毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「陰謀」。玉石混交の多量な情報の海の中で、真実が何か見えづらくなっている今日。自らのリテラシーを高め「陰謀」に踊らされないためにも、谷津さんの選ぶ5冊を参考にしてみてはいかがでしょうか?
【過去の記事はコチラ】
きな臭い時代ですなあ、と、ついため息をつきたくもなる日々である。
インターネットブラウザを開いてみれば不確かな情報がこだまとなってねじ曲がり、また違った方向に響きゆく。そしてもはや元の音と無関係の雑音となってわたしたちの耳を苛むようになる。
コロナ禍の長期化、それに伴う社会の行き詰まりや先行き不透明からくる不安が噂を生み、やがて虚報となって文字化される。現在の苦しみが裏打ちされた情報は時に犯人捜しに人を駆り立て、「この状況は誰かが仕組んだものなのだ」という陰謀論へと成長を遂げることになる。アメリカのQアノン(アメリカの上流社会が悪魔崇拝を旨とする秘密結社に乗っ取られており、ドナルド・トランプ氏はそれら勢力と戦っていたのだとする陰謀論)も、決して対岸の火事ではない。
というわけで、今回の選書テーマは「陰謀」である。
主人公を待つ壮大な「陰謀」とは?
まずご紹介するのは漫画から。『チェンソーマン』 (藤本タツキ・著/集英社・刊)である。悪魔の存在する世界、悪魔のポチタとともにデビルハンターをしながら底辺生活を送っていた少年デンジがある事件で死にかけ、ポチタと同化することで命を永らえることに端を発する暗黒少年漫画である。教養、規範意識に乏しく、己の本能に忠実なデンジだが、そんな彼の肖像は様々な人間関係が希薄化しつつある現代においては、逆にリアルな印象さえ受ける。ジャンプ漫画としては異色かもしれないが、時代のスタンダードといえる主人公像と言えるだろう。
実は本作、事態が進行するごとに、ある陰謀が明らかになる。その陰謀によって、デンジがようやく得た小さな日常が破壊されることになるのだが――。すべてを失ったデンジが結局何を得たのか。そして、何を以て本作は一区切りを迎えるのか。デンジの選んだ衝撃的な結末は、ぜひ、皆さんご自身でご確認いただきたい。
関東大震災の「デマ」を文豪たちはどう見たのか?
次にご紹介するのは新書から。『文豪たちの関東大震災体験記』 (石井正己・著/小学館・刊) である。1923年に起こった関東大震災においては多数の文筆家が被災し、出版社の求めに応じて様々な手記を書き残している。それに着目し、当時の文豪たちの声を拾い上げ、その上で関東大震災の有様を提示する一般向け書籍である。
なぜ関東大震災の本が「陰謀」の選書に?
皆さんもご存知だろう。関東大震災発生後、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」「朝鮮人と主義者が掠奪強姦をなす」といったデマが横行、やがて被災者の一部が自警団を結成し、怪しい者たちを独自に取り締まり、中国人、朝鮮人、ろうあ者など、当時の日本社会におけるマイノリティが殺害される痛ましい事件が起こっている。
本書を読むと、文豪たちの遺した文章の中に、これらデマの横行を示唆するような記述が多々あることに気づかされる。被災者として苦しむ文豪が書き残した風聞を並べ比べていくうちに、これらのデマが陰謀論に育ち、暴挙に駆り立ててゆく過程が浮かび上がってくるのだ。
本書は関東大震災とともに、デマが陰謀論に育ち、社会にダメージを与えるまでの姿を間接的に描いているのである。
生々しくない「陰謀論」をめぐるツッコミ
次に紹介するのはこちら。『と学会レポート人類の月面着陸はあったんだ論』(山本 弘、江藤 巌、皆神龍太郎、植木不等式、志水一夫・著/楽工舎・刊)である。
2000年代初頭、「アポロは月に行っていない」という与太話がメディアで大々的に紹介されていた時期があった。
第二次世界大戦後、アメリカとソ連は世界の覇権国家目指して鎬を削り合っていた。特に宇宙開発競争は過熱の度を深め、アポロ計画でアメリカが月面に到達したことで一応の決着がついたのだった……。が、これらの経緯から、「アメリカが技術開発競争に負けたくない一心で、月に行ったと捏造したのではないか」という陰謀論が発生、どうしたわけか2000年代初頭の日本で再燃したという経緯なのであった。
本書はそんな「アポロは月に行ってない(ムーンホークス)説」の主張に歯切れのいいツッコミを入れていく本である。本書を一読するだけでムーンホークス側の荒唐無稽な主張が理解できようし、冷戦下の宇宙開発史や、ムーンホークスが生まれたアメリカのお国柄など、さまざまな知識を得ることができるだろう。
そして何より、数ある陰謀論の中でも生々しくないというのもいい点だろう。次また来るかも知れない陰謀論のパンデミックに備えるワクチンとして読むのも一興である。
日本史上屈指の「陰謀」はびこる時代を逃げ切れるのか?
お次はまた漫画から。『逃げ上手の若君』(松井優征・著/集英社・刊)である。
本書は鎌倉北条氏の得宗家御子であり、南北朝動乱の時代に独特の光彩を与えた北条時行(ほうじょう ときゆき)を主人公にした歴史漫画である。鎌倉幕府を足利尊氏らに滅ぼされ庇護者を失った時行は、人並み外れた「逃げ上手」の特性を諏訪領主・諏訪頼重(すわ よりしげ)に見出され、諏訪の地で雌伏、足利尊氏の喉元を切り裂く刃となるべく、修行を重ねる……というのが大まかなストーリーラインである。こう書くと硬派な歴史物に聞こえるかもしれないが、少年漫画の文法にきっちりと物語が乗せられている上、前述の諏訪頼重がほんの少しだけ未来が見えるという設定から、ボケ役や注釈役、現代の読者との橋渡し役を兼ねているあたり、現代のエンタメとしての打ち出しに成功している。
本書の描く時代は、日本史上でも屈指の陰謀はびこる時代である。この後、時行は様々な陰謀にかちあっていくことだろう(し、既にある種の陰謀に乗せられているのかもしれない)。この「逃げ上手」を武器にする前代未聞の主人公がどうこの時代の陰謀に立ち向かっていくのか、今から楽しみである。
個人レベルで繰り広げられる陰謀の哀しさ
最後は小説から。『仮面家族』(悠木 シュン・著/双葉社・刊)である。
妻の言いなりに振る舞う「新しい父親」、娘に詳細な日記を書かせ提出させる上、隣に住む女子高生に近づくよう命じたり、またその女子高生と喧嘩するようにと指示するとにかくヤバい母親、そしてその娘の不可解な日々を描いたミステリ小説である。
本書を読み進めるごとに、当然読者の疑問の目は母親へと向かう。この母親は一体何がしたいのか。一体何を企んでいるのか……、この不気味極まりない母親についてあれこれと想像が広がり、思いあぐねながらページをたぐっているうちは、著者の仕掛けた罠にしっかり嵌っている。是非とも本書が明らかにする歪なる真実に驚いて欲しい。
そして全体像が露わになったその時、個人レベルで繰り広げられる陰謀の哀しさと、そこに浴びせられる冷徹な結末に肝を冷やすことになる。一気読み、寝不足必至のサスペンスである。
現代においても、陰謀ははびこっていると見るべきだ。きっと、世の中のどこかで、わたしたちの目の届かないところで数々の謀がなされているのだろう。だが、それらの多くは陰湿な形で、しかも露見せぬように行なわれているものがほとんどのはずだ。
わたしたちは、今、誰からも確度が保証されぬ言葉の渦に囲まれて生きている。耳に飛び込んできた言葉が、果たして事実なのか、それともフェイクなのかをいちいちジャッジする必要がある。
そのためにこそ、過去の陰謀論を学んだり、フィクションの描く陰謀の在り方を〝接種〟しておくとよい。常日頃からそうしたものに触れていれば、設定の甘いフェイクならば見破ることができるようになるだろうからだ。
【過去の記事はコチラ】
【プロフィール】
谷津矢車(やつ・やぐるま)
1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新刊は『雲州下屋敷の幽霊』(文藝春秋)