舎の物語は、当時の日本にとって、もう一つの可能性でもあったはずです。行き着くところまでいってしまった物質文明の後、いったいどこに向かえばいいのか? 「となりのトトロ」はすでにもう一つの可能性としてのとなりの世界を見せてくれていたのです。

(『ジブリアニメで哲学する』より引用)

 

なるほど〜! ってなりませんか? 私は、家のとなりの森に住んでいるトトロだと思っていたのですが、それなら「後ろの山のトトロ」でもいいわけですからね。となりの世界を見せてくれていると思ってもう一度「となりのトトロ」をみると、視点も変わってくるような気がしてきます。

 

「千と千尋の神隠し」に出てくるカオナシは何者?

『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』以前、邦画の歴代興行収入1位だった「千と千尋の神隠し」は、多くの方が映画館やテレビで観て「好きだ!」と答える作品ではないでしょうか? 私も大人になってから見返して嗚咽するほど号泣した思い出があり、それ以降「見たら号泣するから……」となかなか見返せていない作品です(笑)。

 

そんな「千と千尋の神隠し」は、個性豊かなキャラクターがたくさん出てきますが、一度見たら忘れられないのがカオナシ。このカオナシは、千ことが大好きで、お金をたくさん出して願いを叶えてやろうとしますが、千はそれを拒否します。なんだか怖いような、かわいいような……(笑)。カオナシとは一体何者なのでしょうか?

 

千につきまとってきたカオナシは、千の中に潜む欲望の影でもあり、それと決別するためには激しい痛みと苦しみを伴います。しかし、その痛みと苦しみを乗り越えることができたときはじめて、千はカオナシに別れを告げ、真の意味での成長を遂げることができるのです。欲望によってもたらされた成長は、まだ本当の意味での成長ではないからです。

(『ジブリアニメで哲学する』より引用)

 

これもひとつの説なので、これが正解! というわけではありませんが、こういう考え方でもう一度「千と千尋の神隠し」を観ると、どうしてあのときカオナシが現れて、あの場所でさよならするのかも納得できる気がします。

 

他にも、「魔女の宅急便」でどうして父親はラジオを渡したのか?「紅の豚」はどうして豚だったのか?「ハウルの動く城」に出てくるカルシファーは何者? など、今まで見ていた物語がどんどん面白くなる問いがたくさん掲載されています。雨の日や暑くて外に出たくない週末は、お家でゆっくりジブリ三昧も良いかもしれませんね! ぜひ『ジブリアニメで哲学する』とともに楽しんでもらいたいです。

 

 

【書籍紹介】

ジブリアニメで哲学する

著者:小川仁志
発行:PHP研究所

あの国民的アニメを哲学すれば、現実世界の本質が見えてくる! 人気哲学者が、楽しみながら頭がよくなる「思考の新しい鍛え方」を紹介。

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